ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

2/22日 不要不急の外出とは・・・・・・?

2020-02-22 19:48:37 | 草花
(以下はネット上の朝日新聞記事から抜粋):
新型コロナウイルスの対策で、国は不要不急の集まりを控えるように呼びかけている。
16日に開かれた政府の専門家会議。座長の脇田隆字・国立感染症研究所長は会見で、何が不要不急の用事にあたるのか、と問われ「新年会を行うとか、送別会を行うとか、そういったところには当てはまる」(抜粋終了)  と言っています。

ならば、小泉環境大臣が新型コロナ対策会議を欠席して地元の新年会に出席したのは、不要不急の用事に当たるのではないか・・・・・と中日新聞のコラムで書かれてしまいました。
萩生田文科大臣も森法務大臣も別の理由ではありますが欠席していることが判明しました。
こういうご時世ですので、世論は過敏に反応しますから公人は行動には要注意ですね。

国の呼びかけには「自分が感染したら人に感染させるかもしれないし、広がるほど重症者が増える。なるべく自分が感染しない行動を」(脇田国立感染症研究所長)という意味があります。
不要不急の外出を控えることの他にテレワークの促進や時差出勤なども呼びかけました。

この病気が潜伏期間の長いものであるのも対応を複雑にしていますね。
中小企業に勤める大半の勤労者は「軽い症状では休めない職場環境である」、「時差通勤の規定がない」、「テレワークなんてやっていない」職場が大部分でしょうから、今後はこの職域格差が顕在化しかねませんね。
私ことになりますが、「そろそろ山歩きをしたい・・・」という希望を持っていましたが、これも「不要不急の用事」になりそうですので自粛しています。

本日は午後から雨が上がり、庭に出てみるとツクシが何本か出ていました。





未だ弱弱しい姿ですが、もう少しすると姿かたちの立派なものを見ることが出来るようになりそうです。



水仙 ↓

水仙は未だ盛んに咲いていますが、そろそろ峠を越えつつあるようです。



クリスマスローズ(赤色系) ↓





白花よりも遅く、今やっと咲き出しました。

白花のクリスマスローズ ↓



暦はこの19日から雨水に入っていました。昨夜からの雨が良いお湿りになっていますね。
次の啓蟄は3月5日でしたが、その頃には流行りモンに終息のめどが立っているでしょうか。
同時に花粉の飛散は山を越えるのでしょうか。
コメント (9)
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2/14日 知立(ちりゅう)の弘法様(遍照院弘法山)で初弘法を見てから過日の難読句に再度対面。

2020-02-17 06:08:12 | 草花
弘法様(遍照院弘法山)の門前に来ましたが、その前の通り(弘法通り)が、時間を区切って交通遮断して歩行者専用になっていますので、道の両側は露店がたくさん出ています
お寺さんの境内に入る前に、その露店を見ておくことにしました。
弘法通り ↓

朝10時頃でまだ少し早いのでしょうか、それに天気も思わしくなくて、思ったほどには人が出ていません。



刃物屋 ↓

爪切りやナイフから包丁や鎌まで、昔の民家で使われるものなら何でもありそうなお店でした。



大あんまき ↓

中京圏では、大あんまきで知名度抜群の藤田屋が、露店を出しています。

その他にも野菜・果物、お赤飯、お餅、塩干魚、農機具、ホットドッグ、お好み焼き、串焼き、ウナギどんぶり、お線香・・・・など、沢山の業種が並んでいます。
適当なところまで歩いて、引き返します。

山門前 ↓

山門前もいつもとは違い、露店があるし、人もたくさん通り、確かに、縁日の賑わいとなっていました。


境内でも実にたくさんの露店 ↓

境内でも実にたくさんの露店が並び、パン、飲み物、野菜の苗その他たくさんの業種が揃っていました。
凄いなと思ったのは見た瞬間に女性の”ズロース”という古い言葉が出てくるほど、昔懐かしい下着の部類まで売られています。


さて、ここで先日解読できなかった俳句の石碑のところに行って見ます。

この句をパーツごとにしっかり撮っておきます。そして家に帰ってから判読を開始しました。
上の句 ↓

石蹴までは読めますが、その下の文字は”連”という漢字と”者”の変体仮名のようです。
「石蹴連者」を俳句の上の句ですので・・・・「石蹴れば」とむりやり読んでみます。


次の句 ↓

「冬能〇さて」・・・と見えます。〇の部分を「硬」という字に(これも無理筋ですが)読むとすると、  「冬能硬さて」となり、俳句の中の句ですから連用形であると見做して、ここは、
「冬の硬さで」と無理やり読んでおきます。

そして最後の部分になります。
下の句 ↓

始めの漢字はどうも「残」の字に見えます。
そうなると「残〇里」又は「残〇〇里」となりそうです。
〇で一字ですと俳句の字数が足りませんから、ここは二文字のはずです。
〇でも〇〇でもこの部分は変体仮名でとても読めません。
しかし、最後の言葉は「里」(り音)ですから、ここはきっと詠嘆の表現であろうと見当をつけ、「なり」または「けり」で結ぶ俳句に違いないと見当をつけました。
つまり下の句は「残るなり」または「残すなり」、「残しけり」、「残りけり」ということになります。
そのつもりになって変体仮名をあたって行くと、「留」という字と「那」という字が石碑の文字に近い崩し字だと判明しました。
そうするとと石碑に刻まれていたのは「残留那里」と判断し、これを「残るなり」と無理やりに読んでおきます。

結果的にこの句は
「石蹴れば冬の硬さで残るなり」
          と小生なりの無理読みとなりました。
一つの俳句として成り立ちそうですが、意味が通るようにも、通らないようにも思えます。

俳句の判読ごっこはこの辺で・・・・・

アセビ ↓

アセビがか細くも咲き始めてきました。



カナメモチ ↓

カナメモチの実がその後まだ残っています。やはり野鳥たちはこの実を気に召さないのでしょうか。


奥之院 ↓

奥之院の弘法様の前も納経所や露店があり、沢山の人が訪れています。
境内をひと回りして、来た道で家路につきます。
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2/14日 付近の神明社を見ながら知立(ちりゅう)の弘法様(弘法山 遍照院)へ:上の段

2020-02-16 07:08:52 | 草花
2月14日は旧暦の知立(ちりゅう)の初弘法ということで、そこへ行って見ることにしました。
目的の一つは、今でもこの日は賑わうということでしたので、その賑わいを見ておきたかったことと、今一つは境内の石碑にある難読句(2/9日記事)のしっかりとした写真撮影をするためでした。

弘法大師(空海)は高野山で入定(にゅうじょう=衆生救済を目的として永遠の瞑想に入ること=平たく言えば死んだことですが、真言密教では僧は死なないことになっていますので、空海さんは未だに生きて瞑想しているということになっています。)した日が旧暦の21日であります。

死んではいない筈なのですが、旧暦の21日は毎月「お命日」となっています。
この2月14日は旧暦の1月21日であることから「年の初めのお命日」ですから「初弘法」となり、露店などもたくさん出ていて、ことのほかな賑わいがあるそうです。

人の集まるところには顔を出さないと収まらない、野次馬根性丸出しで、歩いて行くことにしました。(上の段ではその道筋を記述します。)

曇り空の下を万歩計つけて歩き出します。
新林の神明社 ↓

いつも歩く道とは違う道を歩いて行くと、子供の遊び場ほどの土地に神社が祀られていました。
建物はごく小さなものですが、こじんまりと、小ぎれいにされています。
神様に拝礼してから由緒書きを読みます。

由緒書き ↓

小さくてもれっきとした神様ですね。


傾いた松 ↓

この松にも下の説明のような、「人生の荒波」が宿っていました。

伊勢湾台風に苛められ ↓

あれからもう既に60年が経ってしまったのですね。小生が高校一年生の頃でした。



山神様 ↓

狭い小さな境内ですが、山神様も祀られています。
wikiに興味深い記述があったので部分的に引用しておきます。
(部分引用開始):
農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる年神も山の神と同一視される。ほかに、山は農耕に欠かせない水の源であるということや、豊饒をもたらす神が遠くからやってくるという来訪神(客神・まれびとがみ)の信仰との関連もある。
なお、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現が生まれた。(部分引用終了)
我が家にも約一名、山の神様が天下を取り仕切っています。


ゴリラ ↓



建物にゴリラが取付いていますので、廻り込んで、下から顔を見ました。


河川改修 ↓

水量の少ない今、やや大掛かりに河川改修が行われていました。

川を渡ると弘法山の遍照院が間近に迫ります。

駐車場 ↓

弘法様の縁日には周辺の所々に特設の駐車場が出来ますが、この時間帯はすでに満車になっています。


交通規制 ↓

月命日には午前8時から午後4時まで、この道(弘法通り)が交通規制されます。
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2/11日 三ツ瀬明神山 下の段(最終記事):山頂の鋼鉄製展望台の上から山岳景観を満喫して下山。

2020-02-15 07:03:07 | 草花
この日の快晴を狙っていて、抜群の見通しを当てにしてこの山の頂にやって来ましたが、今回に限れば計画と成果が上手く噛みあいました。
いつもの”雲霧霞雨之介”ではなくて、夢にまで見た「晴れ男」になれていました。
こんなことは・・・・(小生の場合は・・・・)滅多にないことなんです。
こうして展望台の上から見る絶景を記述できることは有り難いことだと感じています。
三ツ瀬明神山についてネット上の記載を一部分コピペしておきます。
(一部引用開始):
三ツ瀬明神山の周辺にある山々は、「設楽山地」と呼ばれているが、この三ツ瀬明神山は、その主峰と位置されている。
山の地形は急峻で、稜線上は岩場・やせ尾根・鎖場が続く。1016メートルの山頂には鉄骨製の高さ4メートルほどの展望台があり、そこからは360度の展望が開ける。
南側の山裾には、鳳来湖があるが、この展望台上からは山体が妨げになって見えない。
(しかし、途中の馬の背岩からは鳳来湖が見下ろせていました。)
 (引用終了)
それでは目の位置の、”標高1021メートルからの展望”を並べていきます。
中央アルプス ↓

空木岳は山体の陰になるようです。

仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳 ↓

仙丈岳の右側の尾根上に、甲斐駒ヶ岳が姿を見せています。

北岳・間ノ岳・塩見岳 ↓

白根三山のうちの農鳥岳は、前山の陰になってしまいます。

重鎮群 ↓

荒川岳・赤石岳・聖岳の重鎮群がひときわ存在感を見せつけています。近い分だけ大きく高く聳えます。

南部にカメラを向けます。




南部の山並みに交じって ↓

富士山が顔を出します。

富士山をズーム ↓

富士山は奥ゆかしく姿を見せてくれます。

恵那山と大川入山 ↓


大川入山と愛知県最高峰の茶臼山、二番目の萩太郎山 ↓


大鈴山 ↓

木の枝が邪魔しています。

天狗棚 ↓


山岳景観を味わった後は、やや遅い昼食タイムです。
雑煮を作ろうとして、いろんな道具を背負って来ました。
餅は自家製で、前夜のうちに焼いておきましたが、ベータ化しているので、煮汁の中で形くずれしないように注意して煮込みます。
雑煮を食べ終わったところで、余った水は捨て去り、これによって3㎏近くの減量となりました。

途中から一緒に歩くようになった浜松の年配男性と歓談して、山の話に花を咲かせます。
小生が「足が攣る」ということを聞いて、親切にも特効薬(芍薬甘草湯エキス)を二包差しだしてくれました。
御厚意に甘えて時間差で一包ずつ飲みましたが、やや攣りが残る感じですが、気にせずに下山に掛かります。

西峰 ↓

帰り道で、これが見納めになる場所で西峰を撮ります。

シキミ ↓


アセビ ↓


岩場の下り道で、足を大きく曲げ伸ばしして踏ん張る場面で、また太腿攣りが出てきました。
すると同行の方が、今度は塗り薬を出して、先ずご自身が塗ってから、小生にも勧めてくれました。
小生はこの時、試験的に左の太腿にだけ薬を塗り、右の方には塗らずに効き目を試しました。
すると左腿の攣りは出ませんでしたが、右腿の方はやや攣り気味で終始していました。
矢張り、薬の効き目はあるようです。

来るときに見上げた鬼岩を過ぎるあたりから帰りの電車の時間が気になり出しました。
途中から同行している浜松の方は、自動車で来ているので、まだ時間的に余裕があるようでしたので、鬼岩を過ぎたあたりで「解散」することになりました。
小生のこのブログを案内した後、「ご縁があったらまた山でお会いしましょう」・・・とあいさつを交わしてお別れしました。

このあと急ぎ足で歩きますが、小生の急ぎ足は多寡が知れていて、ロッククライマーの方に二度にわたって追い抜かれています。

旧売店跡の駐車場 ↓

山間の空間は山の端に日が沈んでいて、やや暗さを増して、軒端では、早や!明かりが点されています。

三河川合駅着 ↓

歩いて、走って・・・走って、歩いて・・・を繰り返して、狙った通りに、電車に間に合う時間に大汗を搔いて駅に着きました。


電車内 ↓

すぐに電車が入線し、車内に入ると、ここでもガラ空きでした。
豊橋と蒲郡で乗り換えて、家に着いたのは19時半少し前のことでした。
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2/11日 三ツ瀬明神山 中の段:鬼岩、鬼岩乗越、三ツ瀬道と合流して馬の背岩を経て三ツ瀬明神山山頂まで

2020-02-14 07:05:52 | 草花
一服岩でやや長い休みを取った後、再び歩き出しますが、背負った荷物を「ズッシリ」と感じています。
やはり、山を歩くときに楽しさを感じるのは、荷物が軽いに越したことはないと思いました。

乳岩(ちいわ)川の上部 ↓

ここでは河原のようになっている乳岩川をまた渡ります。この川を渡るのはこれで5回目となっています。



鬼岩 ↓



林間に大岩が二つ、突然現れます。この岩の高さは50メートルくらいはありそうです。
オーバーハングした岩に取付いていたクライマーは女性でした。



鬼岩乗越 ↓

ここから先は10分ほど岩稜帯歩きとなります。



胸突き八丁の取り掛かり ↓

これから30分ほど急傾斜の山道と格闘します。その間で高度は200メートル近く上がります。


その途中です。



胸突き八丁の頭 ↓

急勾配を登りきると、鳳来湖の見える場所「胸突き八丁の頭」に着きます。



三ツ瀬道との合流点 ↓

胸突き八丁の頭から10分足らずで三ツ瀬道との合流点に着きます。ここの標高は912mで、判り易いこの場所でまた休憩を入れます。休んだら積極的に食べ物をとり、背中の荷物重量の軽減に努めています。


休憩後は、尾根道を平行移動するような部分を歩いて行きます。

やがて岩場の難所「馬の背岩」につきます。

鉄梯子で登る ↓


馬の背岩の上 ↓

馬の背岩は岩幅が1-2mほどで左右が切れ落ちています。岩の道の長さは10mほどでしょうか。

此処での眺めがすこぶるよいので写真を撮って行きます。

三河の山並み ↓

山裾に鳳来湖(宇連ダム)も見えています。


中央アルプス ↓

我家の近くで見るのとは大分形が違いますが、近づいていることと、空気が澄んでいることにより、素晴らしい眺めとなっています。


南アルプス ↓

木の枝が庇のようになっていますが、その下に南アルプスの峰が見えています。

それを大雑把に見ていきます。

北岳方面 ↓

位置の兼ね合いで、低い塩見岳が一番高く見えています。


塩見岳から重鎮たち ↓

今度は荒川岳・赤石岳・聖岳方面です。
ここでも聖岳が低いのに、一番高く見えています。

富士山 ↓

富士山も少しだけ見えています。

足場のおぼつかない馬の背岩を越えて、山頂を目指します。

山頂の展望台 ↓

馬の背岩を発ってから15分ほどで山頂に着きました。



山頂の明神様 ↓

明神様にお参りしてから展望台に登ることにします。
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