ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

話すは放す

2021-06-02 | 雑記
たまに読んでいた引き寄せの法則のブログを、しばらくぶりに読んでみた。

中川翔子がデビュー時は売れず、他のアイドルの真似をして、ケーキを作ったこともないのにケーキ作りが趣味です、などとプロフィールに書いていた、などとあったものである。

それで半ばやけになって、元からのオタク趣味を全快にしていったら、あれよあれよと売れていったという話が書かれていた。やけになったわけではないが、自分らしく行こうと。

そうか。自分らしくか。というわけで、Twitterの方にブログのリンクを貼っておいた。余りフォローしてもされてもないが。
ツイッターのアドレスは@Himagineatpである。
一時期自己紹介の所に書いてあった、「Imagine」の替え歌が元ネタ。

そこで自分らしくってなんだ?と数日前から夜も眠れなくなるほど悩んでいたところ、やはりわからない。

昔やっていたゲームの実況プレイ動画か?と思ったが、そうとも言い切れない気がする。

自分らしくというのがわからない、という人は多い。上記のブログの人物のセッションとやらでもよくあると、昔読んだように思う。


自慢にしか聞こえないが、人と話すと「物知りで話が上手い」と言われることがよくあった。
具体的な指摘だと、「例え話だとかで分かり易く話す」と。ブログと大違いである。

そんな拙だが、かつて、ゲームの実況プレイ動画を始めた時、緊張するからと少々酒を呑んでから取り掛かる、という状態であった。思えば、ブログの初投稿もそうだったように思う。
要するに、人見知りで怖がりなところがある。

酒は人の本性を現すとはいう。人の本性とはいうが、そういうものはいくつかある側面の一つなので、必ずしも乱暴だけになるわけでもないのだろう。
と、そういう話はどうでもよくて、飲むと大体喋っていることが多い。

今はよくわからんが、かつては流行り言葉でいう「陰キャ」であったといえる。

話そうと思ってもどう話したらいいか分からない、相手にどう思われるか、といった不安がその人をその人らしく話させることが出来ない原因だったりするが、そういう具合だったのだと思われる。

というわけで、拙は人とおしゃべりしたかっただけだったのだろうと。対面による話が一番として、ゲームの実況プレイ動画でしゃべってそれにコメントが来る。それにまた対応してと。リアルタイムではないが、おしゃべりだったと。


正直言って、この世の中が北斗の拳みたいな荒廃した世界になろうがなるまいが、関係ないのかもしれない。

ここで今まで書いてきたような話が完全に疑いのないようなことなのかも、実際は分からない。

実際にそんな世界になるかどうかはその時まで分からない。それまでは仮説に推論で、つまりは情報である。

知行合一というのだったか、知識は行動に基づいてこそ本物になるというのが仏教にあるようだ。
頭に仕入れた知識というのは、それだけでは情報(知と呼ぶ)でしかなく、使いこなし(識と呼ぶ)て、初めて「知識」だという話も昔聞いたものである。この話は筋トレなどで例えている話を先日読んだものである。

話が横道にそれた。


拙は、情報はおしゃべりの手段でしかなかった(というと語弊があるが)のに、目的にしていたのだろうと。


世の中がよくなるに越したことはない。寧ろ望んでいる。

しかし、情報に翻弄されて、挙句の果てに目的になっているとしたら、楽しくなんかないだろう。楽しくおしゃべりも出来まい。それでは、よくなるものもよくなるまい。

未だ来たざるものが来れりとしても、それはそれで問題ない。それが良きにつけ悪しきにつけ。

この世全てを作り上げている「情報」は、どこまでいっても手段でしかないのだから。

というわけで、これからもよくわからない話を続けていくつもりである。


では、よき終末を。


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