ぶちょうほうのさんぽみち(旧名:「気ままに野山」)

亭主「ぶちょうほう」の歩き回りで見た、身近にある風物や、野山の景色などをお楽しみください。

二十六日晩から二十七日未明の大雨、その前後に・・・・

2022-05-29 04:17:15 | 草花
タイトルのように三河でも26日の深夜から、27日の明け方にかけて音のするような大雨が降りましたが、幸いなことにそれほどの被害は出ていないようでした。
そればかりか庭の草木にとっては恵みの雨となったのはありがたいことでした。
(大きな被害が出ていなかったことをニュースなどで確認したうえで記事を書いていますが、もしも失礼がありましたらお詫びいたします。)
大雨は朝起きたときには上がっていて、草木の葉が十分に乾いた午後から草木に消毒を施して、気がかりなことを済ませてホッと一息つくことが出来ました。
24日の朝の空に月 ↓

空が明るくて、細くなった月を探し出すのが相当難しくなっています。月齢23.1。



ミヤコワスレ ↓

ミヤコワスレが涼しそうに咲いています。



アシナガバチ ↓

庭に来るのを別に迷惑には思いませんが、軒下などに巣を掛けられると何かの拍子に接触したりして刺されることがありますので、巣を作らせないように、それだけは注意しています。



キジバト ↓

大雨の来る直前でしたので、餌を置きました。すぐにやって来て完食してから居なくなりました。



大雨の来る直前の夕雀 ↓

餌をいつもの2倍にして置きました。こちらも完食して居なくなったところを見ると、彼らも天気の予知能力があるのかもしれません。

27日の明け方まで音を立てて雨が長い時間降っていました。
暗いうちは庭が水浸しになっていましたね。こんなことは久しぶりのことでした。

雨が上がってから・・・・・

アジサイ ↓

やがて晴れ間が出て、アジサイは嬉々としているように見えました。



ナデシコ白花 ↓


ナデシコ赤花 ↓

どちらも自生のカワラナデシコではなくて、園芸ものでしょうね。



27日夜になってからISS(国際宇宙ステーション)を見に行きましたが、時間が遅くて午後9時過ぎでしたので、条件が悪かったかもしれません。
幽かに見えたISS ↓

じつに薄ぼんやりとしか見えませんでした。いつもですと破線ですが、今回は点線でしか撮れません。
撮るのがとても難しい・・・・。
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明治用水取入れ口(頭首工)からサイクリングロードの終点まで (後段):工事で道が分断されていて厄介。

2022-05-28 04:40:54 | 草花
明治用水の流路に沿ってサイクリングロードが作られています。その距離は36.3kmと言うことですが、国道一号を潜る南側あたりからその自転車道が工事のために分断されていて、その都度案内に従って一般道路を自転車漕いで走っていくことになりますが、自転車用の専用レーンが引かれていない箇所もあり、危険を伴います。
明治用水の取り入れ口(頭首工)の様子を見た後はサイクリングロードの安城市側の終点まで走ってみることにしました。
明治用水基点付近の沈砂池 ↓

頭首工の取り入れ口から下流側に道路を暗渠で抜けたところに沈砂池がありますが、ここでも水位はぐっと下がっていました。

分断されたサイクリングロードを伝いながら安城市内にやって来ます。

明治用水会館 ↓

明治用水会館内の庭に農林水産省・関東農政局のポンプ車が来ていました。この車は先刻頭首工でも見たような気がします。

明治用水会館の裏手に、現天皇が皇太子時代に雅子様とともに訪問されたところがあります。

その記念碑 ↓

その時の皇太子ご夫妻が来られた時、私たち夫婦は道路に並んで、ご夫妻が車で通り過ぎる、その姿をチラっと眺めたものです。



訪問された「水のかんきょう学習館」 ↓

当時の皇太子殿下(今上天皇)は水についての見識も広く、探求心もあり、そのことからここが立ち寄り先に選ばれたそうです。
今回は閉館時間を過ぎていたために入館できませんでした。


大池公園 ↓

そのお隣にある比較的広い池で、一周する遊歩道があり、石仏も置かれていて、ここで擬似巡礼もできるようです。

このあたりからサイクリングロードは分断されることなく終点まで続きます。


マンテマ ↓

サイクリングロード上にこの花の群落がありました。



サイクリングロードの終点 ↓ ↓ ↓





ここから北に向かって豐田市荒井町地内までサイクリングロードが(分断されながら)作られています。

これにて家に向かって走ることにします。


石井辻原遊園 ↓

ここに岡本兵松翁の銅像がありました。



顕彰石碑 ↓

「明治用水発起岡本兵松碑」と刻まれています。



公園内のタイサンボク ↓ ↓ ↓





日が落ちて明るさが足りない中ですが、公園のすべり台の最上部からこの花を撮りました。

家に着いたのは午後7時少し前、走行距離は60km弱でした。
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明治用水沿いに取入れ口までサイクリング。道沿いの風物など (前段):往きの景色

2022-05-27 04:45:04 | 草花
先日明治用水の頭首工付近で堰の底付近で漏水があって、水の確保が困難になるという事態が起き、それを見に行きましたが、その現場の方にスポットライトを当てて記事を作りましたので、沿線の風物は未紹介でした。今回はそちらの方を二回に分けてレポートします。
用水の水嵩 ↓

この時は未だ通水していなくて、川底の石などが出ていました。



トベラ ↓

用水沿いにサイクリングロードが出来ていますが、そこにはいろいろな木が植えられています。トベラもその一員でした。



センダン ↓

この付近にアキグミの大きな株がありましたが、残念なことにそれは伐り倒されていました。
そして少し手前のセンダンの木が目立つようになりました。



シャリンバイ ↓

サイクリングロードの植栽ではトベラとこのシャリンバイが多く見られます。



明治川神社 ↓

明治用水の守り神のこの神社には当然立ち寄ります。(前出記事)境内には人っ子一人いませんでした。



三連水車 ↓

明治用水の水が止まっている現在はこの水車も開店休業です。



六所山・焙烙山・村積山 ↓

西三河の山並みが近くに見えています。



スイカズラ ↓

花の終わりが近い姿ですね。



もう一度センダン ↓

もう少し紫色が目立つと良いのですが、今年は花が控えめに思えます。



斜張橋 ↓

斜張橋に近づいて来ました。



斜張橋の基部 ↓

スケール感のある橋げたです。



カマキリの卵鞘 ↓

久しぶりにカマキリの卵鞘を見ました。カマキリも絶滅危惧種入りが近いような気がします。



矢作川に架かる斜張橋(とよたアローズブリッジ) ↓

このすぐ上流に明治用水の頭首工があります。 頭首工付近の模様は重複しますので割愛します。
橋が抱え込んでいる道路は新東名高速道です。
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明治用水を誕生させた偉人達は神様になっていた。

2022-05-26 04:10:00 | 草花
先日、「明治用水頭首工」の記事をアップしましたが、その時に頭首工以外で関連する事物も巡って来ました。
明治用水の誕生までを人物中心にレポートしたいと思います。

明治用水は1880年に通水した、西三河地方南西部に農業用、工業用の水を供給する用水であります。
幕末・明治維新期に、全国に先駆けて測量・開削が行われた近代農業用水でありました。
発案者は、江戸時代に土地の豪農にして酒造りを営み、代官でもあった都築弥厚(つずきやこう) ↓

で、1808年に西三河の原野に導水と新田開発を計画したのが始まりで、土地の農民からは強い反対に遭い、測量すらままならない状態でしたが、
和算家(数学者)石川喜平 ↓

の協力を得て、1822年から測量に着手し、農民の反対にあって、夜間にひそかに測量したりしながら、5年後(1826年)に測量を終えることが出来ました。

そして、翌年(1827年)に「三河国碧海郡新開計画」として幕府へ出願しました。

この「三河国碧海郡新開計画」は6年も経ってから、1833年に幕府から一部許可されましたが、同じ年の9月に都築弥厚が2万5千両余の借財を残して69歳で亡くなり、この計画は頓挫してしまいました。

計画はこの後40年余り中座してしまいますが、

1873年頃からこの遺志を継ぐ人物が現れます。
それは同じく豪農の岡本兵松(おかもとひょうまつ) ↓


と大庄屋の伊豫田與八郎(いよだよはちろう)(1822-1895) ↓

でありました。当初は別々の計画を持っていたそうですが、やがて1874年に一本化していきます。
この二人は協調して、岡本は反対農民の説得に、伊豫田は明治政府との折衝と資金調達にと役割を分かち合って働いたそうです。

そして、1880年の通水にまで漕ぎつけたものです。


ここで凄いと思うことはみな家財を使い果たすまで徹底して立ち働いたということですね。
発案者の都築弥厚(1765-1833)は借財を残して亡くなり、
岡本兵松(1821-1897)は親類の財までも費やし、
伊豫田與八郎は破産して家族離散を招いたということでしたが。このお三方は現在
明治川神社(通水の同じ年に創建) ↓

の神様として祀られていますが、伊豫田與八郎は1889年にこの明治川神社の祠掌(神職)になっています。

こういう方たちの崇高な思いと、汗と涙の、そして土着の辛苦を思う時、昨今のお騒がせニュースの人々の薄汚なさや、いい加減さに脱力してしまいます。
熱海の土石流事件、観光船の沈没事故、誤送金の着服など、先賢の行ったことと照らし合わせたときに、全く信じられないような沙汰ではないでしょうか。

※おまけ
明治用水の管理に当たっては「明治用水土地改良区」が関わるものと思いますが、詳しい権能状態はよく判りません。
「明治用水会館」 ↓

が深いかかわりを持つと思われますが、指示命令系統などについては調べられませんでした。
「明治用水土地改良区」の初代理事長に岡田菊次郎(1867- 1962) ↓

がなっていて、その銅像が「明治用水会館」の庭にありましたので、どう解釈するべきなのでしょうか。
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このごろの身近で些細な花鳥風月 

2022-05-25 04:47:26 | 草花
ここのところ、それなりに忙しく過ごしていました。外に出て足の筋肉を使ったり、腕力主体の作業をしたり、お医者に行ったりして、日を過ごしていましたが、庭の風物の撮りだめが増えてしまい、そのまま放置しておくのも対象物に対して気の毒ですので、近況報告方々記事の更新をさせていただきます。
十七日の立待月 ↓

この時の月齢は16.7で、まだ充分丸みは残っています。



十八日ISSは見えず ↓

ISS(国際宇宙ステーション)を見るために徒歩で往復6KMを費やして・・・・・・、
その目的は叶えられませんでした。



北斗七星 ↓

ISSが見えないからそのままそこを離れるのも悔しいので、北斗七星としばし対面していました。

そして家に戻ってから、月の出てくるのを待っていました。

十八日の居待月 ↓

ホワイトバランスを調整して、見た色に近い月を撮りました。出て来てあまり時間が経っていないので赤っぽい月となります。
この時の月齢は17.7。



十九日朝の雀 ↓

雀の集まりが悪いということは、ほかの場所で簡単に餌にありついているということでしょうね。こういう時期には餌を与えず、本来の野性を取り戻してもらいたくて、与える餌の分量をぐっと減らすようにしました。



廿日のユリ ↓

カサブランカですが、蕾の部分が形成されつつあるようです。


二十一日朝の雀 ↓

餌も少なく、集まる数も少ないので、小競り合いはあまり多くはなくなりました。



セッコク ↓

ピンクに咲くこちらのものは未だ株が小さくて、咲く数もこの辺で頭打ちです。



その上に着けたセッコク ↓

こちらは大株のセッコクから分株したもので、早速花をつけてくれましたが、未だ株は小さい発展途上ものです。



二十一日夕雀 ↓

気まぐれな雀・・・・と言った感じで餌出しのタイミングに波長が合って、少しは数が纏まりました。



雀とキジバト ↓

餌台の下で、零れたものを啄んでいます。



二十二日 ↓

朝に見た月で、上弦の半月が近い姿ですが、この時の月齢は21.1。



二十二日朝の雀 ↓




ナルコユリ ↓

蕾からやっと花になりました。



大株のセッコク ↓

こちらは我が家では大株の白花のセッコクで、蕾も含めるとざっと50輪は咲かせるようです。



二十二日夕刻の雀 ↓

この頃はこのくらいの数しか集まらないのが普通になっています。
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