ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

2/21日 ペダル&ウォーク 三河湾沿いの三ヶ根山 その4(最終記事):もと来た道で下山。自転車では向かい風とお付き合い。

2019-02-27 07:09:34 | 草花
最遠点と決めて置いたグリーンホテル三ヶ根まで来たので、そこからは引き返すことになります。
歩いて来た道をそのまま引き返すのですが、晴れて天気が良い割には遠くの眺めが春の靄に邪魔されているのは同じことでした。
来る時に見落としていたものや、見過ごしてきたものなどを拾いながら戻ることにします。

タネツケバナ ↓




オオイヌノフグリ ↓




ハコベ ↓




スカイライン上から最高地点を見る ↓

帰り道はかなり効率的に歩いています。時折単車とすれ違います。



ジョウビタキ ↓

これはメスの方ですね。



振り向いて ↓

先ほど行ったグリーンホテル三ヶ根が遠くになりました。



廃墟二軒 ↓



下の画のものは旧三州園ホテルで、ここには開業間もないころに一度だけ宿泊したことがあります。
たしか昭和42年か43年のことだったと思いますが、建物の最上階に「雲上風呂」があり、そこからは360度の大展望があったように記憶しています。
あれだけの建物が現在廃墟になっているのは残念なことです。日本の活力が随分低下しているなと感じました。



西浦温泉と渥美半島 ↓

西浦温泉地区が海に突き出していて、その背後には渥美半島の山並みが薄く見えています。



スカイライン ↓

そろそろスカイライン歩きを始めたところに近づいてきました。



ここから山に入って行く ↓

ここから山道に入って行きます。これといった目印がなかったので、来るときに枯れ枝を置いときました。



フユイチゴ ↓

もうこの時期ですので、フユイチゴの実は野鳥にすっかり平らげられてしまっています。



ロープウェイの旧山頂駅施設 ↓

このコンクリートを回り込んで下りて行きます。



暖地性の灌木帯 ↓

時刻は午後一時を過ぎたばかりで、稜線の明るい灌木帯を下って行きます。



アオキ ↓

アオキの実も見ていきます。



出発地点 ↓

目の前に車道が見えて来ました。これにて山歩きの部分は終わります。
乘ってきた自転車も無事に待っていてくれます。



歩行数

思いの外にカウントされていたと感じました。



自転車にて帰路の始まり ↓

この暗い空間から車道に乗り出していきます。帰路の所要時間は2時間弱でしたが相当強い向かい風に悩まされたのはいつものこととなりました。


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2/21日 ペダル&ウォーク 三河湾沿いの三ヶ根山 その3:三ヶ根スカイラインの終点まで グリーンホテル三ヶ根 昭和天皇の足跡 

2019-02-26 07:07:49 | 草花
「殉国七士の墓」にお参りした後は、三ヶ根山スカイラインに戻って、終点まで歩きます。
そして、その先にあるグリーンホテル三ヶ根まで行ってから、もと来た道を戻ることにします。
グリーンホテル三ヶ根は(たしか)農協系の経営だと思いましたが、ここに昭和天皇ご夫妻が宿泊されているのです。

昭和54年5月26日
天皇皇后両陛下は植樹祭にて愛知県豊田市北部の藤岡へ行くことになっていました。
その前夜泊として、わざわざ遠隔地でスケジュールには不便な、このグリーンホテル三ヶ根を希望されました。
(その時のお召列車を、小生はたまたまJR東海道本線の豊橋駅付近の踏切待ちで見ています。
 昭和天皇はこちら向きで手を振られ、皇后陛下はむこう向きでありました。)

ここグリーンホテル三ヶ根から「殉国七士の墓」はホテルから直線距離にすると、約1.5km北にあります。

翌5月27日の朝の6時ごろ、昭和天皇御夫妻は大きな窓から「殉国七士の墓」の方向に向かい、直立でお立ちになり、15分以上黙祷されていたといいます。(これはそのお立場からすると、とても長い時間ではないでしょうか。)

昭和天皇がこのホテルに宿泊された意味はそういうことの為だったのでしょうね。
(昭和天皇は東条英機首相を「忠義の篤い人」であったと位置付けていたそうですが、かといって「殉国七士の墓」を直接訪問するのも諸状況を勘案すると、いろいろ微妙だったことでしょうから。)

またその年の11月8日には美智子妃殿下と紀宮清子様も同じホテルにお泊りになり、同じことをされたと聞きます。

スカイライン歩きをしていきます。

蔵王山 ↓

対岸に渥美半島がぼんやり見えていて、蔵王山も何とか見えます。



三谷温泉 ↓

海にせり出して見えるのは三谷温泉のようです。



キヅタ ↓

キヅタは実になっています。



最高地点 ↓

この山の最高地点は、先ほどあそこまで行って二本のアンテナ塔を見上げて来たばかりです。



企業の保養所 ↓

地元企業の保養施設が好位置に陣取っています。



桑谷(くわがい)山・遠望峰(とぼね)山 ↓

今度は遠望峰山の左側に桑谷山も見えました。



三河湾 ↓

三河湾は眼下なのですが、春の靄に邪魔されてスッキリとは見えません。



トベラ ↓

トベラの赤いつややかな実も時期的に遅くて、やや干からびて見えます。



有料道路の料金所 ↓

ここが三ヶ根スカイラインの出口となります。このスカイラインは西尾市東幡豆町から蒲郡市金平町まで5.1kmの道路で、普通車なら420円支払うことになります。


有料道路から出てもう少し歩いて行くことにします。


グリーンホテル三ヶ根 ↓

今回はあそこまで行って見ることにします。



ムスカリ ↓

道路わきでこんな花も見ました。



もう一度蔵王山 ↓

再度渥美半島の山並みを確認して行きます。



衣笠山 ↓

この山頂からの富士山は小さいけれども良い姿でした。



大山 ↓

渥美半島の先端近く、一等三角点のある大山からも富士山は見えていました。今回は靄のために山を見るのがやっとという有様です。



西浦温泉 ↓

海にせり出しているのは西浦温泉の街並みです。



グリーンホテル三ヶ根 ↓

ここのエントランスに入り、支配人さんと言葉を交わして若干の情報収集をしました。


ここから、今来た道を帰って行くことにします。


昭和天皇の行幸啓石碑 ↓

碑の傍らに天皇ご夫妻と美智子妃殿下が昭和54年の5月と11月にそれぞれ訪問されたことが別の石に刻まれていました。



ハルノノゲシ ↓

北風の当たらないところでは、道端の所々で、この花がうらうらと咲いていました。
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2/21日 ペダル&ウォーク 三河湾沿いの三ヶ根山 その2:三等三角点からスカイライン歩き 三ヶ根観音 最高地点 殉国七士の墓

2019-02-25 07:02:50 | 草花
この記事では今回の三ヶ根山歩きのハイライトともいうべき場所を歩きます。
第一には:三ヶ根スカイラインの終点まで行って見ること。
第二には:三等三角点を探すこと。
第三には:この山域の最高地点に行く-----ことでした。
そのどれも前回この山を歩いた時にし残したことだったからでした。
今回は上のすべてをクリアーして戻ってきましたので、写真とともに順次レポートしていきます。

三等三角点 ↓

前記事のロープウェイ山頂駅からそう遠くない場所にこの三等三角点がひっそりと設置されていました。
前回来た時には探し当てられませんでしたが、それは違う場所を探していたからでした。

このすぐ下に三ヶ根山スカイラインが走っています。

三ヶ根山スカイライン ↓

この道路は有料道路で、自転車の通行禁止であり、歩いても車道は通れないとありました。幸いなことにほとんどの場面で歩行者専用の道がつけられていたので、その道を歩いて行きます。



ヒメオドリコソウ ↓

道端の北風を避ける場所の陽だまりで、ヒメオドリコソウが咲いています。



遠望峰(とぼね)山 ↓

開けた場所からは先日自転車で行った遠望峰山(とぼね)が見えますが、同時に行った桑谷(くわがい)山は位置が悪くて見えません。

スカイラインから少しだけ外れて三ヶ根観音に行って見ます。


三ヶ根観音 ↓

三ヶ根観音(さんがねかんのん)は、商売繁盛の観音と、ぼけ封じ白寿観音などもまつられています。
広い境内には太平洋戦争のフィリピン戦の戦没者を弔う比島観音をはじめとして沢山の慰霊碑が祀られています。



比島観音 ↓

その代表的なものがこの観音様像です。



薬害根絶祈願碑 ↓

こういう石碑もありました。



君が代 ↓

戦場ではどんな状況下でこの歌が歌われていたのでしょうね。



近衛歩兵の碑 ↓

この建造物は皇居の正門を形取ったそうです。



ソシンロウバイ ↓

境内の一角で満開になっていました。



第一見晴台 ↓

小高いところに見晴らしの良さそうな場所があり、そこに行くと三河湾の眺めがありましたが、生憎の春靄でくぐもった眺めとなっています。

再びスカイライン歩きに戻ります。


無名峰 ↓

再び小高い場所が現れましたのでそこに行くことにします。



水仙 ↓

小高い場所を登り詰めると最上箇所は藪になっていました。標高が恐らく340mくらいのところでしょうか?
この山域では一・二を争うような標高になっていますが、山名表示も何もなくて、藪の中に水仙の花が咲いているだけでした。



最高地点はあそこ ↓

その無名峰からあたりを見回すと、どうやらアンテナの塔が立つあの場所が最高地点のようです。
ならばそこに行って見ることにしましょう。



最高地点の目印 ↓

やがて目指す場所にやって来ました。アンテナが二本、小生を見下ろしています。



最高地点の表示 ↓

小生の地図上では345mの高さまでは確認できるのですが、看板に書かれた350mとなると果たしてどうなのでしょうか。

ここをあとにして、今度はその北にある「殉国七士の墓」にお参りすることにしました。


「殉国七士の墓」について:
祀られているのは、先の東京裁判で、いわゆるA級戦犯とされた、板垣征四郎・木村兵太郎・東条英機・土肥原賢二・広田弘毅・松井石根・武藤章の七名です。

東京裁判の正当性については議論のあるところですが、絞首刑の執行は昭和23年の12月23日のことでありました。この日は今の天皇の誕生日でもあります。そしてクリスマス・イブに掛からない日でもありました。
絞首刑となった七士は、即日横浜市の久保山で火葬に付されました。
処刑された遺体と遺骨は米軍側が「神格化」と「英雄崇拝」・「軍国主義復活」を懸念して、誰にも引き渡されることなく、遺骨については米軍側が持ち去り、どんな始末がついたのかは定かではありません。

しかし、遺体を焼いた台の上に灰と一緒に残っていた小さな骨は、共同骨捨て場に捨てられていたのです。12月25日の晩のことですが、それを密かに拾い集めて、寺にで供養・安置した人達がいました。

サンフランシスコ講和条約の後、時を経ても七士のお墓建立の動きは粘り強く進められていました。
その強い推進者は地元形原町出身の三文字正平弁護士であり、彼は遺骨奪還の当初からの計画者であり、12月25日晩の遺骨収集実行者でもありました。
七士のご遺族、政財界での賛同者を募り、各方面の有志たちと連携し、資金と場所の確保に奔走します。

そして、昭和35(1960)年8月16日に愛知県幡豆(はず)郡幡豆町役場の好意を得て、三河湾国定公園三ケ根山頂に、七士の墓碑とご遺骨の埋葬を実現しました。
この日、三ヶ根山の「殉国七士廟」の前に、関係者とご遺族が列席し、初の慰霊祭が執り行われました。


「殉国七士廟」と書かれた塔?石門? ↓

この左側にももう一本立っています。高さは4-5メートルはありそうな大きなもので、岸信介元内閣総理大臣の書だということです。



モニュメント ↓

ブロンズ製の大きなもので、像本体の高さは6-7メートルあるのではないでしょうか、作品の芸術性はともかく、初見では不気味さを感じました。



殉国七士の墓 ↓

ここに先述した由緒の遺骨が安置されています。
ご遺族の方たちのその後の辛苦を思う時に、胸が締め付けられます。
仏教では死んだしまったらみな仏ですね。

ここでは心を込めてお詣りさせていただきました。 
靖国神社問題とは違い、この場限定ですが、他所の国からの批判はこの際問題外だと思いました。
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2/21日 ペダル&ウォーク 三河湾沿いの三ヶ根山 その1:漕ぎだしてから山の稜線上の東側の端に出るまで

2019-02-24 07:08:25 | 草花
2月21日に三河湾沿いの三ヶ根山を歩いて来ました。例によって自転車で山麓まで漕いでいき、そこから徒歩ハイキングに切り替えて戻ってくるという、往復同じ道を漕いで・歩いて来たものです。

付近の高楼から見た三ヶ根山の姿 ↓


それをカシバードで地点確認 ↓

三ヶ根山というのは東西に長い山頂部分全体を指す呼称のようで、三角点は東寄りの305.7mの場所にあるようですが、最高地点はそれよりも1.2kmほど西に350mと記された札のある場所となります。

この山には先の大戦でA級戦犯とされた方たちの遺骨が七人分まとめて祀られていて、そこには「殉国七士の墓」が建てられています。

今回は三ヶ根スカイラインを目指して山道を登り、スカイライン上を歩いて三等三角点、三ヶ根観音、最高地点、殉国七士の墓、スカイライン終点、グリーンホテル三ヶ根まで足を延ばしてきました。

グリーンホテル三ヶ根は昭和54年に昭和天皇と皇后が宿泊され、同じ年の11月には美智子妃殿下と紀宮清子様も宿泊されています。
このことは「殉国七士の墓」とも関連して、静かに広く知られているところです。(別の日の記事で少し詳しく書くことにします。)

位置図 ↓


実行図 ↓

北から南まで往復しました。

断面図 ↓




一晩遅れのスーパームーン ↓

朝の暗いうちから走り出しました。入り残った月が西の空にあり、前日朝の月でしたらスーパームーンだったと聞きます。



朝ぼらけ ↓

先日自転車で走った桑谷山と遠望峰山の稜線が朝の空を区切っています。

山麓まで漕いできて、登山口に着きました。そこで自転車を樹木に括り付けて、今度は歩くことになります。



山歩き部分の実行図 ↓

ここでは右上から左下までを歩いて往復しています。



歩き始め ↓

歩き始めたのは7時10分を過ぎた頃でした。始めとしてはやや急に感じる斜面をジグザグを切って登って行きます。



カラスザンショウか? ↓

これはカラスザンショウなのでしょうか、それともイヌザンショウなのでしょうか。肌にたくさん棘の痕の突起がついています。



道標 ↓

要所要所に道標がしっかり置かれていて、道もしっかり踏まれていて、山歩きにはもってこいの場所のようです。



朝日差す ↓

左手から輝かしい朝陽が差してきました。



コウヤボウキ ↓

コウヤボウキの果実の跡が出てきました。



モグラ ↓

地中で頑張る小動物が、地上に出て昇天していました。



朝日の中を ↓

朝日に照らされた木々の中を心地よく進みます。



シュンラン ↓

春蘭の根元には花の蕾が見えて来ました。



ユズリハ ↓

この山でもユズリハを見ます。



カクレミノ ↓

カクレミノの木はやや暖地性のようですね。



コクラン ↓

ここでもコクランを一度だけ見ましたが、葉がややいじけている様に見えます。



山頂駅の跡 ↓

このコンクリートの塊は三ヶ根山ロープウェイの山頂駅跡のようで、ロープウェイは昭和32年から昭和51年まで営業されていたようですが、三ヶ根山スカイラインの完成によって乗客が減少し廃止となったようです。小生も昭和41年の12月にこのロープウェイを利用したことがあります。
これにて山頂部の東端に着きました。



東側の眺め ↓

そこから東側に視界が開けているのですが、今回も靄によって山の眺めがよくありません。近場の山が見えている程度です。

三ヶ根山行はシリーズ化して4度に分けてレポートします。
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2月22日 春の歓び 福寿草がやっと開花しました。

2019-02-22 14:23:24 | 草花
腰の痛みが来て整形外科へ、歯の詰め物が取れて歯科医へ、花粉症が来て内科医へ・・・・・。

真面目に通院したおかげで、現在は整形外科にリハビリで通うだけになっています。
花粉症の症状は毎年のことですので、お付き合いの仕方も慣れっこになってきています。

例年ですと二月に入って立春の頃に福寿草の花を見ることが出来ていましたが、今年は花が思い切り遅れて、本日やっと、最初の一輪が開いてくれました。

あまりにも遅れていましたので、株が傷んでしまったに違いないと悲観していましたが、よく見ると花は4輪咲くようです。
その後はどういう株になるのか注意して見て行こうと思っているところです。

本日の表題は「春の歓び」としましたが、人間ばかりか、花本人も喜んでいるように見えます。
小生の場合はフクジュソウには格別の思い入れがあり、ブログのプロフィールに使う写真ももう15年以上もこの福寿草の写真で通しています。

栽培している福寿草の初代の株は、ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の勢力旺盛な根に駆逐されて絶え果ててしまいました。
そこで急遽、群馬県の友人のところで株分けをしていただき、一昨年に持ち帰ったものがこの花となっていますが、まだ本格的に根付いていないというような感じがしていて、ヤキモキしているところです。
本日の開花を端緒にして、増殖してくれれば…と願っています。

2月17日 ↓




2月18日 ↓




2月20日 ↓




2月21日 ↓




そして本日になります。

午前10時30分 ↓




正午直前 ↓




午後1時10分頃 ↓

これが最大限の開き方だと思います。

ぶちょうほうの春はこれから始まることになります。
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