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最近、「環境問題はもはや議論している場合ではない。具体的な行動計画を策定し、それを実行に移す段階にある」と主張する識者が日本にも出てきました。国際的に高い次元からこのように述べるのであれば、まさにその通りだと思います。
1992年5月に国連環境計画(UNEP)が公表した「世界環境報告 1972-92」をはじめとして、
① 「世界環境概況 2000」 UNEP 1999年
② 「IPPCの第3次評価報告書」 IPCC 2001年
③ 「2020年までの環境見通し」 OECD 2001
④ 「地球環境白書」 UNEP 2002
⑤ 「生きている惑星の報告」WWF 2002年
⑥ 「IPCCの第4次評価報告書」 IPCC 2007年2月2日
が指摘していますように、確かに事態はそこまで進んでいるからです。
ただ、注意する必要があるのはこの主張は環境問題で国際社会をリードして来た国々が環境問題の「重要性」と「緊急性」に気づいて、「議論している場合ではない。国民の間で早急に環境問題に対する合意を取りつけ、すべての国民の協力の下に早く行動に移さなければ環境問題の解決は時間的に間に合わないかもしれない」という危機感から出たものであることです。
しかし、この種のメッセージが日本の識者から日本の国民に向かって不用意に発せられる場合には、そのようなことを言う識者の「日本の環境問題に対する現状認識」に首をかしげざるをえません。
日本のように、これまでの公害対策基本法を頂点とする環境法体系を25年間運用してきた結果、「公害への共通認識」はできたものの、“環境問題への共通認識”が未だ国民の間に確立していない日本で、社会を構成している各主体が“それぞれに環境に配慮して”自主的かつ積極的に行動を起こせば、間違いなく「環境への人為的負荷」をさらに高める結果となるでしょう。1993年11月に制定された「環境基本法」のアプローチはまさにこの危険性をはらんでいると言えるでしょう。
行動を起こす前に、十分議論し、“包括的で、整合性のある、柔軟な、しかも継続性のある”しっかりとした政策を打ち出し、社会を構成する各主体(国、地方自治体、事業者および国民)が一致協力して共通の目標に向かって行動をとることが必要です。
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