ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/21日 知多半島師崎の羽豆岬までの自転車旅 その5(最終記事):風に向かって帰り道。ペダルを踏む・漕ぐ・少しでも進む。

2020-01-27 07:04:27 | 草花
神社前の展望建物から眺めを満喫し、そこで食事をとってから帰り道に就きます。
来るときには風の圧力をさほどは感じませんでしたが、帰りには一転して向かい風となり、相当圧力を感じました。
その結果は所要タイムに現れていました。
来るときには神社参拝や休憩タイムなどを入れて師崎にやってきましたが、帰路では長い休み時間を取らずに漕いできたのにもかかわらず、もっと時間がかかっていました。
しかし、全行程を終えて、事故無く戻って来られたのは有り難いことでした。

見納めの富士山 ↓

岩山の上からこの日の見納めの富士山を見ておきます。



駐輪箇所に復帰 ↓

自転車を置いた場所に戻り、今度は自転車で、岩山のふもとの海岸線をひと回りしてから、もと来た道を戻って行きます。

途中は相当強い向かい風が吹いてきています。

大井漁港北の海辺からの眺め ↓

風が強いので自転車が早く走りませんが、必死に漕ぐ中でも遠くの山並みチェックを行います。
こんなところからも渥美半島の山並みが一望できています。

雨乞山 ↓


大山 ↓


猿投山・木曽御嶽 ↓

この方角の眺めは今回初めて載せます。木曽御嶽はごく薄くぼんやりとしか判りません。

中央アルプスと恵那山 ↓

中央アルプスと恵那山もごくわずかに見えるかどうか・・・・と言う見え方です。

南アルプス ↓

南アルプスの重鎮たちも見えて来ました。

西浦温泉方面 ↓

西浦温泉方面も見えています。背後に豊橋の弓張山系も連なって見えます。

三ヶ根山 ↓

西尾市幡豆の三ヶ根山も見えます。

碧南火力発電所 ↓

真横から撮っている感じです。

写真を撮っている時間は良い身体休めになっています。
再び風の中に漕ぎ出しますが、その45分後にまた気になる山岳景観が出てきました。

今度は名鉄河和駅の付近から 
木曽御嶽 ↓

クレーンの間から木曽御嶽が僅かに、「見えるかどうか・・・・」と問いかけてきているようです。

碧南火力発電所 ↓

護岸の上に頭を出しています。

このあと、精一杯漕いで、武豊、半田、衣浦大橋を渡り、高浜市に戻ってきました。

土管の坂道 ↓

高浜市の明治用水中井筋の水路が、衣浦湾へ注ぎ込む付近にこんな坂道がありました。
坂道の法面を土管で埋めた、「土管坂」はこの地方の町では散見されます。
日はすでに西に傾いてきていますが、まだ明るい内になんとか戻って来られました。
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1/21日 知多半島師崎(もろざき)の羽豆(はず)岬までの自転車旅 その4:岩山の上にある羽豆神社を参拝。最先端からの眺めも良かった。

2020-01-26 07:05:18 | 草花
木製の展望台からの眺めが続きます。
その後は、岩山上をさらに南進して、先端に近いところに祀られている羽豆神社にお参りします。
神社から出ると、目の前は岩山の突端で、崖の上に今度はコンクリート製のやや古びた展望台があり、ここからの南方面の眺めが抜群でした。
そこからの眺めも、記事の後半に入れておきます。
先ず、未だ中央部にある木製の展望台からの眺めです。
雨乞山・大山 ↓

大山は渥美半島の最高峰で、一等三角点があります。

雨乞山をズーム ↓

中央が標高231mの雨乞山です。

大山をズーム ↓

大山は標高328mで、一等三角点とアンテナがあります。

富士山 ↓

富士山はまだ見えていますが、相当霞んでいます。

日間賀島 ↓

日間賀島は、その昔は漁師の島として有名でしたが、今は民宿の建物が並び、活け魚料理などで名を成している島です。タコの加工品やその料理などでも知られています。

師崎漁港 ↓

観光船の出入りする波止場とは別の場所に漁港があります。


木製の展望台 ↓

三階建ての木製でしたが、展望を楽しんだのちに此処を下ります。


羽豆城址 ↓

狭い場所ですので大規模ではないと思いますが、城あとの表示がありました。おそらく見張り所程度の役割ではなかったでしょうか。


ヤブツバキ ↓

椿の花は、今の時期あたりが見ごろのようでした。



ここでも石の鳥居 ↓

岩山の下で、登り始める入口に鳥居がありましたが、山上のこの場所でもまた鳥居が出てきました。
この鳥居は神様のお社がすぐそばにあることを示唆しているように思いました。


神社の本殿 ↓

岩山の上ですので小作りな建物ですが、神社としての風格は有しています。ここに拝礼して、羽豆神社を後にします。


やや寂れた感じの建物 ↓

岩山の南端。崖の上に、コンクリート製の二階建てのようですが、屋上からの眺めが良さそうです。
登って行きます。


逆光線ですが・・・・・・

その屋上では、素晴らしい景観が目の前に広がります。
渥美半島の山並み ↓


付け根付近の蔵王山・衣笠山など ↓


先端に近い雨乞山・大山 ↓


渥美半島先端の部分 ↓


伊良湖水道の神島 ↓

どれも逆光線の中で見えているのが残念ですが、「眺望絶佳」という言葉が頭を駆け巡っています。
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1/21日 知多半島の師崎(もろざき)羽豆(はず)岬までの自転車旅 その3:岬の岩山歩き ウバメガシの樹林と木製の展望台

2020-01-25 07:04:35 | 草花
師崎の先端にある岩山登りを始めます。
この岩山に登るに際して、ここが富士山ビューのポイントであることは予習してあります。
その眺めが得られるかどうかは微妙な空模様でしたので、あまり期待をしてはいませんでしたが・・・
トベラ ↓

岩山の登り始めにトベラが出てきました。年末の実はもう少し赤いようですが、古くなるにつれてだんだん色を失っていくようで、しまいには黒ずんでくるとも聞いています。


マサキ ↓

トベラのお隣でマサキも赤い実をつけています。


手摺付き ↓

流石にお参りのための道だけあって、石段にはステンレスの手摺がつけられています。



ウバメガシ ↓





天然記念物になるだけあって、他の場所では見ることが出来ないような、ウバメガシが圧倒的に優勢な樹林が続きます。昭和九年に天然記念物に指定されたので、戦時下に伐り出されることにも遭わずに助かりました。


ヤブラン ↓

岩山の上にも土があり、そこに咲く花も、結ぶ実もあります。



師崎港から出港 ↓

客船が港を出ていきます。この時間の出船は11時30分発で、篠島、日間賀島を廻ってくる船だと思います。


木製の展望台 ↓

展望台のところに着きました。見上げると三階建てになっています。早速上に登って見ます。



神島 ↓

展望台に上って、一番初めに見た方角は逆光線で、写真に撮りづらい方角でした。
時刻はお昼の少し前ですので、そちらはシルエットになります。



伊良湖岬 ↓

伊良湖岬はまるで島のような見え方で、海上に浮かんでいるかのように思えます。



富士山 ↓

待望の富士山は、霞の中に、目を凝らせば見えるような見え方でした。



渥美半島の山並み ↓

対岸の渥美半島の山並みも見えています。



蔵王山と衣笠山 ↓

渥美半島の山並みの豊橋寄り(左側)には蔵王山と衣笠山が聳えています。
この日が、良い天気で幸いでした。 山岳眺望はその4に続きます。
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1/21日 知多半島の師崎(もろざき)羽豆(はず)岬までの自転車旅 その2:半田・武豊・河和を通って師崎に着くまで。

2020-01-24 07:05:46 | 草花
衣浦湾にかかる衣浦大橋を渡り対岸に着くと、そこは半田市亀崎町になります。
道沿いに良く目立つ神社があり、車で通るときにはいつも通り過ぎていましたが、自転車で移動する今はそっけないことはしないで、立ち寄って見るだけの心情も湧いてきます。

亀崎の神前(かみさき)神社 ↓

(由緒をwikiより引用):社伝によれば、往古、神武天皇が大和入国の途中、この地に上陸して「天神洲(てんじんす)」と名付け、小祠を建て産土神として崇敬したのが始まりである。また、地名を神嵜(かんざき)と名付けた。これが同地の名の亀崎の由来とされる。

慶長17年(1612年)、当社は神武天皇が使用したという井戸がある現在の地に遷宮した。この井戸は「神の井」と呼ばれ、拝殿の裏に残っている。井戸を覗いて虫封じをする神事「虫封祭」が6月に行われる。

初め、神前天神と称したが、のち亀崎神社と名を改めた。明治4年、郷社に定められ、同18年、神前神社と改称し、県社に列せられた。(引用終了)
とあります。由緒書きはあとから知ったことで、生身の身体はこの石段を登り、明るい境内に入って行きます。



拝殿 ↓

開放的な造りの拝殿でお参りしてから、あたりを窺います。一段高まった裏手にも建物があり、そこに小さな本殿と、天満宮があるようです。



天満宮 ↓

天満宮にもお参りします。その左手の、やや古くて小さな建物が神前神社の本殿のようですが、近すぎて写真を撮り難かったので、撮らずにその場から離れます。



うそまことの石柱 ↓

心づくしの神さんが  うそをまことに替(え)さんす  ほんにうそかえおおうれし
と彫られています。

これは大阪の【初天神】鷽(うそ)替え神事ですが、
替えまひょ、替えまひょ、嘘を真に替えましょう

1月25日は、初天神。大阪天満宮では「初天神梅花祭」が斎行されます。
前日24日は「初天神梅花祭宵宮祭」で、午後1時より境内において
「鷽替え(うそかえ)神事」が行われます。
鷽替え神事は、境内に集まった善男善女が『替えまひょ』『替えまひょ』と
声を掛け合いながら「鷽鳥御守」を次から次へと交換していきます。
御守を次々替え合うと、“嘘(うそ)”が“真(まこと)”に替わるという、その神事が遠く離れたこの地でも行われるようですね。



月の名所 ↓

古くから景勝地として有名であった亀崎ですが、大正4年(1915年)11月に行われた大正天皇の大嘗祭において、京都御所悠紀殿の屏風絵に亀崎の月が描かれ、これにちなんだ和歌が詠まれたことから、「月の名所 亀崎」の名は一躍全国に知れ渡るようになり、愛知県知事から”勝景 亀崎の月”の選定を受けました。
神前神社のあるこの場所は小高くなっていて、眼前に衣浦湾の海面が見え、その向こうの東・南・西側は開けていて、月を観賞するには確かに優れていると思えます。

神前神社を離れて、再びサドルにまたがり、ペダルを漕ぎ出します。

半田市の町を抜けて、武豊町に来ました。
JRの武豊線は武豊駅が終着点ですが、名古屋鉄道は河和線が知多武豊駅よりも先にさらに南下していきます。
自転車で走る道は、名古屋鉄道の知多半田駅あたりから並行して走るようになっています。
富貴駅を過ぎたあたりで、線路と海岸に挟まれて走るようになってきました。

海岸が近づいているので、砂浜に下りてひと休みを入れます。
眼前に火力発電所が二つ見えています。こちら岸に武豊(たけとよ)火力発電所、対岸は碧南火力発電所です。

武豊(たけとよ)火力発電所 ↓

(wikiより引用)
1966年に1号機が運転を開始、4号機までが建設された。
設備の老朽化に伴い1号機が廃止された他、石油火力発電であるため「石炭利用拡大に関するIEA宣言」に基づき、2号機を長期計画停止させるなど、低稼働率状態が続いていたが、2011年5月23日、中部電力は浜岡原子力発電所の稼働停止要請を受け、長期計画停止火力機の再稼働を決定]、2号機を7月31日に再稼働させた。

2015年2月6日には、石油火力である旧発電設備を廃止し、新たに高効率の石炭火力を新設するリプレース計画が発表され、2016年3月31日に2~4号機が廃止された。ただ、LNGコンバインドサイクル発電と比べて二酸化炭素の排出量が大幅に多いため、地球温暖化をはじめとする環境への悪影響が懸念された。そこで石炭に木質バイオマス燃料(木質ペレット)を混焼して二酸化炭素の排出量を抑えることとした。バイオマス発電電力量は約12億kWh/年、CO2排出削減量は約90万トン/年削減(石炭専焼時と比較)の計画である。(引用終了)



碧南火力発電所 ↓

(wikiより引用)
1991年10月に1号機が運転を開始、5号機までが建設された。

3号機は主蒸気温度538℃、再熱蒸気温度593℃、主蒸気圧力24.1MPaとし、日本で初めて超々臨界圧のボイラーおよび蒸気タービンを採用した。4、5号機の出力は国内最大規模の100万kWであり、2011年現在、石炭火力としては国内最大、世界でも最大級の火力発電所である。(引用終了)

施設建設後に世界的規模で沸き起こった、地球温暖化問題は寝耳に水だったことでしょうね。
今後の推移に注目せざるを得ません。

砂浜から遠くの山並みを眺めて、山座同定作業に入ります。

五井山など ↓




渥美半島の山並み ↓






これから向かう方角にも ↓

知多半島の先端近くに高い建物があります。あの建物は地上34階建てのリゾートマンションで、チッタナポリタワーというものです。
これが普通のホテルだったら一度は泊まってみたいものですね。


浜辺を後にして師崎を目指して気を張って漕いで行きます。



師崎の羽豆岬に到着 ↓

知多半島の先端近くの波打ち際まで来ました。近くの護岸内に自転車を止めます。



神社の鳥居 ↓

羽豆岬には小高い岩山があり、羽豆神社もその山の上にあります。そこまでの参道がなかなか趣のある道なんです。
鳥居をくぐって歩いて行けば、良いことに遭遇出来ると考えて来てます。



天然記念物の境界表示 ↓

「羽豆神社の社叢は、国の天然記念物」に指定されています。
ウバメガシを主とした暖地性常緑樹林が内陸部の植物景観と差異があるということです。



神島 ↓

岩山の参詣道に取付く前にちょいと覗き込んだら、伊良湖水道の神島が見えています。およそ17km先になります。
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1/21日 知多半島の最南端 南知多町師崎(もろざき)の羽豆(はず)岬までの自転車行 その1:衣浦(きぬうら)大橋まで

2020-01-22 21:28:21 | 草花
昨日、知多半島の突端にある羽豆岬まで自転車を漕いで行ってきました。
岬にある岩山の上には羽豆神社があり、山上にはウバメガシの生い茂る参道があり、展望台上からの眺めは晴れた日にはまことに胸のすくものがあります。

また帰って来てから知ったことですが、ここを歌い込んだ歌がありました。
それは愛知県のご当地グループが2010年にリリースしたものでした。

歌詞 ↓
こちらは秋元康作詞の「羽豆岬」の歌詞

SKE48の歌唱 ↓
こちらはSKE48の「羽豆岬」のYouTube動画

流行には疎い生活をしていますので、初めて聞く曲でしたが、かなり人気の高い曲だったようですね。


昨日は午前中からやや強い風が吹き出して、帰り道では向かい風に悩まされ、相当難儀をして戻ってきました。
位置図 ↓


実行図 ↓

ほぼピストンで、北から南下し、帰途は北上して戻ってきました。



高浜市の衣浦(きぬうら)観音 ↓

いつも遠くから眺めるばかりでしたので、今回は真下まで行ってお参りしようと考えました。



渡船場の跡地 ↓

小高い場所に立っている観音様のところに登って行こうとすると、その麓にこんな石碑が立っていました。
石柱の崩し文字はご当地の瓦職人さんの俳句で、
「美しや 涛(なみ)打ち寄せし夜光むし」 七十六歳 通泉(号です)と花押   とあります。
※なお、石碑の俳句の読みについては高浜市観光協会に電話して女性職員の方から丁寧に説明をしていただきました。ありがとうございます。この場にて書き残して、再度御礼申し上げます。

渡船場の説明書き ↓

傍らの木の看板の方には、かつて、ここから対岸まで渡し船が通っていた、ことを案内しています。


衣浦大橋については、これから後に向かいますので、そこで案内します。



衣浦(きぬうら)観音 ↓



大観音像「衣浦観音」の真下に来ました。これは陶製で、陶製の観音としては日本一です。
この観音像は、高浜の鬼板師で「鬼長」の屋号を持つ浅井長之助氏の製作で、これを焼成したのは、陶管の窯元、森五郎作氏です。
歳月約4年の苦心の末、昭和34年3月完成しました。高さは8メートル、中央は鉄筋コンクリートの円柱を基礎にして、12角面の外観台の上に建っています。
製作に当たっては本尊48蓮台を24の部分に分けて造り、これを組立て結合しています。
焼成には、粘土の収縮率がそれぞれ異なるため、非常な苦心研究の上製作されたとのことです。
(以上ネットより引用)
観音様にお参りします。


観音寺 ↓

観音様のお寺さんにもお参りして下りて行きます。



広い車道を潜り抜ける ↓

観音様の高台から下りて、目の前の広い産業道路を地下道で潜り抜けます。



衣浦大橋 ↓


衣浦湾 ↓


歩行者と自転車の道 ↓

(以下はwikiより引用)
衣浦大橋(きぬうらおおはし)は、愛知県高浜市碧海町から同県半田市州の崎町に至る海上に架かる国道247号(愛知県道46号西尾知多線重複)の道路橋である。衣浦湾で隔てられた知多半島と三河地方碧海地域を結ぶ重要路線となっている。

上り線(南側)、下り線(北側)の2橋からなる。

旧橋は1956年1月27日に日本初の海上橋として開通し(有料)、新橋は1978年2月に完成した。

新橋が完成したことにより下り線(旧橋)は半田から高浜方面へ、上り線(新橋)は高浜から半田方面への道路として分離しそれぞれ2車線となっている。

1956年(昭和31年)1月27日:衣浦大橋(北側)が有料道路として開通する。
1968年(昭和43年)4月1日:この日から無料開放。
1978年(昭和53年)2月:衣浦大橋(南側)が開通。
(引用終了)

家を出た時は風がほとんどありませんでしたが、橋上に来ると海風を強く身体に感じ、結構心細い思いをします。
この橋を車で往来したことは過去に何度もありますが、自転車で通行するのは初めてのことで、思うところが多い筈なのですが、海面を見下ろし、横殴りの強い風にさらされて、緊張感のために懐旧の念は湧きませんでした。
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