ウヰスキーのある風景

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生存報告

2011-11-23 | 雑記
題名の通り、生きております。

何が?うちのPCが。


というのも、昨日、仕事場に行く前に動かなくなったので、「壊れたみたいだから、習字載せられないよ」と言ったものの、対処方を夜中調べてみたら、思い当たるところがあったので試してみたところ、正常に動き始めた。


ここのところ掃除をサボっていたので、埃による帯電で、メモリの周りが誤動作というか動かない状態だったようだ。


普段掃除しなかった、グラフィックボードやらサウンドカードを刺している部分も掃除しておいた。電池はまあいいかとそのままやってみたが、こちらは特に問題なかったようだ。


HDDの、マザーボードに刺さっている部分を抜き差しするというのもやってみるとよいとのことで、抜いてはここもエアダスターで軽く掃除しておいた。


メモリは意外に埃がくっついており、目に見えない埃で製品がダメになるというCPUの工場などからしたら有り得ない状況だったといえる。



何にせよ、無駄な出費がなくてよかった。最悪、マザーとCPUとメモリの総交換かと覚悟しかけていたが、なければないでゆったり過ごそうかと考えてもいた。

つまり、動けば動かないで諦めがつこうというものだったと。ちょっと前まででは思いもよらない潔い態度。あれだけバカみたいにやっていたゲームをやらなくなったのだ。未練も何もない。



動いたものは仕方ないので、もうしばらくお付き合いすることになる。まあ、今年一杯じゃなかろうか。こんな世の中ですから。

こんな、で何も想像がつかない、もしくは微視的にしか見えない人は、まあそのままお過ごしください。



数日前に書いておこうと思ったことがあった。そしてPCの起動不良が重なったわけで、そのせいでちょっと忘れ気味になっている。何とか掘り起こしながら書いていこうと考える。



そうそれは、食べ物についての話だった。

先日、「そこらの食い物はもう放射能まみれだぞ。何の対策もしないでいたら危ないぞ」という風に、人に指摘したことがあった。

ちゃんとした塩(岩塩やらせめて天日塩など)をしっかりとるとか、緑黄色野菜などの抗酸化食品をよく摂る、で、選ぶならそこらのうさんくさい野菜じゃなくて、しっかりしたところからなるべく仕入れると。

その当人は、本人が飯を作るわけではないので、後半は言わなかったもしれない。そのあたりはどうでもよい。


返ってきた言葉はこうだった。「僕はもう放射能とか気にしてませんから」というものだった。

それでこの上の指摘に繋がったのかもしれないが、まあ大体そんな感じだったと思う。


その彼は赤髪の道化師がマスコットのファーストフードが大好きで、一日、ピザやらハンバーガーを食べまくって幸福感に浸ったりしていたそうだ。

ピザ食って幸福感に浸れるのは科学的根拠がある。他にもあるが、チーズである。つまりは乳製品に含まれるカゼインだったか、動物性蛋白が体内でアヘンと似た働きをするというものである。

人間の母乳にも名前は違ったか同じか忘れたが、同じくアヘンと似た働きをするモノがある。これは自然の働きで、とはいうものの、人間なら人間の母親から授乳期に、牛なら母牛から同じく授乳期に飲ませるための働きである。

自然はその赤ん坊の母親から飲む母乳は飲むべきである、ということを示しているのだと。ただ、乳離れは中毒患者を更生させるかのごとく、苛烈にならざるを得ない。

牛は一人前になっても母牛から乳をもらうのか?というとそんな訳はない。人間も母親から乳をもらうだろうか?もらおうとしたら病院に連れて行かれかねないだろう。


話が逸れた。えーまあそのなんといいますか、そんな愚かしいにもほどがある食生活と中毒っぷりを示している彼の「気にしてませんから」は単なる能天気、楽天家というやつである。


ある程度の段取りや目測を立てて、それ以上どうしようもないという時に諦めにも似た心持で(続けていることは辞めない上で)楽観視するのとはまったく意味が違う。なんだかこれも否定的だが、気にするな。


そしてこうも言っていた。

「好きなものを食べてぽっくり逝ければそれでいいんじゃないか」と。


甘い。甘いというより愚かしい。


己自身のみが朽ちるなら別に問題はなかろう。ただ、そんなものを消費し続けること自体がふざけた商売を助長し、延いては地球の環境までも悪化させる。

某ハンバーガーだけでなく、畜産を今の規模でやり続けるのは、地球環境にとってすさまじい負荷になっている。わざわざ食糧難を自分たちで引き起こしているといえる。

何故増えこそすれ、減らないのか?答えは簡単で、皆食べるからだ。食べないと死ぬと思っているからで、これは意味が違うが、まさに食中毒である。思っている、というより思い込まされている、であるのだが、そんなことをいっても、誰も聞く耳もちゃあしない。


そういう、粗製乱造の食い物の中にはこれまた化学物質がてんこ盛りである。野菜には農薬、肉には抗生物質やらホルモン剤がたんまり。

仮に本人に影響があまりなかったとしても、そういう化学物質はなかなか分解されない。水に流れ、海を汚染し、魚介類に濃縮されたり、土壌や水源を汚染する。


アメリカでは、やたらうつ病の薬を飲みまくるので、尿やらで排出された分解されなかった薬の成分が水源を汚染し、生態系をおかしくしているそうだ。また、飲み水からも検出されているともいう。浄水施設も素通りに近いようだ。

あんまり効果がないと評判のうつ病の薬は、うつ病の人が飲むとよく自殺するという特効薬だったりする。そんなものをまだ健康な人が(飲んだつもりがなくても)飲めばこれまた飛び降りたくなるのかもしれない。


似たような、というかほぼ同じような話で、名前は忘れたが、「農薬を開発中に偶然見つかった」然る人工甘味料。こいつも代謝されずに、尿などから体外に排出される。

もちろん、飲み水から見つかった。日本のどこかで出たニュースである。人工甘味料自体の害もさることながら、こうやってわざわざ自分たちで首を絞めているのである。


さて、また肉の話に戻ろう。

「牛や豚や鳥は食べてもよい。食べてもよいものだからそれはもうむごたらしく扱ってもよい」と思って食べている人は皆無だろう。なんせ、加工された食肉しか目の前にないのだから。あんまりいいたかぁないが、肉をおいしく食べている人はそういう心持に共感している、などといわれても仕方ないのかもしれない。

牛は殺されると判ると涙を流すそうだ。人間と大差ない血の通った動物をモノとしてしか認識しないわけだ。およそ生き物とは思えない扱いを受け、挙句の果てに殺される動物たちの心は如何ばかりか。


わしは別に自分が動物が好きだから、という理由だけでこんな話を持ち出すのではない。


これは現代人そのものなのである。いや、もしかしたら人ではないのかもしれないが。


つまり、「自分たち以外の人間は人間じゃないから、家畜として扱ってよいのだ」という認識に繋がり得る。

感じていることや考えていることが違うから、それが合わないからお互いすれ違って生きるのは別に問題なかろう。それでよい。苦痛でしかないのに無理矢理合わせて生きるほうがおかしくなる。

そうではなく、「違うから攻撃してよい」になっている。「立場が下だから」殺しても構わない、となってもおかしくはないのである。というかそうなってる。


そうやって散々ぶち壊しておいて(そんなの売るほうが悪い、ではなく、買うほうも悪い)自分自身が好き勝手に死ねたら別にいいや、というのは無責任にもほどがある。

この先結婚して子供が出来たときに、そんな環境で確実に体か頭(頭も「体」だな)がおかしくなるような状態に子供を放り出すといっているようなものである。


昔ならわしも同じことを言ったであろう。しかし、「自分自身」を追求していったら結局、大きすぎて訳がわからなく思われるだろうが、この世、延いては地球にぶち当たる。


だから、こういうことにする。『もっと「あなた自身」のために生きてみませんか?』と。では、また。

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