環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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「持続可能な開発」の概念② 日本の意外なかかわり方

2007-09-24 10:22:40 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト


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1992年の地球サミットで合意された「持続可能な開発(Sustainable Development)」という考え方には、じつは日本が意外なかかわり方をしていました。 

1972年にスウェーデンの首都ストックホルムで開かれた「第一回国連人間環境会議」の10周年にあたる82年、国連環境計画(UNEP)管理理事会の特別会合で、当時の日本政府代表は、国連に「環境特別委員会の設置」を提案しました。

日本が提案して設置された国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」(通称ブルントラント委員会:ノルウェー首相だったグロ・ハーレム・ブルントラントさんが委員長だったのでこう呼ばれる)の任務は、

①21世紀の地球環境の理想像を模索すること
②それを実現するための戦略を策定すること


で、いままさに必要とされる今日的なものでした。

この委員会の発足を可能にした当初の財政援助は、カナダ、デンマーク、フィンランド、日本、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイスの各政府からの拠出でした。後に、カメルーン、チリ、西ドイツ、ハンガリー、オーマン、ポルトガル、サウジアラビアの各政府とフォード財団、マッカーサー財団、NORAD、SIDA(スウェーデン海外開発支援庁)などからも多くの寄付が寄せられました。その中でも日本は最大の資金拠出国で175万ドルを拠出し、その額は全拠出額の3分の1を占めたほどでした。

いま改めて、当初の拠出国をながめてみると、北欧4カ国(デンマーク、フィンランド、ノルウェーおよびスウェーデン)の名はありますが、米国の名はありません。これは、当時から現在までのおおよその「環境問題に対する基本認識の相違」にもとづくとみてもよいのではないでしょうか。

この委員会はノルウェーのブルントラント女史を委員長に22人の有識者によって構成され、1984年から87年までの3年間精力的な活動を行い、87年4月にその報告書「われら共有の未来(Our Common Future)」 (通称、ブルントラント報告)を国連総会に提出しました。

この報告書の中で初めて、「持続可能な開発(Sustainable Development)」が次のように定義されました。

持続可能な開発とは、将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発

この概念を実行に移すキーポイントの一つが「先進工業国におけるエネルギー成長を低下させること」であることは意外に知られていません。また、報告書は次のように述べています。

すべての国の経済・社会開発の目標は、持続可能性を考慮に入れて定めなければならない。その解釈はさまざまであろう。しかし、いくつかの共通認識に立ち、しかも、持続可能な開発の基本的概念とそれを達成するための広範な枠組みについて合意した上で出発しなければならない。

ところが、私がたいへん不思議に思うのは、報告書が公表されたあとの日本の行動です。国連に、「持続可能な開発」という21世紀に望まれる新しい考え方をつくりだすきっかけとなった委員会の設置を提案し、その委員会の活動を支える資金の3分の1を提供したにもかかわらず、得られた成果をまったく活用していないというのはどういうことなのでしょうか。 

委員会の報告が、 「経済の持続的拡大」という日本の政治目標にそぐわなかったからでしょうか。



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