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9月18日のブログ「環境経済・政策学会 2007年大会」 の最後に、次のように書きました。
今年2007年は、国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)が1987年4月に「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(Our Common Future 通称「ブルントランと報告」)を公表してから20年になります。
この概念は1992年のリオの地球サミット(国連の環境と開発に関する会議、UNCED)で合意されましたが、現実の世界の動きはこの概念とは異なって進展しているように思います。
今年の大会では、これまでの20年間の成果を踏まえて、この「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念を学会あげて総括してみたらよかったと思うのですが、いかがでしょうか。
そこで、今日から数回にわたって「持続可能な開発(Sustainable Development)」という概念を検証することにしましょう。
「持続可能な開発」という言葉を初めて目にする方もあるかもしれません。英語ではSustainable Development(SD)というのですが、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた報告書「世界保全戦略」に初めて使われ、以来広く使われています。
おおよその意味は、「現在ある環境を保全するだけではなく、人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する能動的な開発」「人間社会と、これまで人間の経済活動によって破壊されつづけてきた自然循環の断続を修復する方向の開発」ということです。
私が「Sustainable Development(持続可能な開発)」という言葉に最初に出会ったのは、1983年6月8日東京で開催された日本学術会議主催の国際シンポジウム「地球環境の保全と先進国の役割――開発途上国への国際協力」のときでした。
当時、スウェーデン外務省環境・開発上級顧問であったぺール・ブラムネルさんはこのシンポジウムで「スウェーデンの環境国際協力」と題する基調講演を行ないましたが、そのなかでSustainable Developmentという言葉をさり気なく使っていました。
そして、 「先進工業国における持続可能な開発」と「発展途上国における持続可能な開発についてつぎのような見解を述べました。
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先進工業国では今後、人工的な都市社会に住む人々の数はますます増えてくる。人工的な都市社会に居住し、技術に頼れば頼るほど、私たちは自然からのメッセージを伝え聞く能力を失う傾向を加速するであろう。
人間活動はこれまで「自然循環」を破壊しつづけてきたので、ただ現在ある環境を保全するだけでは不十分で、21世紀に人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する必要がある。
「持続可能な開発」とは受け身のものではなくて、むしろ人間がその生活にふさわしい環境をつくりだしていくために、「人間社会」と「自然循環」の断続を修復する方向の開発でなければならない。
発展途上国では「環境」と「開発」の間に、本来、対立はないはずである。とくに長期的な意味での対立はあってはならない。「環境の劣化」は多くの発展途上国にとって開発に対する直接の脅威とすらなり得るものである。
積極的な環境保全は発展のための不可欠な必要条件であり、開発の前提条件でもある。発展途上国における環境の劣化は、先進工業国の大半が経験したのとは異なった形態をとっている。
環境の劣化は、しばしば、基本的な人間のニーズである食料、水、燃料などに対して直接的な影響を及ぼす。それは発展途上国が生態学的な側面、経済・社会そのほかの条件で先進工業国とは違った形態をとっているからである。
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