AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

「幼児の言葉」その説得力と真実性の怖さ。

2011-04-20 00:36:16 | 言の葉の輪転機
余震がおさまらない日が続いている。
海岸近くの喫茶店によく来る保育園に通う方から聞いた話。
その方の友人の別の保育園に通う保母さんの話だそうだ。
そこに通う5歳の男の子が、その保母さんは3月11日に結婚式を挙げるはずだった。その男の子が「先生は大きな地震が来るから結婚式あげられないよ。」
そして本当にこの大地震が起こり、12月に式を延期したそうだ。
そうしたらこの男の子がまた「5月14日に大きな地震がまた来るよ。」
そこで「今度は12月にしたから大丈夫よ。」と言いますと「ダメだよ。」
「なんでダメなの?」「だって先生、その地震で死んじゃうから。」
この先生、これを聞いて寝込んでしまっているそうだ。
うーん。本当かどうだか解らないが、なんか説得力ある話だ。
「地震が来るよ。5月14日」いくら3月11日を言い当てた子供でも、これだと来るかもしれないし、こないかもしれない。またどこで地震が来るのかも判らない。だから不安ではあるが、まだ他人事だ。ところが、12月に式を延ばしたから、5月14日大地震がまた来る。と言われても他人事であり、今度は式を挙げられるという喜びで満ちているところで
「だって先生死んじゃうんだからその式にはいないんだよ。」
とどめの言葉だ。まさに天国から地獄だ。これは本当に怖い話しだったろう。5月14日と言えば、予言者が昨年予言したマグニチュード7.7が東京を襲う。の1年後である。5歳児というところも大人の予言よりもなんか来るような気がする。子供の作文や絵画は、どんなに真似しても描けないものだから。
場所も特定できる。逃げるかどうか?は自己判断だが。