咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

小島貞博調教師の訃報・・・

2012-01-26 22:37:15 | スポーツ
 先日、小島貞博調教師の訃報のニュースには目を疑った。どうされたのだろうか・・・。

 1994年5月24日(土)、NHK地方局のビデオクラブのメンバー10数人とNHK本局のスタジオ見学やビデオ撮影技術向上の勉強会に上京していた際、場外馬券売場に出向き5月25日(日)に開催されるオークスの馬券を購入していた。

 当時大好きであった小島貞博元騎手が騎乗するチョウカイキャロル(父:ブライアンズタイム)、相手筆頭にこれまた応援していたゴールデンジャック(父:Afleet)、鞍上は四位洋文騎手。

 チョウカイキャロルからゴールデンジャックへのウマレンは、投資額の50%を入れて、そのほか1番人気の武豊騎手が騎乗するオグリローマンなど数頭を入れた5点張りのウマレンで勝負。

 帰りの飛行機の出発時間は、16時ちょっと過ぎであり、羽田空港内の窓際で短波放送の実況を聞いていた。チョウカイキャロルは、5、6番手から追走し4コーナーから直線に向くと早くも先頭を伺う態勢・・・との実況。ラジオを聞いていた当方、よし、よし、ほくそ笑んでいた。

 そして、直線半ばでは、チョウカイキャロルが堂々の先頭・・・の声。どうやら、これは間違いないようである。

 相手はどうか。すると・・・。

 「大外は、アグネスパレード、ゴールデンジャック並んでゴールイン」と叫んでいる。

 その実況放送の内容から、ゴールデンジャックが届かなかったのだろうか・・・と気をもんでいた。待っていると、写真判定の結果と着差が発表された。

 ゴールデンジャックがハナ差で2着に上がったらしい。思わず、心の中でガッツポーズ、小島元騎手、四位騎手ありがとうと叫んでいた。

 その翌年の1995年5月、日本ダービーでタヤスツヨシに騎乗した小島元騎手が、二度目のダービーを制覇・・・。

 お尻が筋肉で盛り上がり二つに割れているように見えたミホノブルボン、栗東の坂路コースで鍛えに鍛え上げたとの戸山為夫元調教師。そして、愛弟子の小島元騎手を主戦騎手にして、短距離馬と言われていた同馬に皐月賞・ダービーを獲らせ、無敗のまま三冠最後の菊花賞に臨んだが・・・無念の2着となった。
 そして、惜しくも三冠騎手になれなかったが、小島元騎手は晴れてダビージョッキーの座についたのである・・・1992年5月のこと。

 小島元騎手と同騎手の恩師・戸山為夫元調教師の師弟関係の話について、後年「Gallop」誌に記載されていた記事を何度も読んだことで、それ以後小島元騎手を益々、応援するようになっていた。

 ミホノブルボンを最後に育て上げた戸山為夫元調教師引退後は、小島元騎手も成績的に良くないこともあったが、鶴留明雄調教師のもとで復活し2001年に騎手を引退。
 その後、調教師として再スタートを切られていた。

 当方、小島元騎手を応援していたこともあり、厩舎開業後、娘婿の田島翔騎手が騎乗する小島厩舎の馬にも・・・ちょく、ちょく目がいって応援していた。

 そのような最中(さなか)、毎年手堅く勝利を掲げている同厩舎、何が原因であのように不幸なことを選択されたものか・・・当方たちには知る由もない。

 騎手時代から、いぶし銀の騎乗ぶりに感激しながら応援し、調教師転向後は同厩舎の馬たちにも目が向いていたが、本当にこのニュースには驚き、今はただ、ただ、師のご冥福を祈ることだけである。(合掌)

 今まで、楽しい競馬を見せていただき、本当にありがとうございました(夫)


(出典:JRA-VAN NEXT ‘92年・ミホノブルボンでダービー制覇)

 参考資料:ギャロップ、サンスポ、大スポ、JRA-VAN NEXT他

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