ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

組織が一方的に規則を振りかざすと碌なことが無い

2024-07-26 11:39:13 | 草花

女子体操のオリンピック代表選手が出場辞退に追い込まれてしまいました。

その原因は未成年者の飲酒・喫煙という規則違反で、この組織においては成人していても一定の範囲内で飲酒と喫煙を禁止していたそうです。

組織の所属員がその組織の決まりを守るべきことは当然のことで、未成年者の飲酒・喫煙は法に触れていて、もちろんアウトなことは言うまでもありません。

しかし、本人がオリンピックの出場辞退を申し入れるほどに、十分に反省しているのならば寛恕するというのもアリではないかと思う次第です。

「19歳の飲酒喫煙で、大人達が寄ってたかって攻撃するのはどうも・・・。人一倍頑張ってきた若者の少しばかりの失敗を、大袈裟に騒ぐことが正義なの?」という意見もありました。

自分のことを言えば、高校生の頃に小学校同窓会でお正月に大酒を飲んでいましたし、喫煙は先輩に勧められて18歳の時から普通にするようになっていました。

これは法律に違反する行為ですが、その時は罪の意識は大変希薄でした。

今回の協会の措置は狭い料簡の四角四面の対処であり、結果弱い者いじめじみていないか・・・、こういう場合に問題を適正に判断するために、諮問するべき何らかの第三者機関ができないものでしょうか。

裁判でも、上告して、高裁、最高裁までジャッジできるようになっていますから。

クマゼミ ↓

この時左側にはもう一匹の羽が見え、つまり、セミ君カップルの睦み中でありました。

クマゼミの抜け殻 ↓

今年もかなりの数が拙庭で羽化した模様。

 

アブラゼミ ↓

硝子戸をあけたときに飛び込んできてカーテンでひと時を過ごしていました。

 

フウラン今年最後の一輪 ↓

今年の見納めの花となりました。今年は70輪ほど咲きました。

 

夏空を刺す ↓

長いトゲはユズのものと思います。

 

カリン ↓

盛夏になってもまだ、青い実を落としてきます。

 

ユウスゲ ↓

今年の初花です。今年は移植して株をいじめましたので、あまり多くは期待できないかもしれません。

 

トウモロコシ ↓

庭に栄養分の少ない地面で育てましたので、随分小ぶりな実となりました。

昨日、初物を頂きましたが、市販ものと比べると随分小さめでした。

 

冬瓜 ↓

今年も気合入れて育てています。作柄は今のところ順調のようです。

 

イヌマキ ↓

いくつかの木で実がなっています。熟すのは夏が過ぎてからになります。

 

25日の更待月 ↓

稲光一閃、しかし、期待した雨はほとんど降らずでした。夜半近くに外に出ると、雲の向こうで

月がうっすらと見えていました。月齢は19.6。

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58年ぶりの松本城。下の部(3の3:最終記事)  付録:居待月(月齢17.5)   

2024-07-24 13:59:54 | 草花

58年ぶりに近くで松本城を見て、お城の外周を一回りして、あとの「宿題」は天守閣内に入るかどうかということです。

松本城に行くにあたって、あらかじめ決めていたことが有りました。それは天気が良くて北アルプス方面への見通しが

利くようなら天守閣に入っていくということでした。

ところが梅雨明けしたといってもまだまだ空は不安定で、視界は良くはありませんでしたので、自分の中では天守閣の

中に入っていくという選択肢は有りませんでした。

 

後姿? ↓

外周を回り込んでここまでくると天守閣はうしろすがたのように思えます。

 

太鼓門 ↓

太鼓門は改修中でした。

 

赤松の切り株 ↓

これは太鼓門の梁に使われた赤松材の切り株で樹齢140年だそうです。太くて貫禄十分でした。

 

その改修工事 ↓

 

礎石 ↓

恐らく平べったい方が太鼓門の礎石だと思います。この礎石にも所有者変遷の歴史が刻まれていました。

 

待ち時間 ↓

天守閣に入場するのに待ち時間が生じていました。小生はこの日の入場は無しと決めていますのでパス。

 

もう一度最初の場所に戻り、お別れの挨拶をします。

 

ここには天気が良くて見晴らしの良い時にもう一度来て、天守閣に上ってみたいものです。

 

ネムノキ ↓

敷地内に花期の過ぎたネムノキが立っていました。これにてお城から離れていきます。

 

お城から出て、帰り道。遠ざかっていく ↓

 

 

 

 

道祖神 ↓ ↓

 

二つとも小さな流れを渡す橋のたもとに祀られていました。街中で見るこの姿はちょっぴり違和感も・・・

 

 

松本駅周辺 ↓

松本駅に着いてから20分ほど電車待ちの時間がありました。(昼食)

 

帰りの電車内 ↓

電車はワンマンで先頭車両には料金表示もされています。公共交通機関もどんどん変化してきています。

 

乗り換え3度で午後5時少し過ぎたところで帰宅出来ました。

地元の名古屋城・犬山城・岡崎城にも親しんできましたが、今回の松本城も強く印象に残ったものとなることでしょう。

 

 

付録:23日晩の居待月 ↓

月齢は17.5で、右上の欠けがはっきりと判るようになってきました。

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58年ぶりの松本城。中の部(3の2)   付録:22日晩の立待月

2024-07-23 13:06:14 | 草花

松本城シリーズの二番目(中の部)です。

それと一緒に記事の末尾に22日晩の立待月を付録でつけておきます。

少し歩を進めていきますので、天守閣の見え方が少しずつ変化していきます。

 

 

埋め(うずみ)橋 ↓

もともとは堀の中に塀を築き、敵の移動を妨げる足駄塀あしだべい(目隠し:堀の中に杭を連続して打ち込み、水面上約1メートルの所から板塀を立て、その上に屋根を付ける)があったことが知られているが、構造が詳らかでないため、昭和30年(1955)に朱塗り八ツ橋型のこの橋が架けられた。埋橋の名は埋門から架かる橋のためつけられたとのこと。

 

堀端の大ケヤキも”国宝級” ↓

 

池に花 ↓

 

 

 

これも見事な景色 ↓

 

だいぶ回り込んで来ました。 ↓

 

 

城外の道路にも大ケヤキ ↓

 

 

 

二の丸裏御門橋 ↓

 

 

二の丸御殿跡 ↓

 

城の外周を歩くにつれて天守閣の姿がどんどん変わっていきます。二の丸御殿側はどちらかと言うと

裏側という感じになりますね。

 

 

付録:22日晩の月 ↓

出はじめを撮っていますので、随分赤味を帯びています。この時の月齢は16.5でした。

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58年ぶりに松本城を見てきました。上の部(3の1)

2024-07-22 10:49:41 | 草花

社会人一年生の時に手続きの関係で松本市を訪れましたが、その仕事が終わったのは暗くなってからでした。

そこで折角なのでお城を見ることにしましたが、お堀端のベンチに座り夜のお城を見上げて眺めたものでした。

その後は北アルプスの山歩きの時に松本市を通り抜けるときに、車の中から遠目にお城を眺める程度でした。

最近になって、このお城を明るい時に近くで眺めたいと思うようになっていました。

梅雨も明けて、夏の青春18きっぷが使える20日になりましたので、その皮切りの日に松本に出かけることにしました。

往きに5時間、復路も5時間JRの鈍行電車に乗ることになります。(いつもの貧乏旅行です。)

現地での滞在時間は2時間足らずの何ともチグハグな小旅行となりました。

往きはJRの乗り換え3回で、松本駅に着きました。(復路も3度の乗り換え)

 

松本駅の到着ホーム ↓

 

駅舎から出る ↓

 

駅の外観 ↓

 

槍ヶ岳開山の播隆上人像 ↓

 

駅前からお城まで歩いて行きます。

 

徒歩行程の地図 ↓

時計の逆回りで歩きました。松本市での滞在時間は2時間で、そのうちお城を見ていた時間は一時間でした。

 

お城前の交差点 ↓

駅から15分くらい歩いたのでしょうか。

 

交差点から振り向くとお城が少し見えています。

入って行きます。

大石柱 ↓

お城と58年ぶりの対面に気分が昂揚しています。

 

案内図 ↓

一番下の右側の矢印から入場し、時計回りでお堀沿いに歩きます。

のっけの始めではありますが、巡回した感想を自分なりに開陳しておきます。

1.天守閣の渋さ・壮麗さ・美しさに心を奪われたこと。

2.お堀と石垣の端正さも見事に思ったこと。

3.天守閣とお堀・石垣の景観が見事に調和していたこと。

・・・・たった一時間の滞在でしたが、見ておいてよかったと思いました。

 

これだけの思いを持ったということを初めに言ってしまってから後は、くだくだ記述する必要を感じませんので

、画ごとの添え書きは極力省きます。

お城をぐるっと歩いて写真に収めていますので、お城の見え方の変化などをお楽しみいただければと思います。

 

 

 

 

 

58年前の夜はこの位置からベンチに座って眺めただけでした。

 

松本城は前身の深志城が1504年に築城されてから、石川数正・康長親子によって1593-1594年に造営された

ものだそうです。なお城が黒いので「烏(からす)城」とされがちですが、そう呼んだ史実はないそうです。

どう計算したのか?天守閣の重量は1000トンあるそうで、軟らかい地盤の上に建てるにあたり、石垣内部の

土台には直径約40センチ、長さ約5メートルの栂(ツガ)の丸太を16本碁盤目のように配置して埋めて

あるそうです。

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昨晩(7/20)の十五夜の月と、今晩(7/21)の十六夜満月の出始めと空に昇った二種類の月

2024-07-21 22:02:08 | 草花

真ん丸の月を比べてみようと思い、三つの画を貼ります。

昨晩(7/20)は、初めのうちこそ雲に邪魔されていましたが、夜の十時ころになると、すっかり雲も取れて煌々と輝いていました。

7月20日午後10時ころの月 ↓

この時の月齢は14.5でした。新月から数えて15番目の十五夜の月です。

 

 

そして今晩は、7月21日で十六夜の満月となります。まずは出始めの赤味を帯びた月 ↓

7/21日午後8時ころ、まだ低いところにある月で澱んだ色の満月です。月齢は15.5。

 

つぎに、それから少し経って7/21日午後10時少し前の月です。今度は明るく輝いていました。 ↓

同じ十六夜ですが、月齢は少し進んで、15.6になっていました。

 

 

こうして並べてみると7/20日の月と、7/21日の月と比べても丸さの点では変わりがあるようには見えませんね。

しかし、同じ晩の月でも出始めと空高くに昇った月では色が大分違います。

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