今年最後の更新ですが、内容の重い更新となりました。
この一年を凝縮したような1週間でした。
25日
朝起きていつものように薬を塗っているとヨメが子供達を起こす。
すると枕元に置いてあったサンタからのプレゼントに気が付き興奮する声が聞こえる。
早速、箱から出して準備する長女。遊ぶのは帰って来てからだよ。
「どうして大人にはサンタさん来ないの?」と長女。
大人にも来て欲しいな~(笑)
26日
朝起きると同時にお袋から「おばさんがたった今、亡くなったよ。」と声がかかる。
この「おばさん」とはお袋の姉。
7人きょうだいのうち3番目にあたる。
先月、帯状疱疹で入院し、治療が終わったということで退院。
その後、体が痛いからということで今月18日頃に病院へ行ったらそのまま入院となった。
検査したところ全身にがんが転移してしまっており手が付けられない状態だった。
肝臓にも転移しており、塊状ではなく花が咲いたようになっていたことから免疫系がすでにやられていた可能性が高い。
主治医からは「いつ心臓が止まってもおかしくない状態」と家族には伝えたのだった。
足のむくみが激しく、どのように対処するか28日までに医師と旦那さんで決める予定だったそうだ。
しかしおばさんは「25日に帰るんよ」と周りに話していたそうだ。
ちなみに、おばさんには症状等は一切話していなかった。
そして26日早朝、眠るように息を引き取った。
78歳になったばかりだった。
うちのジジババは自分と同じくらいに家を出発しておばさんの家へ。
自分は仕事へ行くが日取りが気になり身が入らない。
お昼前に連絡があり、28日に通夜、29日に葬儀と分かったのですぐに28日午後からの有休を取る。
27日
昨日今日と二日連続でおばさんの家へジジババが行く。
田舎は地域のつながりがあるので色々と準備等があり人手がいるそうだ。
自分の方は28日までの納期の物を完成させて備える。
帰宅は思ったよりも早く家で夕飯が食べれた。
ナポリタン、明太子とエコんぶパスタ。ヨメもいつもありがとう。
28日
通夜はのために午前中で仕事は切り上げとなる。
それでも色々とバタバタ。
いつもお世話になっている外注さんの所へ年末の挨拶がてら材料の納入へ。
今年は28日までやって年始5日からのところと29日までやって年始8日からの所も。
または5日、6日仕事で7日、8日が休みの大体3パターンみたい。
自分? 聞かないで…。
11:55 AS350? 群馬方面へ。
午前終業の鐘と同時に会社を出る。
万が一に備えジムニーに給油。
次女の調子がイマイチなため、自分がいない時でもヨメが乗って行けるようにね。
そして電気屋さんでプリンターのインクを購入。
プリンターのインクだけで1万超えって…。
昼食は突きたてのお餅。
元々のスケジュール通りだが本当なら午後も二臼突くつもりだった。
13時半頃に家を出て、親戚を一組ピックアップしてからおばさんの家へ向かう。
高速のトンネルを一つくぐるだけだから近いんだけどね。
おばさんの家に着くと玄関には白黒の幕がかけられていた。
故人の遺志でセレモニーホールでは行わないそうだ。
しばらくして通夜式が開始される。
御詠歌をしていたおばさんはその会場となっていたお寺さんともつながりが深かった。
指導をしていた副住職がお経を挙げに来てくれたが
「何て言ったらいいのか…話していてわからなくなってしまいました。」と涙ぐみながら言う。
読経が終わりいよいよ納棺となる。
すると葬儀を取り仕切ってくれているJA葬祭の職員からあるものが手渡される。
白黒の水引だが…
両端を堅結びし、輪の中に右腕を通して左肩から袈裟懸けにする。
昔はこれを藁でやっていたそうだ。
旅支度を整え棺の中へ。
最後に各人が棺内に花を手向け、水引を引きちぎり、その水引を棺内の足元へ入れ会場を後にする。
お清めした後に部屋の中へ戻り通夜振る舞いにかかる。
メインは組衆への接待だ。
ちょうど自分の隣に座ったのはDMATのお兄ちゃん。
先日はお世話になりました、の挨拶の後に状況の詳細を聞く。
おばさんと最後に話した親戚だったからというのと主治医のすぐ下の立場だから。
亡くなる前日の夜、夕飯が美味しくないから残したのと足が痛いと話していたそうだ。
早朝、出勤してこのおばさんの息子と院内でばったり会い亡くなったのを知ったという。
状況としては本当に眠るように亡くなったそうだ。
明日は自分とお兄ちゃんで葬儀式場の受付役をすることになった。
では明日、お願いします。
29日
葬儀当日。
出棺は11時だがウチのお袋が着付けをしてあげるということで早目に出発。
今日も親戚を乗せて出発となる。
28日営業日分だからね。昨日は返空の便とかち合ったな。
早目におばさんの家に到着しても自分は手持ち無沙汰。
ノートPCを持って行ってたこともあり少々時間は潰せた。
11時になりいよいよ出棺となる。
棺の蓋が閉められ、釘を打つ。
縁側から出棺されるのを男衆が8人で霊柩車へ。
それを見送る近所の方からすすり泣く声が聞こえる。
喪主である息子さんの挨拶の後、火葬場へと出発。
自分とお兄ちゃんは他の家族も乗せて車で。
マイクロ1台じゃ追いつかないくらいの人だった。
この村には火葬場が無く、隣村の火葬場へ。
しかも1基しかないので時間厳守なのだ。
最後のお別れをして見送った。
ではその間、お昼ご飯を頂きましょう。
約1時間半後、職員から声がかかりお骨拾いへ。
先日の叔母の時は主要部分のみのお骨拾いだったがここでは全部。
どおりで骨壺が大きいわけだよ。
骨はしっかりしており、いつも元気だったおばさんを感じさせるものだった。
それでは葬儀会場へ。
葬儀会場はお寺。
最近増築等行ったそうで綺麗な所を使わせてもらえる。
孫娘が作ったボードとさよならのスライド。足を止めて見る人が多かった。
時間になり自分とお兄ちゃんで受け付け開始。
自分は村外の方のを担当する。
この日は寒く、爪先用のカイロが欲しかった。
葬儀が始まり最後に孫娘3人による弔辞。
複雑な家庭環境だったこともあり、それを知っている村内の人からもすすり泣く声が聞こえる。
後から3人の内一人から聞いたが「練習で1行読んだだけで泣けた」そうだ。
葬儀が終わって。禅寺なので柱に見覚えのあるものがかけられている。
ここの葬儀は長い。
式そのものは普通だが、精進落としも含めてまで。
親近者だけでなく、村内の人はほとんど出席していた。
香典返しが村内には無し、というのはこういうのも理由かな。
会場では8回も停電が。寒い日で大型エアコンがフル稼働。契約アンペア上げないと。
全て終わり、帰宅したのは19時過ぎ。
長い一日だった。
お味噌や畑の種まき、植えるタイミング等の農業指導、その他いろいろとお世話になった。
今まで本当にありがとう。
30日
仕事は28日で納まっているが自分の仕事はこれから。
本当は29日に行う予定だったが相方の都合でキャンセルとなった。
結果的に自分もできなかったわけだが。
で、相方に他に出れる日を聞いたが全部だめとの返事。
そういえば出初の梯子乗りの練習があるからな。
じゃあ何回か手伝ってもらっているNちゃんにお願いすると、
「どうせヒマですよ(笑)」と受けてくれる。
忙しい所、ありがとうね。
毎度毎度の計測機器の校正。
そろそろ他の人に引き継がないとな~。
10:18 C-5? オーサンへ行くのかな?
お昼近くになり、Nちゃんとどこに食べに行こうか話していた。
そこへ上司がやって来て「皆で食べに行くよ。ちょっと早めにお昼にしよう」と言う。
会社持ちでお昼ご飯だ。
一昨日から揚げ物続きだったので焼き物で(笑) 豚カルビ丼の大盛りで。
予定通り、とはいかずいくつか残して今年の仕事は終わり。
家庭の予定もあるので3日から仕事となる。
31日
午前はキッチン周りの掃除。
換気扇の掃除は特に念入りにね。
午後からはちょっと会社へ行き昨日の続き。
まあそれでも終わらないんだけど。
帰宅すると飾り棚の掃除を迫られる。
近日中にリニューアルするつもりだったからそのときやろうと思ったのに。
1機づつ埃を払って並べる。
今年の年越しをどうしようかと相談された時、ステーキと提案。
一つ条件としてそんなに脂が多くないものをお願いしておく。
今回のお肉は見た感じ脂は多くなく、焼いていても脂が飛び跳ねるほどでもなかった。
ではいただきます。今年も一年お疲れ様でした。
今年を振り返って
年の最後にドタバタとしたこともあり正月を迎えるという気分では無いかな。
改めて振り返ると今年は航空事故の多い年だった。
長野県がらみの事故も多く、知っている又はお世話になった方が亡くなったケースも。
事故はゼロにはできないが限りなくゼロに近づけれるよう、自分も航空がらみの一員として肝に銘じたい。
また、今年も場外でいっぱい撮影できました。
毎年のような一覧は作成する時間がなかったので省略。
場外での撮影機は延べ92機と過去最高でした。
いや~、5月や11月が二桁ありましたから。
来年もこの調子でいけれたらな~。
岐阜県防災航空隊の皆様、そしてCHSの皆様、ありがとうございました。
一番お世話になっているのはアカギヘリコプターさん。
来年もカモフやK-MAXの仕事場へお邪魔させてもらいます。
また、このようなブログにお付き合いして下さる皆様、本当にありがとうございます。
来年も変わらずよろしくお願いします。
この一年を凝縮したような1週間でした。
25日
朝起きていつものように薬を塗っているとヨメが子供達を起こす。
すると枕元に置いてあったサンタからのプレゼントに気が付き興奮する声が聞こえる。
早速、箱から出して準備する長女。遊ぶのは帰って来てからだよ。
「どうして大人にはサンタさん来ないの?」と長女。
大人にも来て欲しいな~(笑)
26日
朝起きると同時にお袋から「おばさんがたった今、亡くなったよ。」と声がかかる。
この「おばさん」とはお袋の姉。
7人きょうだいのうち3番目にあたる。
先月、帯状疱疹で入院し、治療が終わったということで退院。
その後、体が痛いからということで今月18日頃に病院へ行ったらそのまま入院となった。
検査したところ全身にがんが転移してしまっており手が付けられない状態だった。
肝臓にも転移しており、塊状ではなく花が咲いたようになっていたことから免疫系がすでにやられていた可能性が高い。
主治医からは「いつ心臓が止まってもおかしくない状態」と家族には伝えたのだった。
足のむくみが激しく、どのように対処するか28日までに医師と旦那さんで決める予定だったそうだ。
しかしおばさんは「25日に帰るんよ」と周りに話していたそうだ。
ちなみに、おばさんには症状等は一切話していなかった。
そして26日早朝、眠るように息を引き取った。
78歳になったばかりだった。
うちのジジババは自分と同じくらいに家を出発しておばさんの家へ。
自分は仕事へ行くが日取りが気になり身が入らない。
お昼前に連絡があり、28日に通夜、29日に葬儀と分かったのですぐに28日午後からの有休を取る。
27日
昨日今日と二日連続でおばさんの家へジジババが行く。
田舎は地域のつながりがあるので色々と準備等があり人手がいるそうだ。
自分の方は28日までの納期の物を完成させて備える。
帰宅は思ったよりも早く家で夕飯が食べれた。
ナポリタン、明太子とエコんぶパスタ。ヨメもいつもありがとう。
28日
通夜はのために午前中で仕事は切り上げとなる。
それでも色々とバタバタ。
いつもお世話になっている外注さんの所へ年末の挨拶がてら材料の納入へ。
今年は28日までやって年始5日からのところと29日までやって年始8日からの所も。
または5日、6日仕事で7日、8日が休みの大体3パターンみたい。
自分? 聞かないで…。
11:55 AS350? 群馬方面へ。
午前終業の鐘と同時に会社を出る。
万が一に備えジムニーに給油。
次女の調子がイマイチなため、自分がいない時でもヨメが乗って行けるようにね。
そして電気屋さんでプリンターのインクを購入。
プリンターのインクだけで1万超えって…。
昼食は突きたてのお餅。
元々のスケジュール通りだが本当なら午後も二臼突くつもりだった。
13時半頃に家を出て、親戚を一組ピックアップしてからおばさんの家へ向かう。
高速のトンネルを一つくぐるだけだから近いんだけどね。
おばさんの家に着くと玄関には白黒の幕がかけられていた。
故人の遺志でセレモニーホールでは行わないそうだ。
しばらくして通夜式が開始される。
御詠歌をしていたおばさんはその会場となっていたお寺さんともつながりが深かった。
指導をしていた副住職がお経を挙げに来てくれたが
「何て言ったらいいのか…話していてわからなくなってしまいました。」と涙ぐみながら言う。
読経が終わりいよいよ納棺となる。
すると葬儀を取り仕切ってくれているJA葬祭の職員からあるものが手渡される。
白黒の水引だが…
両端を堅結びし、輪の中に右腕を通して左肩から袈裟懸けにする。
昔はこれを藁でやっていたそうだ。
旅支度を整え棺の中へ。
最後に各人が棺内に花を手向け、水引を引きちぎり、その水引を棺内の足元へ入れ会場を後にする。
お清めした後に部屋の中へ戻り通夜振る舞いにかかる。
メインは組衆への接待だ。
ちょうど自分の隣に座ったのはDMATのお兄ちゃん。
先日はお世話になりました、の挨拶の後に状況の詳細を聞く。
おばさんと最後に話した親戚だったからというのと主治医のすぐ下の立場だから。
亡くなる前日の夜、夕飯が美味しくないから残したのと足が痛いと話していたそうだ。
早朝、出勤してこのおばさんの息子と院内でばったり会い亡くなったのを知ったという。
状況としては本当に眠るように亡くなったそうだ。
明日は自分とお兄ちゃんで葬儀式場の受付役をすることになった。
では明日、お願いします。
29日
葬儀当日。
出棺は11時だがウチのお袋が着付けをしてあげるということで早目に出発。
今日も親戚を乗せて出発となる。
28日営業日分だからね。昨日は返空の便とかち合ったな。
早目におばさんの家に到着しても自分は手持ち無沙汰。
ノートPCを持って行ってたこともあり少々時間は潰せた。
11時になりいよいよ出棺となる。
棺の蓋が閉められ、釘を打つ。
縁側から出棺されるのを男衆が8人で霊柩車へ。
それを見送る近所の方からすすり泣く声が聞こえる。
喪主である息子さんの挨拶の後、火葬場へと出発。
自分とお兄ちゃんは他の家族も乗せて車で。
マイクロ1台じゃ追いつかないくらいの人だった。
この村には火葬場が無く、隣村の火葬場へ。
しかも1基しかないので時間厳守なのだ。
最後のお別れをして見送った。
ではその間、お昼ご飯を頂きましょう。
約1時間半後、職員から声がかかりお骨拾いへ。
先日の叔母の時は主要部分のみのお骨拾いだったがここでは全部。
どおりで骨壺が大きいわけだよ。
骨はしっかりしており、いつも元気だったおばさんを感じさせるものだった。
それでは葬儀会場へ。
葬儀会場はお寺。
最近増築等行ったそうで綺麗な所を使わせてもらえる。
孫娘が作ったボードとさよならのスライド。足を止めて見る人が多かった。
時間になり自分とお兄ちゃんで受け付け開始。
自分は村外の方のを担当する。
この日は寒く、爪先用のカイロが欲しかった。
葬儀が始まり最後に孫娘3人による弔辞。
複雑な家庭環境だったこともあり、それを知っている村内の人からもすすり泣く声が聞こえる。
後から3人の内一人から聞いたが「練習で1行読んだだけで泣けた」そうだ。
葬儀が終わって。禅寺なので柱に見覚えのあるものがかけられている。
ここの葬儀は長い。
式そのものは普通だが、精進落としも含めてまで。
親近者だけでなく、村内の人はほとんど出席していた。
香典返しが村内には無し、というのはこういうのも理由かな。
会場では8回も停電が。寒い日で大型エアコンがフル稼働。契約アンペア上げないと。
全て終わり、帰宅したのは19時過ぎ。
長い一日だった。
お味噌や畑の種まき、植えるタイミング等の農業指導、その他いろいろとお世話になった。
今まで本当にありがとう。
30日
仕事は28日で納まっているが自分の仕事はこれから。
本当は29日に行う予定だったが相方の都合でキャンセルとなった。
結果的に自分もできなかったわけだが。
で、相方に他に出れる日を聞いたが全部だめとの返事。
そういえば出初の梯子乗りの練習があるからな。
じゃあ何回か手伝ってもらっているNちゃんにお願いすると、
「どうせヒマですよ(笑)」と受けてくれる。
忙しい所、ありがとうね。
毎度毎度の計測機器の校正。
そろそろ他の人に引き継がないとな~。
10:18 C-5? オーサンへ行くのかな?
お昼近くになり、Nちゃんとどこに食べに行こうか話していた。
そこへ上司がやって来て「皆で食べに行くよ。ちょっと早めにお昼にしよう」と言う。
会社持ちでお昼ご飯だ。
一昨日から揚げ物続きだったので焼き物で(笑) 豚カルビ丼の大盛りで。
予定通り、とはいかずいくつか残して今年の仕事は終わり。
家庭の予定もあるので3日から仕事となる。
31日
午前はキッチン周りの掃除。
換気扇の掃除は特に念入りにね。
午後からはちょっと会社へ行き昨日の続き。
まあそれでも終わらないんだけど。
帰宅すると飾り棚の掃除を迫られる。
近日中にリニューアルするつもりだったからそのときやろうと思ったのに。
1機づつ埃を払って並べる。
今年の年越しをどうしようかと相談された時、ステーキと提案。
一つ条件としてそんなに脂が多くないものをお願いしておく。
今回のお肉は見た感じ脂は多くなく、焼いていても脂が飛び跳ねるほどでもなかった。
ではいただきます。今年も一年お疲れ様でした。
今年を振り返って
年の最後にドタバタとしたこともあり正月を迎えるという気分では無いかな。
改めて振り返ると今年は航空事故の多い年だった。
長野県がらみの事故も多く、知っている又はお世話になった方が亡くなったケースも。
事故はゼロにはできないが限りなくゼロに近づけれるよう、自分も航空がらみの一員として肝に銘じたい。
また、今年も場外でいっぱい撮影できました。
毎年のような一覧は作成する時間がなかったので省略。
場外での撮影機は延べ92機と過去最高でした。
いや~、5月や11月が二桁ありましたから。
来年もこの調子でいけれたらな~。
岐阜県防災航空隊の皆様、そしてCHSの皆様、ありがとうございました。
一番お世話になっているのはアカギヘリコプターさん。
来年もカモフやK-MAXの仕事場へお邪魔させてもらいます。
また、このようなブログにお付き合いして下さる皆様、本当にありがとうございます。
来年も変わらずよろしくお願いします。
おそばよりこちらの方が、力をつけてくれて良いですね☆
長女ちゃんのアクアビーズ、女の子に人気なんですよね(^^♪
もう既に作品がいっぱい出来ているのでは?
こちらでも12月になると、年賀欠礼のハガキが届いたり、暮れも押し迫っての訃報もあり、我が身に置き換えて、身につまされることが多くなりました。
お母上様、どうかお力を落とされませんように願っています。
毎年年越しの夕飯のメニューに悩みます。
この頃は肉ばかりですが寿司の年もありました。
今年はいつもより脂身の少ない部分を買ってもらったので力がつきます。
同世代のこの間では相当流行っているようで、同僚の子供もそうだったと聞きました。
このスターターキットには1200個のビーズがあったのですが年末までに使い切ってしまいました。
自分も同じで親が亡くなった等でハガキが届くことも。
ショックだったこともあり、初詣はおふくろだけキャンセルしました。