ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

すべてはヒューマンエラーに通ずる。パート2

2010年03月19日 22時37分27秒 | 観察屋ねーさん
オバチャマ

あそこの人らでなんだかズルズルズルズル続いてるいざこざはさぁ、ヒューマンエラーみたいなもんだよねぇ。(やれやれ)



兄貴

あれはヒューマン…ですかねぇ。(笑)

青年はツライ。

2010年03月19日 20時54分55秒 | 知言葉
兄貴

ダメじゃんかぁ。
あの人達に負けたら「悔しいっ、次は絶対に勝ってやる!」っていう気持ちを剥き出しに出来なきゃさぁ。


オバチャマ

あ、あんまり「争う」とか、「競争する」とか、そもそもそういうことに興味無いんでしょう?


青年22

いやオレだって奴ら(同い年)に負けたらさすがに「悔しいっ!」て思いますよ。だけどあのお二方相手では「勝っても負けてもツライ」んすよ…。


オバチャマ

うわー、わかるわー、それ。フフフ。
すごく気持ちがわかるわー。



兄貴

コイツ、必ず人を見るんですよ。




多分そのゲームは勝負が入ってるから、青年の場合、年長者相手の勝ちに何か遠慮があるんでしょう?
遠慮しいしいだからツライ…みたいな。


あとは負荷かけられて「なにくそ、オレは倒れねぇ。へこたれねぇ。」って思えるかを試されちゃうんだよ、きっと、兄貴に。

こういうケースは兄貴だと場合によって要領よく擦り抜けちゃって、お二方のような人になるとやり切る(それがきちんと完成しようがしまいが)…かも??


どーかなー。


オバチャマも達人相手の勝負に勝ってしまったら、「いえーい!やったね!!」と素直に思えずに、「何かがつまらんくなってしまった…、ツライ…。」って思ってしまうほうなんだなぁ…。

今日突かれたお言葉・その128

2010年03月19日 20時24分04秒 | 突言葉ねーさん
(道に)無頓著な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓著だというわけでもなく、さればといって自ら進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦め、別に道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人がある。

尊敬はどの種類の人にもあるが、単に同じ対象を尊敬する場合を顧慮していって見ると、道を求める人なら遅れているものが進んでいるものを尊敬することになり、、ここに言う中間人物なら、自分のわからぬもの、会得することの出来ぬものを尊敬することになる。

そこに盲目の尊敬が生ずる。

盲目の尊敬では、偶(たまたま)それをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。



森鴎外の寒山拾得より。

ここに書かれてあったか。

「盲目の尊敬」をすること(人)に、あんまりいい気分になれないオバチャマ。

場合によっては、

「そんなぁ、いつまで何してんだよ~~ぉ(呆)」

っていうような愛の怒りを覚え(ゴメンね、ゴメンね~)、うまく言葉に出来ないままだったんだけど、ここに書かれてあったか。


勿論人を尊敬出来るのは素晴らしい。
それすら出来ない人は大勢いるからね。


だけど、同じ道の上に立って先を行く者を尊敬するならまだしも、「自分のわからぬもの」、「会得することの出来ぬもの」を持ってる人を尊敬してても、本当になんにもならぬのだよねぇ。


ホントになんにもならぬのだよねぇ。


あくまで客観的なのに「尊敬してます」と慕ってみたって、「あ、そう。で、君はこの同じ道に立つ気はあるかい?」ってなもんなんだよなぁ。

そう言って貰えたら「立ってみる」というのも一考。


尊敬ってのは「自分のわからぬもの」「会得することの出来ぬもの」を持ってることに対して尊敬するんじゃないじゃんね。

その為の努力の質が「尊敬する対象」だし、「そういう想いが集められていくとそれが価値」になっていくんだよね。

やりたい仕事しかやらない・2種

2010年03月19日 19時14分12秒 | 2種分ねーさん
その1

自分がしたいことしかしない人。



その2

自分がしてあげられることしかしない人。




「その1」だと心得違いが発生してることすら延々と鈍感のまま、時に「不毛ないざこざを起こしては元のさやに戻る」みたいなことを続けている。

「その2」だと思い込みによって突っ走ることがあって、時に「(結果的に建設的な)喧嘩が勃発して「悪かったなぁ」とどちらかが謝っては元のさやに戻る」みたいなことを続けてる。



オバチャマは<その2>を好みます、ハイ。

だから「してあげられる事の追求」をしたくなっちゃうんだよなぁ。

すべてはヒューマンエラーに通ずる。

2010年03月19日 13時04分24秒 | 観察屋ねーさん
全ての道はローマに通ずる・・・。

いや、その話しじゃなくて。


トラブルやら不具合やら事故やら裁判やらってのは、
結局のところ「ヒューマンエラーに通ずるよなぁ・・・」って思うの。


ヒューマンエラーは「そのことに鈍感な状態」とか「そのことから避けてる状態」に起きやすいんだよなぁ。

「鈍感な状態」とか「避けてる状態」って他の余計なこと(を考えていて)で手一杯なんだよね。
余計なことだから案外心は落ち着いてないし、腹も据わってない。



要するに心が乱れてると「理解力って鈍る」と思うんだよね。


「心が乱れてる」っていうのは、仮に表の行動が乱れて無かろうが起きててさぁ、案外。
それを誤魔化す「演技力」やら「言い訳」やらを鍛えちゃえばいいわけでね。
そうなっちゃうと、「理解力」なんかより「暗記力」とか「計算力」なんだよ、向上するのが。


それがヒューマンエラーの基なの。


で、それを防止するのは「人と人の(頭じゃなくて心の)フォローのし合い」っこ。
「お互い様」と「おかげさま」と「感謝」を忘れちゃいけないよなぁ。