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秋の夜長

2010-09-26 | 雑記
ある日の仕事の空白の時間にTVを見ていたら、TVに映っていた人物の肩書きについて聞かれた。

「ユタってなに?」

わしゃ百科事典じゃないぞ、とは思わなかったが、たまたま知っていたので
「沖縄の霊媒師みたいなもんです」と答えた。

沖縄では、といっても本土とそれ以外では違いもあろうが、生活の中にこの霊媒師のような存在が身近にある。
あまりピンとこないだろうが、初詣いったり七五三のお祝いしたり、結婚式を神式で挙げたりと
それよりももっと生活(といっても沖縄の人々の生活)に密着した存在であるといえる。

生活の悩みを相談したり、病気の相談なんかも受けたりするようだ。

宮古島の精神病院で働いた人のとある著作には、医者も一般の人もこう自然に言うとある。
「医者半分、ユタ半分」と。


幼少のころから霊感があるというか、そういう子供が長じて神がかりを受け、そういう存在になる
と、粗雑に述べればこうなるか。

その苦しみは筆舌に尽くしがたい。あるユタの経験を元にした小説では、海をザブザブすすんでいく描写がある。
勿論、この耐え難い苦しみから解放されるために、だが。

そしてまあ、悟るというか、この世とあの世の境に自身が立っていることを自覚し、ユタとして生きていく。
また、そのことを感じ取ったがユタとしてではなく、一般的な生活に戻る人もいる。

いきなりあの世やこの世といわれてもさっぱりだろうが、そういうものだと思っていただこう。


ユタの体験や宮古島での話というのは、前述の「とある著作」で読んだ話だが、かなり省略している。
お前が何を言っているかさっぱりわからないという人は、
渡辺哲夫『祝祭性と狂気~故郷なき郷愁のゆくえ~』岩波書店刊 というのをどうぞ。
この本自体は、内容に深く触れなかったが、ようやく読めた、という程度で紹介はしたことがある。
まあ、お互いそんなことは覚えてないので気にしないで置こう。


今回はその著作の中で度々引用されていた、とある著作を読んだことをすこしばかり。

また先ほどの著作の話へ逆戻りするが、渡辺先生は既存の精神医学にひどく懐疑的であった。
このままでは、との強い思いに駆られ、沖縄で診察を始めたそうだ。
そこでの臨床経験が、都内で携わったものとはまるで違うことに驚き(全部が違うわけではないが)
また、ユタという存在や、明文化されてはいないが沖縄の伝統と呼べるような精神に、
精神病理学復興の鍵を感じたというそうだ。

論文でもなければ小説でもないと、書いた本人ですら戸惑っているような内容ではあるのだが
さすがに本職が医者ではあるので、引用文献が実に専門的であった。文学の引用が多いのも不思議だったが。
例えばニーチェ。ニーチェ自体は文献学という医学とは恐らく何も関わりのない出自。
強烈な思想を打ち出した思想史的にも文学的にも巨大な人間なので、文献学云々は別に問題ないとはいえる。
精神の高みというか極地を見出し、指摘した彼の思想は、ユタや沖縄の精神的風土を読み解く
大きな助けになったのだろうと思われる。

さて、そのニーチェを強烈に読み込んだある思想家の著作がどうやらこの本の肝だと思い、一冊読み上げた。
名はジョルジュ・バタイユ。いくつか著作は挙げられていたが、『エロティシズム』というのを見つけた。
彼は二十世紀のフランスの思想家で、ラディカルと評される、過激な思想だったという。
とある著作は発禁処分を受けたことがあるそうだ。

タイトルどおり猥褻だったから?と思ったが、昔、タイトルを見た時は無視していたので
偏見をもたれても仕方がなかったのかもしれない。

ちなみに、仕事場で暇な時に読もうと、手近なところに置いていたら、からかい半分だろうか
「なんだか興味の惹かれるタイトルだなぁ」といわれた。お勧めはしないがよかったらどうぞ。

一読し感想を正直にいうと、わからない、の一言に尽きる。わかるのかもしれないが、
これを果たして人に伝えられるか、というと、多分無理だと感じた。

ただ、度々例の著作に引用されていたのもあり、思考の土台になっただろう部分も読み取れた。
ここを引用してたような気がするな、くらいではあったが。
そういう意味では百ページ中一行くらいの理解は出来たのかもしれない。


読書の秋という。しかし、このびっしり字の詰まった難解な本をもう一度ダラダラ読んでいたら
すぐ冬になる気がする。たまには小説でも読もうかと思うが、気が向いたら。
まあどうせゲームばっかりやってることだろう。では、また。

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