ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

忘れていたこと

2011-12-11 | 雑記
地震から凡そ一ヶ月近く経ってから、禅僧の生活とその食生活(精進料理)を知ることになり、肉を食べないでさらに少食で暮らすという方針にして、もう半年を軽く過ぎてしまった。


別に戒律でもないし、誰かにチェックされているわけでもなく、かといって逐一コレ食ったアレ食ったダメだよくないと自己評価するわけでもないが、まるっきり以前とは食べるものが変わった。

時折、肉を食べたらどんな感じになるのか、とか、甘いものを食べてたりするので、実際は完全にやっているわけではない。

悪影響と思しきものがあまり感じられない(ないわけではないが)ようになったのは、堕落(いわゆる普通の状態に)したのか、嘘か真か仙人になったからか。


普段何を食べているのか質問されたので、簡単に振り返りつつ、忘れていた肝心なことを後で述べることにする。


日本語で菜食主義というのは、外来語のベジタリアンから来ている、というのは言うまでもなく知られていることである。

ほとんどの日本人が大抵返してくるであろう言葉はこうである。「肉を食べなくて体力はもつのか?」と。


実際に前より元気になった、といっても、肉で元気になるというのを端から信じているコチコチの現代栄養学信者には通じない。日本人は盲目の羊だから、などと毒舌をかます必要もない。


そもそもベジタリアンの語源は、古代ギリシャに端を発していて、つづりは忘れたが、「ベジタス」という言葉から来ていて、内容は肉を食べないことだとか。

肉を食べない方が元気になるから、ということが当たり前だった時代のことだったようだ。


細かい内容は忘れたが、つまりは「肉を食べないこと」だというわけである。


食べない食べない、といいつつ実は食べていたりするのだが、少なくとも家で料理するときや、外で食べるにしてもインド料理屋でベジカレーしか食べなかったりする。現代日本の飲食業界で、動物性のものが皆無というのはあまりなさそうではあるが。

食べるにしても、最近ちょくちょく行ってるイタリアンでちょっと食べてたりするのだが、今が旬のジビエを食べ損なったついでに食べてきた、という感じであったりする。

まあ、デザートまで食っていたので、正に「看板に偽りあり」というわけだが。


というわけで、食べてもいいんじゃないかな「ちゃんとしたのなら」、という妙な但し書きをつけて、食べたり食べなかったりする。

近所の沖縄そばの兄さんやら、仕事場の誰かさんらには「健康のために食え」といわれたりするのだが、こちらは健康のために食わないと言っているので、平行状態であると。


ちなみに「ちゃんとしたのなら」というのが曲者で、厳密には存在しないことになる。後は好奇心である。ジビエの料理ってどんな味だろう?と。魚もたまにはいいかなというくらいである。なるべく小魚みたいに、丸ごと食えるのがいいだろう、というような話はあるので、それにならって、近所の沖縄そば屋では、スクガラスという小魚の塩漬けをよく肴にしている。


それまくったが、家では玄米か、全粒粉のパンを自分で焼いて(よく写真を載せてたチャパティ)を食べていると。ベジカレーを作るか、ご飯と味噌汁という風である。カレーの時には米もパンも同時に食べていることが多い。

ベジタリアンの貴重なタンパク源として大豆を上げられるのだが、実はこれが曲者で、味噌や納豆ならよいが、醗酵していない大豆は害の方が大きいという。味噌や納豆も大量には食べないほうがよい。

それと、大豆の元からの状態とは別として、現代の狂った科学技術による、自然には存在しない大豆が日本には大量に輸入されているので、迂闊に手を出さないほうがよいのである。

そうなると、カレーばっかりになる。後はたまにスパゲッティを、これまた全粒粉で作ったものを(今日は久しぶりに買ってきた)茹でて食べるといった按配である。


野菜は、日持ちするような奴を少しずつ食べている。大根やらジャガイモやらタマネギをちょっとずつ。カレーにしたり、味噌汁に入れたりと。

大根は煮てよしおろして生で食べてよしと、万能選手である。熱を加えないほうがいいといえばいいので、先日はカレーの付け合せようにアチャールにしたと。オリーブオイルが残念なのだが、次に作るときに考える。


面倒になったらご飯だけ炊いて食べたり、おやつにチャパティを焼いて食べることが多い。無理して野菜を食わねばならぬとは思えなくなってきたのだ。



というわけで、「菜食主義者」というよりは「穀物食主義者」と言った状態になったわけだ。長ったらしく書いた意味はないが、つまりはそういうこと。肉が0ではないので、ベジタリアン失格ではある。合格しようと必死になっているわけでもないのだが。


さて、肉を食べないほうが健康になるというわけで、色々読んできて、そんな話をしていたりするのだが、最近、ちょっとだけ何か引っ掛かりがあった。


肉が人間の体に向いてないから食べないほうがよい、とばっかり言っているのに、「ちゃんとしたのなら」食べてもいい(かもね)というのに矛盾を感じていた。


その矛盾を感じる空白部分は、実際は以前にもよく言っていたのだが、最近はすっかり忘れていた。某ハンバーガーとか焼肉屋とか牛丼屋がダメで、ジビエならいい(かもね)という理由が。


大きな問題なのにすっかり忘れるとは、やっぱり普通じゃなかったのかもしれない。肉と肉にまつわるものを食べ過ぎたからだろうか。



はい、また前置きが長くなったが、これを思い出したら(と言っても理解できない奴が多いのでどうでもいいが)辞める気になるんじゃないかな。


その答えは「狂牛病」。狂牛病だから牛以外ならいいのか?というわけではない。一般の食肉全部が、早く育てるために細切れになった動物を食わされて(狂牛病の原因は共食い)飼育されているので、実際どの肉もアウト。

とある研究所で、豚に原因の病原体を摂取して、普段なら肉にする以上の年月を飼育したと。すると、八年くらい経ったら皆スクレイピー(狂牛病のこった)になってしまった。肉にするときは大体二、三年で処理する。


ああ、この間牛食べたから、わしもそのうち狂牛病になってしまうんだなぁ、と思ったのだった。

「今、ビッグ○ック二百円だよ」とか言っていた誰かさん。まだ元気なうちに言っておきましょう。さようなら、お元気で。

ああ、ついでに。新ヤコブ病というのがあって、イギリスだかの五歳の女児が発症した、というデータがある。ハムやらソーセージが好きな子だったんだとさ。さて、わたしゃ後何年まともに生きられるやら。


放射能にやられるかスポンジ脳になって死ぬか。遅かれ早かれ死ぬと。ああ、なんということでしょう。酒の飲みすぎで肝臓が云々よりこれは確実にやってくることでしょうな。やはり、肉は食べなくてよいようだ。とりあえず、ジビエ食べるまでな!では、十年、もしくは二十年後、お互い意識がまともだったら幸いですね、ということでさようなら。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿