ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

2013年を送る  定めなき世のさだめ  本年最後の入り日

2013-12-31 19:05:30 | 草花
大晦日定めなき世の定め哉   井原西鶴

大晦日は一つのけじめとして、2013年最後となる入り日を見てきました。

自転車に乗ってちょっと離れた田園地帯まで漕いで行きます。
タンポポ ↓

水の枯れた田んぼの脇でセイヨウタンポポでしょうか、北風の当らない斜面で咲いています。



焚き火 ↓

同じく水の枯れた田で、焚き火をしていました。



ススキ ↓

近頃は身近でススキを見なくなりましたが、ここはお百姓の手の入らぬ場所のようで、ススキの群れがありました。



最後の夕映え ↓

今年最後となる夕景色ですね。名残惜しい眺めとなります。



かくれんぼ ↓

太陽が没するところを撮るのは結構難しいものがあります。
空がすっきり晴れていると眩しすぎて、日輪をまともには撮れませんから、ある程度は水蒸気のカーテンがあったほうが撮り易いのです。
今回はあたりに雲があったりして条件は良いようです。
今は太陽が雲の向こうに隠れています。



光の放射 ↓

昔の海軍の軍艦旗のような光の放射が見えていました。



接する ↓

ついに下側が接して来ました。



中途 ↓

日輪がドンドン沈んで半円になって来ました。



残り僅か ↓

一年の終わり間近かの名残惜しい場面です。



最後の一瞬 ↓

最後の最後の姿ですね。 これからまもなく2013年の太陽は姿を消します。


父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

大晦日ここに生きとし生けるもの 高浜虚子

あすは元日が来る仏とわたくし 尾崎放哉

ともかくもあなた任せのとしの暮 小林一茶 (あなたまかせ:阿弥陀仏にお任せする)

紅白歌合戦が始まりました。
これにて2013年を送ることに致します。過去365日の感謝を籠めて。

良い初日の出とそれ以後の新しい365日に期待しながら・・・・・・
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(三河で)今年最後の国際宇宙ステーション(ISS)を見送る

2013-12-31 06:58:02 | 草花
12月30日、夕方の5時44分から5分間くらいですが、国際宇宙ステーションが空を西から東に流れていくのを見ました。
三河からではこれが今年の見収めになるようですが、四国、九州、沖縄地方ではまだ大晦日の夕方6時半過ぎに見ることが出来るようです。

今回宇宙ステーションは西の方角から来て南に来るにつれて光を増し、そして東の方角に行って見えなくなりましたが、これを流れ星と見做して、願い事をしておきました。
それは「上手く撮れていて欲しい・・・・」というただ一つだけの情けない願いごとでした。

ブログをやって、皆様からご厚情を頂いて運営している身ですので、「皆様のご多幸を・・・」とか、もう少しマシなことを願っておけばよかったのですが、とっさに高尚なことは思いつかず、失礼しました。

国際宇宙ステーション ↓

画では右から左に流れていきます。光が線状になっているのはシャッターが開いている間の国際宇宙ステーション動きを表わしています。
若田さんはその間あそこで何を思って何をしているのでしょうか。




趣を変えて、地べたに置いた柿の実を食べに来た小鳥を見てください。
雀1 ↓


雀2 ↓

柿の実を取って渋抜きをしようとしましたが、それを入れる器の数が足りないので、柿の根元の地面に並べて放置しておきました。
地べたで、実が柔らかくなり、渋の抜ける頃に先ず最初に見たのは雀たちでしたね。
彼らは6~7羽で来て、柿の実にちょっかいを出していました。



椋鳥1 ↓



椋鳥2 ↓

椋鳥は雀よりも大型ですので、この場所に雀がいるときは追いかけて排除してから柿を突いています。
良く現れるヒヨドリも椋鳥とのバトルは好まないようです。


小鳥を地べたで遊ばせると、野良猫がそれを狙いに来ますので危険ですが、今は冬で、草も生えていないので、猫が身を隠す場所が無くて、小鳥に簡単には近づけません。
ここにメジロやシジュウカラが来てくれると嬉しいのですが、最近は見かけなくなりました。



本年もお世話になりました。

喰うて寝てことしも今宵一夜哉  一茶

皆様にはどうか良いお年をお迎えください。  亭主 ぶちょうほう
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12/21日 朝の虹

2013-12-23 07:19:40 | 草花
一昨日朝9時半頃のことです。
窓から何気なく西の空を見たときに虹が架かっていました。
空は晴れていたのに、「虹が掛かるなんて・・・?」と不思議に思いながらもカメラを持って外に出てみると、”狐の嫁入り”でした。
空からはとても微細なものが降っていました。
それで虹が出来たのだと納得しながら、電線や電柱などでごみごみとした風景越しに、空に架かったレインボウのブリッジを撮りました。



♪七色の虹が消えてしまったの シャボン玉のようなあたしの涙・・・・♪
「ラブユー東京」黒沢明とロスプリモスのせつない歌声を今でも覚えています。

ここで問題です。
虹は七色かどうかということですが・・・・・・
答えは:7色どころではなくて赤から紫まで連続する無限大の色であるようです。

私達は義務教育の理科の時間にプリズムを使って光のスペクトルを虹の色として紫・藍色・青・緑・黄色・橙色・そして赤までの7色を教わりましたね。

しかし、それらははっきり色分けされた帯になっているのではなくて、色と色の間は連続的であり、無限大に変化していますね。

上掲の写真は大変不鮮明で恐縮ですが、無限大の色変化が一本のレインボーに収まっていると考えるととても厳粛な気持ちも湧いてきます。

虹の七色説を提唱したのはニュートンらしいですが、彼も色と色の間の無限大の変化には気づいていたそうですね。
しかし、何故7という数字を採ったのか、そのことは良く判りませんが、当時のキリスト教思想と関連付けて、”7”という数字の神聖なことに由来するのではないかと推測する向きもあります。
そういえば1オクターブもドからシまで7色の音でしたね。

ところで世界各国ではどの国も虹の色を7色としているのではなくて、それぞれ違う見かたをしているそうです。
「見かた」というよりもむしろ「感じ方」といったほうが正しいかもしれません。

さて、それではこれから虹の光学的説明について・・・・・・
難しいことを考えているうちに虹は消えてしまいます。
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12/14日 日本ヶ塚山 静岡との県境に近い山:その7(最終)  佐久間ダム 

2013-12-22 07:15:09 | 草花
佐久間湖底から汲み上げた堆積砂 ↓

天竜川の中流に位置する佐久間湖の湛水域はダム上流側に33kmもの長きに亘るそうです。
天竜川はご存知のように諏訪湖を水源としていますが、これに中央アルプスや南アルプスからの支流が合流してきており、流れ込む土砂の量は膨大な量になり、これを放置しておくとダム湖の貯水機能が損なわれ下流域で洪水を巻き起こしてしまいます。
昨日記事のポンプ式浚渫船は堆積砂を底ざらえする役割を持った船で、浚えた土砂をこの場所で種類別に仕分けして管理・出荷するようです。



土運船 ↓

「土運船」という名前を始めて聞きましたが、そのものズバリの命名ですから役割は推測できますね。
浚渫した土砂または埋立用の土砂を運搬する船を言います。
画にある船では、そのもの自体では航行能力を有していなくて、他の船の動力に頼って移動するそうです。
佐久間ダムが堰き止める以前は天竜川の土砂はそのまま太平洋岸まで押し出されて、遠州灘の海岸を保ち、中田島砂丘を作っていたそうですが、それがなくなった結果海岸の侵食が進み、砂丘面積縮小や付近のマツ林が枯死する被害が発生しているということです。
ダムの建設というものが洪水被害の減少・電力供給・水の供給などで人に益することであっても、自然界のバランスを微妙に崩してしまうということですね。



湿雪 ↓

林間の暗い間を背景にして降る雪を撮りました。相当の湿り具合のようでした。



浜松市 ↓

佐久間ダムの天端を通って天竜川を越えて来ました。走っていた道は「長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間線」と言いますが、3県を通過する珍しい県道ということで、起点:長野県飯田市下久堅知久平919番の1から終点:静岡県浜松市天竜区佐久間町川上までの約92kmですが、1973年(昭和48年)4月に3県で路線番号を「1」に統一したそうです。
なおダムのあるこの地は以前の佐久間村から→昭和の合併での佐久間町を経て→平成の大合併で浜松市天竜区佐久間町になったそうです。



佐久間ダムの天端 ↓

ここを県道が走っています。



側面 ↓

佐久間ダムの高さは155.5メートルで建設当時は日本一の高さでした。
佐久間ダムの建設に当たっては当時の日本の土木建設技術の粋を集めたというどころではなくて、日本の技術では届かなかったところを先進国から集めて、資金、政治、技術、叡智、労力を総動員して成し遂げた国家事業でありました。
おそらく、昭和の輝かしい足跡の一つであるといえることでしょうね。


流木群 ↓

ダム建設で殉職した人の数は96人と深刻な人的災害を出してしまいましたが、この建設を契機として労働安全に対する意識の高まりはのちの労働安全と労働衛生の向上に資することになります。
川の表面を流れてきた流木群はダム直前で堰き止められています。


下流 ↓

下を覗くと気持ちが悪くなるような高度差がありました。
ダム完成の翌1957年(昭和32年)10月28日、昭和天皇・香淳皇后が佐久間ダムに来られました。
そのときに天皇・皇后が歌を詠まれましたがその内容はダム建設に関連して苦労を重ねた水没住民・事業者など全ての関係者を労わる内容のものであったそうです。


重力式コンクリートダム ↓

佐久間ダムは重力式コンクリートダムであり、コンクリートの固化作用を用いて堤体を一体化したダムで、上から見た形状が直線状のダムです。
化学的に固めているために堤体の傾斜を急に出来、河川の流れ方向の大きさ(ダム敷幅)が小さくて済みますが、重量が集中するため岩盤まで掘り進んで設けられます。
以前TVで見たうろ覚えの記憶ですが、当時のダムなどでコンクリート打設したものは中心部が完全に固化するまでに50年くらいの年月を要するとか言うことだったように思います。
50年以上経った今は芯まで完全にカチンカチンになっていることでしょうね。
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12/14日 日本ヶ塚山 静岡との県境に近い山:その6  大嵐(おおぞれ)駅 佐久間湖の浚渫

2013-12-21 07:07:55 | 草花
山から下りてからもいろいろ楽しみはありました。
今回同行のコリンさんがこの地に大変詳しくて、道中で耳に新しいことを沢山話してくれます。
そんな中で、JR飯田線の難読駅である大嵐(おおぞれ)駅にちょっと寄り道してくれました。
その駅は佐久間湖沿いに走る道路を吊橋で渡ったところにありました。
大嵐駅舎 ↓

この駅舎は東京駅を模して作ったそうですが、似ているでしょうか。
所在地は静岡県だそうですが、駅舎建設は愛知県側で行ったそうです。
竣工は平成9年7月です。(あとから定礎で明記)
これより下流に有った3つの駅は佐久間ダム建設によって水没したそうです。



難読駅名 ↓

さて「おおぞれ」という名前ですが、これには二つの説があります。
ひとつは「大崩れ」が転訛して「おおぞれ」となり、「大嵐」の字をあてたという説と、もうひとつは「それ」という言葉は焼畑を行っていた土地を指し、それを大規模に行っていたので「大ぞれ」となり、「大嵐」の字をあてたというものです。
いずれにしても駅名の「大嵐」はこの場所にあった地名から取ったということのようです。



駅の構内 ↓

ホームの前後にトンネルが有り、豊橋方面側のトンネルは大原トンネルと言って飯田線で最長 (5,063m) だそうです。小生は飯田線に乗って一度だけここを通っています。
wikiに拠ると:島式ホーム1面2線と側線を持つ地上駅。警報機の付いた構内踏切が平岡方面にある。中部天竜駅管理の無人駅である。 と記述されています。



定礎 ↓

建築物の名前が駅ではなくて「大嵐休憩所」となっているのが面白いところですね。
なお駅舎は富山村の小学生・中学生・老人クラブの人々の奉仕作業により常に美しく保たれ続けています。



郵便ポスト ↓

この駅の立地が3県境に近いことから、郵便物の集配も以下のように特殊なスタイルとなっています。(wiki記述によります)
新聞輸送や郵便配達に飯田線の列車が用いられている。郵便は愛知県でありながら、静岡県の日本郵便天竜郵便局によって行われており、社員は郵便物が入ったリュックを背負い、電車から降りると、駅前に停めてあるバイクに積み込んで配達に向かう。(引用終了)



鷹巣橋 ↓

県道からこの吊橋を渡って駅に来ましたので、帰りもこの橋を渡って県道に戻ります。



分地(ぶんぢ) ↓

佐久間湖の湖岸でこの分地という場所は砂利の集積場所みたいな様相を呈しています。
この場所にダンプカーが集まり、散っていきます。
狭い県道ですれ違う車はダンプカーが多かったですね。このようなトンネルが沢山ありますので、上手くすれ違うことが出来るか、何処ですれ違うか、そんな事でかなり緊張しながら走行します。



ポンプ式浚渫船 ↓

これは山から流れて来て、湖に堆積する土砂を底ざらえする船ですね。
相当量の流入があるようで、それは砂を運び出すダンプの数の多さでも窺えることでした。



雪雲 ↓

山の植林帯に雪が冠っているのが判るようになって来ました。下山した時間が早くてよかったですね。この雪は相当な湿雪でまだ山行中なら相当難儀をしていたことでしょう。

コメント (4)
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