AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

「夢で会いましょう」(3)

2012-12-02 04:32:00 | 学問のススメの涙



幾つかの大学や専門学校で教鞭を取ることが増えたが、ここ10年学生を比較してみると一応に彼等に相違点がある事を感じる。それはなんだろう?思うに「努力を最小限にして、自分を高く売るかである。」最近の企業は、書類審査が通った後に、適性検査なる試験を受けさせる様だ。それで面接までいけない学生も多い。若い学生達に「適職」などあるのだろうか?将来なんになるのか?そんな事は解らない。その仕事を3年やってみて、むいていないと思ったら「方向転換」すれば良いと思うのだが、今の学生達はその冒険心がない。会社に入る事が最重要課題なのである。それも解るが、就職がないから大学院に行く。これもおかしい話だと思う。研究したい課題があるから、大学院を選ぶのではない。就職がないから大学院に行く。本末転倒である。今現在、8000人を超える業績のない博士号がいるらしい。この少子化の今も大学は認可を受けつつある。私感であるが、田中眞紀子文部大臣の言ったことは正しいと思う。定員割れになる大学も地方では多くなった。AO入試をするところは、おおよそ入学拒否などしないだろう。それが、大学経営を支えているだろうが、多くの企業もバブル崩壊後「育てる」事をしてこなかったし、株主の方に主きをおき、社員達を観て来なかった。
この負のマッチングは到底埋まらないだろう。