ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

平地歩きも面白い!  ぐるっと巡って4万歩。

2014-12-30 17:46:57 | 草花
今月はよく歩いています。それも平地ばかりを歩いていますが、これがもしも暑いときなら照り返しのきついアスファルトの道を歩こうなんてそんな気持ちはおこってはこないことでしょうね。
言うなれば、こんなことができるのも冬ならではということなのでしょう。

今回は遠くの見通しが利きそうでしたので、いつも行く団地の14階を目指しました。
その際に、非常食と水も携行しました。
こうすれば、それから後も気ままな気持ちで散歩の足を延ばすことができるからです。

結局、このときは夕方まで歩き、歩行距離は30kmを超えたようでした。(歩数計のカウントは4万歩を軽く超えていました。)

朝の木曽御嶽 ↓

比較的良く見えていました。

朝の伊吹山 ↓

こんな見え方でも、小生的にはこの冬一番の眺めでした。

中央アルプス ↓

雪を被った峰々が空に浮かんでいるように見えています。

恵那山 ↓

雪が少ないので、輪郭はやや見づらさがあります。

大川入山 ↓

恵那山よりも低い峰ですが、雪の付き方は勝っているかもしれません。

明治川神社 ↓

団地の14階を下りて、サイクリングロードを歩くことにしました。一時間半後に明治川神社に着きました。門松を見ながら今年最後のお参りをしていきます。

昼間の木曽御嶽 ↓

お昼前に見た木曽御嶽です。見る位置が動きましたので、今度は前の山の右側に出てきました。

村積山 ↓

先日自転車を押し上げて頂上を訪問した、村積山が良い姿で見えています。村積山は「三河富士」とも言われていますが、なんとなく納得できそうな気がします。

ノボロギク ↓

田圃のあぜ道でノボロギクが咲いています。

三連水車 ↓

ここまで徒歩で来たのは、これが二度目のことになります。

地蔵尊 ↓

お地蔵様にもお参りしていきます。

制水門 ↓

明治用水の一つの制御部ですね。日当たりが良くて、風除けにもなりますので、ここで非常食で昼食を摂ります。

伊勢湾岸道路の下 ↓

今度は高速道路の下を道に沿って歩いていきます。ここは豊田南ICの付近のようでした。

無量寿寺 ↓

伊勢物語の「かきつばた」の故事で名高い三河八橋にきました。ここでは無量寿寺にお参りしていきます。

知立の弘法様 ↓

帰りしなの土産に、知立の弘法様にもお参りしていきます。寺の名前は「遍照院」といいます。

今度は伊吹山の夕景 ↓

周回の最終場面で入り日の時刻になり、もう一度高楼に上がることにしました。伊吹山に夕方の斜光線が当たっています。

木曽御嶽夕景 ↓

木曽御嶽も夕映えになっています。

この記事が今年の最終になりそうです。
お付き合いくださいましてありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。

皆様良いお年をお迎えください。
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12/25日 村積山を下りて奥殿陣屋に(下=最終):奥殿陣屋を見て帰宅の途につく

2014-12-29 09:43:18 | 草花
階段の山道を自転車と一緒に下りるのに、相当エネルギーを使いました。
普段はこういう山道は必ず歩いて下りるものですが、今回は自転車を押して山頂まで上がってきたという成り行きがありましたので、下りは違う道を採りましたが、勢いで自転車ごと山道を下りるということを選択しました。
しかしこれは村積山がいかに低山といえども、ずいぶん乱暴なことでした。
汗を掻いて、相当草臥れて山を下りてきました。
下り立ったそこは、岡崎市の奥殿町地内であり、立派な車道が通っていて、すぐ近くに奥殿陣屋址があります。
奥殿陣屋については、小生の下手な説明よりも、wikiの記述を以下にそっくり引用しておきます。

(引用部分) ↓
>徳川秀忠に仕え、大坂の陣の戦功により3千石を与えられた松平真次が、大給(豊田市)に陣屋を構えたことから奥殿松平家は始まる。
第2代乗次のとき1万6千石の大名となり、宝永4年(1707年)に奥殿に陣屋が完成したため第4代乗真が移った。
以後、文久3年(1863年)に田野口に移転するまで奥殿藩の中心となった。
最後の藩主乗謨(後に大給恒 1839年~1910年)は博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力した人物として知られる。

当時は御殿・役所・書院・学問所・厩・馬場などがあったが、廃藩置県後にそれらは移築や取り壊しが行われ、陣屋の跡地はほぼ田畑となってしまった。
しかし昭和59年(1984年)に、近辺(岡崎市桑原町)にある曹洞宗の寺院・龍渓院の庫裏になっていた書院が移築復元された。
現在は「村積山自然公園」の一部として整備され、書院や日本庭園、食事施設、観光農園などを持つ観光施設となっている。
そのほか裏に歴代藩主の墓所や土塁も残されている。
(引用終了)

今回はこの辺りの風景などをレポートしていきます。
奥殿陣屋址入り口 ↓

入り口には門松が飾られていました。

書院入り口 ↓

これが廃藩置県の荒療治の時にはお寺の庫裏になっていたものを、近年移築して復元したもののようですね。

日本庭園 ↓

いろんな要素の混じった趣きある庭園がありました。

土塁 ↓

ここの土塁は①境界線 ②敵からの防御 などの役割よりもむしろ、③降雨時の雨水逃がし  くらいの意味合いのほうが強かったのではなかったでしょうか。

歴代藩主の廟所 ↓

山の斜面を利用して、このほかにも何段かに分けて墳墓が並んでいました。

矢作川に架かる天神橋 ↓

奥殿陣屋を後にして、自転車を漕いでいきます。この矢作川に架かる橋は岡崎市と豊田市の境目になります。

矢作川 ↓

下を矢作川が流れています。上流方面を見ていますが、遠くに小さく見えるのは猿投山ですね。

ヒメオドリコソウ ↓

日当たりで咲いている花を見つけました。

国道1号を渡る ↓

岡崎・豊田・安城市の境界あたりを走りますので、どこでどの市になっているのか分かりづらくなっていますが、国道を越えると安城市を走っていることになります。
夕方近くになり、お腹も空き、疲れも相当感じるようになってきました。

田圃に立派な一本 ↓

夕景の田圃の中に立派な木がそびえていて、根元には地蔵尊が祀られているのでしょうね、祠があり、その横に少年が座っていました。
なにか懐かしくなるような景色でしたので、これを頂きました。

新幹線の保守管理車両 ↓

夕日に照らされて高架上に浮かび上がっているのは、高所作業用の新幹線軌道の車両ですね。
「幹鉄電気部」とありましたが、これは所有部署の名前のようです。

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12/25日 自転車を村積山の頂上まで押し上げた。(中):村積山(256.8m)は手ごわい。

2014-12-28 13:49:53 | 草花
更新が一日延びてしまいました。
・・・・というのも昨日は一日中外を歩いていたことになってしまったからです。
そのレポートはまた後ほどすることにいたします。

今回は水源の頭首工から村積山目指して岡崎市に走っていきます。
山麓に近づき、山の入り口が分からず、通りがかった中学生集団の男女に道を尋ねたところ、男女のペア二人で、わざわざ彼らが歩いて来た道を戻ってまでして、小生が道の分かるところまで歩いて案内してくれました。
「いまどきの若い者は・・・・」と一くくりにして慨嘆するのは間違いだとつくづく思いました。

お陰で無事に山の登り口までこられました。中学生のカップルに大感謝しておきます。

地図 ↓


登り口 ↓

取り付き口からいきなり急傾斜であり、この場所から早速自転車を下りて、押していくことになりました。

神社 ↓

相変わらず自転車を押していく中で、山側の斜面に神社がありました。ここに立ち寄りお参りをしていきます。

山の池 ↓

山腹に池があり、立て札によって「釣った魚は持ち帰ることのないように」、と念押しされていました。 三河版の「おいてけ堀」ですね。

ちょっとした展望 ↓

低い山ですが、結構な苦労をしながら自転車を押しています。
山の肩に当たるような場所で、小展望が利きます。遠くに見える高架は建造中の新東名高速道路でしょうね。

山頂着 ↓

相当くたびれて、自転車と一緒に山頂に着きました。
そこには神社の玉垣と左には社務所があります。いずれもごく小さな規模のものでした。

狛犬阿形 ↓

新旧の狛犬が並んでいます。

狛犬吽形 ↓

小生的には古い狛犬のほうが貫禄も有り、独特の存在感を感じます。

神社 ↓

神社の屋根は桧皮葺で、損傷が進んでいるので、全体に屋根覆いがされています。

三角点 ↓

神社の裏手に三角点がありました。

展望台 ↓

三角点から80~100mくらい離れた場所ですが、これも山頂の一角ともいえるような場所に展望台があります。
そこからの眺望は晴れた日なら素晴らしいものがあるようで、伊吹山から木曽御嶽、中央アルプス、恵那山、白山、能郷白山、鈴鹿山脈などが見えてしまうようです。

下りの山道 ↓

下りの山道は別の道を使いました。
始めの内は落ち葉の散り敷いたこんな道でしたが、残りの3分の2ほどは、自転車にとって一番苦手の階段道で、やむなく自転車を抱えながら支えていきます。
これには相当体力を消耗させられてしまいました。


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12/25日 自転車で豊田市の水源と、岡崎市の村積山周回(上):水源まで

2014-12-26 11:43:23 | 草花
昨(12/25)日は晴れていましたので、山岳景観に期待して、重たいほうのカメラをミニリュックに詰めて自転車で出掛けました。
始めはそう遠くまで足を延ばそうとは思わ無かったので、食べ物や水分は極く少量しか持たずに漕ぎ出しました。
しかし遠望が思いのほかに利かず、写真を撮ることも少なくて、距離が思いのほかに進んでしまいました。

結局、7時間半ほど自転車を漕いでいて、総距離は60kmほどになりました。
その中で特徴的だったことは村積山を麓から山頂まで自転車を連れて登ったということでした。

夕刻、日が落ちてから家に戻ってきましたが、行程の最後1時間くらいはいわゆる「しゃりバテ」状態で、メロメロになってしまいました。
このシリーズを上・中・下と三回に分けてレポートします。
”上の部”では豊田市の水源公園までの部分になります。
全体の実行図 ↓


コンクリートポンプ車 ↓

昔はトタン板の上に砂とセメント・水を乗せて、相対した二人掛かりでスコップによってセメントを捏ね合せたものでしたね。

四季桜 ↓

日差しを受けて慎ましく咲いています。

四季桜 ↓

アップで見ます。

山茶花の並木 ↓

サイクリングロードの一部分にサザンカの並木があります。

三連水車 ↓

先日はここまで孫の自転車練習で付いてきましたが、小生は歩いたり、小走りで追いかけたりして、相当疲れました。

地蔵尊 ↓

水車の隣のお地蔵様は、冬支度完了しています。

西三河の山なみ ↓

村積山が良い感じに見えていましたので、にわかに行って見たい気持ちが沸き起こりました。

センダン ↓

道沿いにセンダンの木があります。花の時期に来て見たいものです。

斜長橋 ↓

将来的には新東名高速道路になる部分ですが、今は伊勢湾岸道路の一部分になっています。

水源の頭首工 ↓

この場所が明治用水の起点となります。
この橋を向こう岸に渡り、岡崎市を目指して走っていきます。

頭首工の水の吐き出し口 ↓

水を落とす場所が一箇所開いていて、水が勢いよく落下しています。
その周辺に水の円形模様が出来ています。

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12/23日 クリスマスプレゼント  電化間近のJR武豊線で東浦の於大公園へ  

2014-12-24 12:35:22 | 草花
23日の朝刊に、愛知県内を走るJR武豊線が、来年の3月1日より電化される、という記事が載っていました。
天皇誕生日のこの日に、外孫二人が我が家にやってくることになっていましたので、クリスマスプレゼント代わりに、孫たちをディーゼル列車に乗せてやることにしました。

ただ単純に列車に乗って往復するだけではなく、その地で孫たちが遊べるところを考え、公園施設のある場所を探したら、駅からそう遠くない場所に「於大公園」のある「緒川駅」が頭に浮かび、そこにいくことに決めました。

JR東刈谷駅から大府駅まで東海道本線を使い、大府駅では目指すディーゼル車両の武豊線に乗り換えます。
そこから二駅先が「緒川駅」で、「於大公園」はその1km先になります。
武豊線の気動車(ディーゼル車両) ↓

小生的には今回が乗り収めになりそうです。

ディーゼルカーの後部車両 ↓

乗ってきた車両を孫と見送ります。

緒川城址 ↓

(以下の記述はネットからのコピペです。)
緒川城は水野貞守が文明年間(1469年~1487年)に築城したと伝えられ、忠政や信元ら水野氏の居城になりました。 緒川の比高8メートルの台地に築かれ、絵図によれば主郭は東西83メートル、南北95メートルの平城でした。 忠政の娘で、徳川家康の生母於大の方(伝通院)が生まれた所でもあります。 城址内には於大の方出生地の碑が立っています。 現在は主郭の北東部の土塁の一部が残され、公園となっています。

その於大の方出生地の碑 ↓

この場所は小さな公園の一隅であり、孫はそこで一遊びします。
ところで、於大の方(おだいの方(1528年-1602年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性で松平広忠の正室で、徳川家康の母親です。晩年は剃髪して伝通院と称しました。
法名は傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼と、凄いことになっています。

サネカズラ ↓

於大公園に向かって歩く道のりで見かけました。

於大公園 ↓

(ネットから記述引用します。)
於大公園(おだいこうえん)は、愛知県知多郡東浦町にある公園で、敷地面積は、12.1haあります。
名称の由来は、かつてこの地を治めた水野氏の出身である於大の方(徳川家康の生母)に因んでつけられたものだそうです。

長いすべり台 ↓

公園内には思いのほかにさまざまな施設があり、孫は喜んで遊んでいます。
このすべり台は30メートルほど有り、ちょっとした冒険気分に浸れます。

緒川城主水野家三代のお墓 ↓

於大公園東の林の中に、緒川城主初代水野貞守・二代賢正・三代清忠の墓があり、それぞれ高さ1メートルほどの同じ形の五輪塔です。
まわりにぐるっと鉄条網が張り巡らされていて、至近距離でお参りすることは出来ませんでした。

夕暮れの緒川駅 ↓

武豊線は来たる3月1日から電化はされますが、未だに単線です。この駅では上りと下りが同時に入線でき、お互いを退避できるようになっています。

反対側ホームに入線 ↓

夕暮れのホームに下り列車が到着し、小生たちが乗る上り列車を待ちます。

夕空 ↓

上りの列車に乗り、車窓から遠くを見ると、夕空が凄い色に染まっていました。



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