週明けの凍りつくような日から、一転・・・
今日の金沢は、風もなく気温も上がり、春本番を思わせる日になりました。
気温の上昇もあり、店の周りには、雪がどこにも見当たらなくなりました。
しんちゃんの山の実家も、道路の雪は無くなりましたが、
田畑には、まだ全体が5cm程度、白く雪に覆われています。
この天候では、数日で雪がなくなるでしょう。
好天に恵まれ、久しぶりに実家からの白山の遠望を写真に。
今日の金沢は、風もなく気温も上がり、春本番を思わせる日になりました。
気温の上昇もあり、店の周りには、雪がどこにも見当たらなくなりました。
しんちゃんの山の実家も、道路の雪は無くなりましたが、
田畑には、まだ全体が5cm程度、白く雪に覆われています。
この天候では、数日で雪がなくなるでしょう。
好天に恵まれ、久しぶりに実家からの白山の遠望を写真に。
さすが白山山頂付近は、真っ白の雪にすべて覆われています。
白山もあと1ヶ月程度で、雪解けに伴い、中腹あたりから、
いろいろな島模様が見えてくるでしょう。
昔から麓の農家の人たちは、この模様をみながら農作業を
始めていたそうです。(今でもやっているかも・・・)
カレンダーではなく、自然の季節に合わせて作業をスタートする、
先人の知恵ですね。
しんちゃんが入っている、県の茶業組合の若手を中心に、
加賀棒茶の香りの成分を勉強するため、
昨年から「加賀茶研究会」を立ち上げ、勉強会をしています。
加賀棒茶と呼ばれている棒ほうじ茶は、石川県の各茶店で、
自家焙煎しているため、香ばしい香りと仄かな甘さが特徴で、
全国的に人気が出てきています。
今日、この加賀棒茶の香りの成分や甘味成分の
研究成果の勉強会がありました。
加賀棒茶の香りの成分を勉強するため、
昨年から「加賀茶研究会」を立ち上げ、勉強会をしています。
加賀棒茶と呼ばれている棒ほうじ茶は、石川県の各茶店で、
自家焙煎しているため、香ばしい香りと仄かな甘さが特徴で、
全国的に人気が出てきています。
今日、この加賀棒茶の香りの成分や甘味成分の
研究成果の勉強会がありました。
講演では、
(独)農業・食品産業技術総合機構、野菜茶業研究所
から、お二人の先生にお話をしていただきました。
特に、棒ほうじ茶の香りの成分を分析した内容に
大変興味が湧きました。
「茎のほうじは、甘くて香ばしい匂いの
成分の影響が葉ほうじより強い」
とのことです。
なんでも、お茶の木が成長するときに、
根から養分を吸い上げて葉まで運ぶため、
葉の部分より、茎の部分の方に旨み成分が
濃縮されているそうです。
資料には、香り成分の化学式もありましたが、
しんちゃんには・・・・ちんぷんかんぷん(笑)
今回の勉強会を経て、さらに加賀棒茶の
美味しさをみなさまにお伝えできるよう、
研究を進めていきます。
日本列島は、第一級の寒波!
東北地方の方には、大変な積雪で、連日の除雪に
お見舞い申し上げます。
今年の金沢の積雪は、どうしたわけか、
例年よりかなり少ない。
助かってます。
でも、気温は・・・さむ~いぃ!
早く、春よ来い!!!
もうすぐ3月・・・ひな祭りですね。
先日、笹寿司で有名な、芝寿しさんから、
ひな祭りにぴったりの「雛寿し」が限定発売されました。
3月3日までの、限定販売です。
早速買ってきました。
普通の「雛寿し」と、「ちっちゃな雛寿し」がありました。
そうですよね、お子様が食べるには、大人弁当では大きすぎますものね。
ちっちゃくても、彩りしっかり・内容も大人用とほとんど同じです。
しかも、ちっちゃな方の蒲鉾は・・・「キティちゃん」の顔!
子供が喜びそうです。
女将は普段、大人用の弁当では量が多すぎ・・・と言っていたので、
この「ちっちゃな雛寿し」を大変気に入ったようです。
この「ちっちゃな雛寿し」を大変気に入ったようです。
昨日、金沢の奥座敷「湯涌温泉」への配達で、
旅館の女将さんから、金沢湯涌サイダーをいただきました。
旅館の女将さんから、金沢湯涌サイダーをいただきました。
この柚子サイダーは、「柚子小町」と言い、
湯涌温泉までの道路に柚子を育てていて、
柚子街道と呼はれていることから、名づけたものです。
でも、今日頂いた柚子サイダーは、
「第二回 湯涌ぼんぼりまつり」専用のラベル・・・湯涌温泉は、アニメ「花咲くいろは」の舞台として有名になり、
アニメの中で行われている、「ぼんぼり祭り」を
一昨年から温泉街で実際に実施していますが、
このサイダーは、ぼんぼり祭り専用のサイダー・・・か。
初めてみるラベルでした。
味わいは、柑橘系の柚子の味が柔らかく口の中に広がり、
とっても美味しくいただけました。
もう売っていないんだろうな・・・。
今日は、金沢郊外の奥座敷、湯涌温泉の旅館にお茶の配達。
湯涌温泉は、近年、アニメの「花咲くいろは」の舞台になったことから、
若者を中心に、アニメの聖地として人気が出てきています。
(今、3月31日まで、宿泊キャンペーンを実施していますよ・・・)
今日の金沢は朝まで雪がなかったのですが、午前中から激しい雪模様。
山間の湯涌温泉に近づくにつれ、白一色の世界へ・・。
湯涌温泉入口の看板も、降りしきる雪で見にくい状態。
湯涌温泉は、近年、アニメの「花咲くいろは」の舞台になったことから、
若者を中心に、アニメの聖地として人気が出てきています。
(今、3月31日まで、宿泊キャンペーンを実施していますよ・・・)
今日の金沢は朝まで雪がなかったのですが、午前中から激しい雪模様。
山間の湯涌温泉に近づくにつれ、白一色の世界へ・・。
湯涌温泉入口の看板も、降りしきる雪で見にくい状態。
温泉街に入ると、道路は融雪装置で、道路にはほとんど雪がありません。
道路脇には、除雪した雪が積もっていますが、
これでも、例年に比べ、格段に少ない状態。
例年なら、金沢市内で数cmの積雪でも、
医王山の麓の湯涌温泉では、50cm程になるのに・・・。
やはり、今年の金沢の冬は、降雪が少ないです。
しんちゃんのお客様は、3旅館あり、
順番に厨房の勝手口から、お茶を置いてきます。
そして、今回は、しんちゃんのところに、
3月に横浜からお客様が来られるので、
一緒に食事をしながら歓談のため、
湯涌温泉に予約してきました。
3館とも甲乙つけがたいオススメ旅館ですが、
今回は、「湯の出旅館」さまに予約してきました。
友人から、大きな無線機が回ってきました。
なんでも、漁業無線を受信する漁船用の受信機・・・だそうです。
なんでも、漁業無線を受信する漁船用の受信機・・・だそうです。
なにしろ、バカデカイ!
インテリアにしても・・・デカ過ぎです。
しんちゃんのアマチュア無線機と比べても・・・4倍以上はありそう。
重さも、20kgもあるんじゃない。
しかも、真空管方式で、周波数表示もニキシー管です。
電源も入り、受信もできました。
メーカーは、「MISAKI WIRELESS ELECTRIC」。
形式は、「MR??R26B」・・・はっきり読めない。
製造は、「48-5」・・・昭和48年5月?又は、1948年5月?
たぶん昭和48年だろうか。
それでも、40年前の受信機。
筐体はすこぶる丈夫にできています。(重いはずだ)
少々のことでは、壊れないです。
受信範囲は、「90Hz~24MHz」まで、1MHz刻みで切り替えます。
今で言うところの、フルカバー受信機。
ちゃんと1KHz直読のダイヤルになっていて、安定度も良いみたい。
さすがプロ仕様、外も中身も頑丈ですね。
古い受信機ですので、メーカーも不明・・・どなたか知っている方、いますか?・・・・
夜の会合で、出された弁当・・・
米心石川さんの弁当でした。
米心石川さんと言えば、米卸会社と炊飯会社が合併し、
石川産の米にこだわったお弁当を開発しています。
今までもユニークな名前の弁当や洋菓子などを
世に送り出しています。
今日出された弁当は、「美味滋」・・・
なんと呼ぶのでしょうか?・・・
「うまいじ」とフリガナがありました。
「うまいじ」とは、「おいしいねぇ」っという金沢弁です。
2段重ねで、ボリューム満点。
寿しのご飯も美味しいし、惣菜もさっぱりした薄味で
素材の旨みがしっかり伝わりました。
実は、この2段がさねは、
米心石川さんの一期一会弁当の、
寿しの折「夢心寿しB」(500円)と
惣菜の折「夢心惣菜A」(500円)を組み合わせたもの。
これで1、000円は、お得です。
米心の弁当は、ご飯と惣菜をいろいろと組み合わせて
買えるので楽しめますね。
米心石川さんの一期一会弁当の、
寿しの折「夢心寿しB」(500円)と
惣菜の折「夢心惣菜A」(500円)を組み合わせたもの。
これで1、000円は、お得です。
米心の弁当は、ご飯と惣菜をいろいろと組み合わせて
買えるので楽しめますね。
しんちゃんは、2月初めから、3月上旬まで、
毎日、月~水の午前、木・金の午後、
石川産業技術専門校の臨時講師をしています。
教材科目は、電気通信工事担任者資格、DD3種の
資格取得コースの、接続に関する技術です。
合計で、90時間の受け持ちです。
教壇には壁一面の大きな黒板とチョーク。
企業などでは、ほとんどホワイトボードですが、
黒板にチョークは・・・学生時代を思い起こさせますね。
このチョークは、帆立の貝殻の粉末が原料だそうです。
黒板に文字を書いていると・・・指先は真っ白!
叩いてもなかなか落ちません。
白や赤、青、黄の色が混ざり合って、
結構しっかりと指先にくっついています。
たかがチョークの粉・・・でも、これが結構厄介。
1時間終わる毎に手を洗わないと、鉛筆や教科書に
触ることもできなくなります。
もちろん、服装に触ることもできません。
チョーク粉アレルギーの方は、大変でしょうね。
あらためて学校の先生の大変さの一面が分かりました。
・・・
ところで、なんで緑色なのに「黒板」?
調べてみました。(ここで・・・)
明治初期、教育ツールとしてアメリカ人教師が伝えてきたときは、
黒い色のまさしく「blackbord」・・・
それを日本が直訳して「黒板」。
すぐに日本で黒板が作られました。
当時は、墨汁を塗り、その上を柿渋で仕上げたそうです。
明治から昭和の戦後まで、ずっと本当に「黒板」でしたが、
昭和29年頃から、目に優しい・・・とのことで、
緑色になったようですが、名前は長年親しまれていた
「黒板」がそのまま使われているようです。
明治から昭和の戦後まで、ずっと本当に「黒板」でしたが、
昭和29年頃から、目に優しい・・・とのことで、
緑色になったようですが、名前は長年親しまれていた
「黒板」がそのまま使われているようです。