ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

叫び声が氣になる

2021-07-09 | 雑記
昨日、ちょっと遠出をして馴染みのカフェに行った。

少々飲み過ぎたが、久しぶりの顔なじみや店主とでわいわい喋って過ごしていた。

それはさておき。

これを書いている日の未明。はたと目が覚めると、叫び声のような物が聞こえている。

酔っぱらってPCを付けたままだったせいというわけでもなく、外から聞こえる。
カーテンを避けて見てみると、目の前の一軒家も不審に思ったのか、明かりを付けた。

しばし外の様子を伺ってみたが、収まる様子がない。もし人だったら警察を呼ぶべきかとも思い、捜索することにした。

家が密集しているという程ではないが、二車線の道路分くらいの土地を挟んで向かいにアパートもあり、部屋から見える一軒家も部屋から見ていうと、向かいのアパートの右にある。
そのアパートと一軒家の間から公園の一部が見える。よく近所の少年野球が週末に練習しているような、遊具のない公園である。

どうもそちらから聞こえているような?と感じ、耳を澄ましながら公園の方に向かった。

しかし、公園に付くどころか、すぐに声の方向が分からなくなった。向かいの道に行ってみたが違うと悟り、また公園の方に引き返すと、歩道わきの排水溝から声がする。

ここから声がするにしても、部屋まで真っすぐに聞こえてくるとは思いづらかったが、声は続く。

どうしようもないので引き返そうと思ったら、今度は窓から見た時に聞こえてきた方面から声がする。

恐る恐る近づくと、先ほど書いたアパートと一軒家の間は公園の敷地で、区切りの金網が貼られている。

金網のすぐ裏側に排水溝があった。声はそこから聞こえているようだ。

恐らく、何かの小動物が落っこちたのだろうとは思うが、悲痛な声が続く。

別の排水溝から声が響いた理由と、原因が特定出来たのはいいが、どうしようもない。
声は大きくなったり小さくなったりをしばらく繰り返していたが、少し小さくなったようだと思い、部屋に戻った。

気になったのでメモ帳(物理)に書き記す。一時間もしないうちに、声はかなり小さくなり、そして消えたのを確認して、横になった。

消えないようなら後で警察に連絡しようかと思ったが、その心配はいらないようである。
人が襲われているのではないのは幸いだったが、そこに落っこちたと思われる小動物には災難だったろう。


また冒頭の話に戻る。

たまたまワクチン接種の話になって、店主はこう語る。

「危なそうなのにどうして皆打ちたがるんでしょうね」と。

店主がワクチンのことについてどういった見解を持っているかまでは分からないが、こういう反応が普通だと言える。

こちらは別に学者でもないが、話のネタとして、今回とそれまでのワクチンの違いについて簡単に説明した。


既にご存知の方には釈迦に説法という奴だが、どちらにしても体内に抗体を作らせるという点では同じである。

血清と言う、蛇の毒などにやられた時の治療薬があるが、これはかつては馬に弱めた毒を注入し、死の間際まで抵抗させて抗体を作らせ、その血を抜き取って精製するというものだった。現在は合成である。
今までのワクチンは、丁度この馬のと同じ流れだった。死んでしまうような毒ではないが。

だから人によって抗体の出来が違うから安定しない、というのが医者の理屈である。

そこで騒ぎになっている今回のワクチン。

ウイルスの遺伝子の一部を取り、それを書き換えたものを入れている。
細かい理屈は忘れたが、それが特定の細胞に取り付き抗体を作らせ続ける仕組みだと、どこかで読んだ。
mRNAと言ってたか。mはメッセンジャーの頭文字である。
だから効果が段違いだ、ということだそうな。
これが遺伝子を書き換えてしまう恐れがあるので危ないという指摘もあるが、動物実験でも騒がれているような問題が出ていないだとかは聞く。
どちらが本当かまでは分からないが、結構な割合で死者や重篤な反応が出ていることは、メインのメディア以外とはいえ、よく目にする。直後に死亡したというニュースもメインメディアで出るくらいでもあるし、厚労省のHPにも死者数や副反応のデータが載せられているという。

mRNAワクチンの話で騒がれている、遺伝子が書き換えられてしまうから人間じゃなくされる、という風な話も出ているとは伝えたが、別に打てとも打つなともいう話ではなく、それから店主が「ワクチンを考え出した人はどうやって思いついたのかな」と素朴な疑問を返してきた。

昔読んだか子供の頃の解説漫画で読んだかの、天然痘対策が始まりだったようだ、と色々喋っていた。
天然痘という病気があるが、牛にも牛痘という同じ症状の物がある。発症した牛の体液だかを取ってナイフで肩や腕に傷つけて塗り込むというものだったとか。
定かではないが、どこかの部族が行っていた風習を、然る貴族が真似したとも聞く。

ワクチンはまじないみたいなものかもしれんな、などと笑い話にしておいた。

話は前後するが、抗体も身体の一部なら機能がまともな場合に有効になると思う、例えば身体が弱っている人に抗体だけ作らせたところで防げるとは思えない、という自説も付け加えておいた。


とはいえ、この辺りは一般的な理論に則った話ではある。


野口晴哉が「風邪はうつらない」と語っていた事を度々書いているが、ではどうして風邪やインフルエンザがうつっているのだ?と尋ねられる。コメントではなく、人と話した時のことだが。

風邪が流行る時期に風邪を引かないというのは身体の反応が鈍いので、そういう人は時季外れに引いて重くなったりする、という話も言っていたか。つまり、時期に合わせて身体がそう動くのが大半だからうつったように見えるといえる。
普段から滅多に風邪を引かない人が風邪を引くと症状が重くなる。もしくは後々大きな病気になってぽっくり逝くことが多いとも。コロナが重症になった人は、そういう人なのかもしれないと推測している。
重症患者が普段から風邪を引いてなかったかどうかを調べている医者は恐らくいないので調べようがないが。

風邪という観念が人にうつすという事も言える。野口晴哉のいう所の「氣」である。
よく、楽しそうな人の近くにいると、こちらも楽しくなるというのがある。
反対に辛そうな人の場合は、こちらも辛くなったりというのがある。
感情が伝播しているのである。
風邪を引いているという感情が他者に風邪を引き起こしているということも考えられる。


急に話を変えるが、去年の三月ごろに見た記事で、アメリカで三週間ほど夫とも顔をあわせない自主隔離生活を続けた女性がコロナに罹ったという話があった。
あの時期のコロナは肺が苦しくなって、という報告が多かった。今もあるのだろうが、それはともかく、自主隔離前に買い出しでドラッグストアの店員とのやり取り、後は夫とも離れているので、食事の宅配サービスなどを受け取った時に人と話したぐらいだったとか。

こんな話を聞くと、怖いと感じるだろう。そうすると、コロナの事で頭が一杯になり、テレビでも散々流すし、そういう記事も追いかける。人を見たらコロナだと思うようになる。

野口晴哉が言うには、「氣の動くように心が動く」と。後、読み返してみたら氣は心そのものではないとも。

氣は感情で操作することができるという。つまり、コロナが怖いという感情を持てば、氣は自然とコロナの恐ろしさばかり追いかけ、報告されている罹った場合の恐ろしさを見るあまりに、本当にそのような状態を作り上げてしまう。厚労省はマスクを年中しろとは言っていないらしいが、年中マスクしたりさせたり、ワクチンが出ましたと聞けば何を置いてもすぐに打ちにいったり、半ば強制的に打たせようという道理も理屈も無視する空氣の理由でもある。

3密回避はこの意味では対策と言えなくもない。近くよりは離れた方が他人の氣による影響は減るだろうから。
ただし、多くの人がテレビや大手新聞系列の情報を見ているという点で、無意味に近い。

テレビを捨てて似たり寄ったりの報道をする新聞やそれに沿ったネットのニュースを排除すれば、否が応でもなくなるとはいえる。捨てるのが無理なら報道が無くなればだが、一度乗った勢いは行き着くところまで行かないと止まらないだろう。

ただ、もう一つ懸念はある。

コロナは嘘だとか、ワクチンは危険だ、というのは結局コロナ騒動から離れてはいない。
これらはネットを介した媒体で盛んである。
現状、この騒動をまったく無視するのも無理なので、致し方ないところではある。
それらの主張の正否は関係ない。

前述した話からしたら、感染症すべてが嘘だともいえるようなわけで、ことさらにコロナだけが嘘っぱちと言う意味もない。

と分かればそもそもワクチンなんぞ必要なく、危険か安全か、効果の有無なども無意味となる。
だが、現代の多くの人にこのような観点を伝えても理解されないだろうとは思う。
胡散臭い話という奴だからだ。

マスクしてワクチン打って隔離していればコロナはなくなると思っている人は、そういう氣の下で動いている。
正反対の氣をぶつけても反発を起こすだけで、頭で言葉を理解しても心に響かないので本当には理解しない。
氣が合わないというが、そういう人とは話が噛み合わないだろう。現状は正にそうだと言える。皆が皆そうだとは思わないが、確実に凝り固まっている人はいる。

文字通り氣付かない限りは、話を聞かせても無駄である。
自身の感情が如何なる理由で動いているのかを本人が自覚しない限りは。
別に「氣」を知りなさい、という意味ではない。

こう言うと反発されるとは思うが、コロナは嘘だとかワクチンは陰謀で危険だとかというのは、却ってこの騒動を補強するのではないかと考えている。
陰謀と言われるような物はないという訳ではない。

メインメディアでも陰謀論がどうとか言い出すほどで、それを切っ掛けにして中途半端に知り得た人が怒りの余りに騒ぎ出し、そして事態は悪化すると言えなくもない。
今まで書いたことを踏まえてまた言うならば、結局コロナとワクチンで頭が一杯であり、立場が違うだけの現代で大多数の人がそうであると推測される状況と変わらない。コロナとワクチンという概念を補強している。

Twitterで余りコロナが如何に嘘かだとかワクチンが危険だという風な話を直接的に持ち出さないのは、こういう理由である。寧ろ当初は正反対の事を言ってもいた。その時は少し迷ってもいたし、ここまで確信してなかったからだ。とはいえ、人気はないので影響力はほぼない。ボ〇ムズ次回予告パロディは空振りである。

現代医療が正しいか正しくないか、ワクチンは良いか悪いかといった二項対立は、結局現代医療を前提にして考えられている。
拙が上記に示したような観点で病氣を見る人は多くはいない。
風邪になったらすぐ医者に行ったり、薬を飲むとかいう人が件のワクチンについて騒いでいたとしたら、ワクチンに問題がなく効果があれば打つつもりだと言っているようなもの。

己の身体は己がどうにかするのが基本である、ということを忘れてはいけない。
現代はどこまでも行っても「どの医者に頼ろうか」という具合なのである。

では、よき終末を。


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