ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/07日 黒沢口から歩く木曽御嶽 その5:黒沢登山道の最終部分を詰めていきます。

2016-10-13 07:26:20 | 草花
九合目の石室山荘より、もう少し高いところにあるのが覚明堂ですが、残念ながら廃業することになったそうです。

木曽地方の有力紙、信濃毎日新聞の今年三月のニュースによると、覚明堂は所有者がすでに2012年に亡くなっており、亡くなる少し前から営業をいったん止めていたそうですが、その後、NPO法人の代表者が宿泊を受け入れない避難小屋として運営して来たそうです。
このほど明らかになったことは、所有者の娘に当たる方が新聞社の取材に対して「営業を取りやめる」意向を示した・・・ということです。

小生がその小屋の前を通った時には、無人で、閉鎖されていて、今後どういう使われ方をするのかは知るべくもありませんでした。

険しい山道が続くこのコースですので、こういう施設があるということは心強いものです。
二年前、2014年の噴火災害時には、周辺にいた多くの登山者がこの小屋に避難し、小屋スタッフが、山頂方面から下山したけが人の応急手当てなども担ったところだそうです。

九合五杓の山小屋 ↓

その覚明堂を見上げます、そこは九合五杓ということです。



最奥に奥秩父の山並み ↓



この日は眺望が良くて奥秩父の山並みまでも見えてしまいました。




九合五杓に着きました。

覚明堂の小屋の前まで来ましたが、今は無人です。



ここにも霊場 ↓

小屋の前は霊場になっていました。ここからの眺望も胸のすくようなものでした。



富士山と塩見岳 ↓

富士山は相変わらず中央アルプスの三ノ沢岳の背後から顔を覗かせるような見え方です。
富士山の右には南アルプスの塩見岳が並び立っています。



稜線を目指す ↓

さらに上を目指して歩を進めます。



あの時のまま? ↓

オンタデでしょうか、枯草が焼け焦げた様にして倒れています、あたりに火山灰がありますので、噴火時に灰に埋もれて、そのままミイラのようになったものでしょうか。



剣ヶ峰の惨状 ↓

山頂の剣が峰が近くなっていますので、ズームして覗いてみますと、二年前、噴火時の惨状がそのまま残っているように見えます。



南アルプス南部 ↓



頂上に行く道が通行止めになっていますので、二の池方面に回り込む道を採ります。
南アルプス南部の峰も見えています。



富士山 ↓

午前8時42分、今山行では富士山の露出が一番進んだ状態のようです。



摩利支天山 ↓

二の池の方に回り込んでくると、これも御嶽の峰の一つ、摩利支天山(2,941m)が眼前に見えてきます。
標高2920m地点まで来て、すぐ眼下の二の池までは下りずに、この場所で景観を楽しんでから、引き返すことにしました。(時間は午前8時43分のことです。)


三ノ池・継子岳・北アルプス ↓



ここから北の方角には継子岳や北アルプスが見えます。また眼下には三ノ池の湖面がわずかに見えています。


三ノ池と継子岳 ↓

ズームして継子岳と三ノ池を見ます。



剱岳と立山も見える ↓

眺望の良さは、剱岳や立山が見えてしまっていることでも分かって頂けることでしょう。



槍と穂高 ↓

槍と穂高も最上の姿を見せてくれました。



鉢盛山と背後に四阿山など ↓



鉢盛山の背後に上信国境の根子岳や四阿山まで見えてしまっています。
コメント (6)
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