ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その127

2010年03月19日 11時18分32秒 | 突言葉ねーさん
人が本当の気持ちや不安を明かすことはめったにありません。
心から願っていることや、熱い思いを抱いていることについては、
胸のうちにしまっておきます。

その挙句に、人は、
「なぜみんな私の気持ちをわかってくれないのだろう」
とぼやきます。

もう少し深く突っ込んでください。
どこかで誰かが、あなたに何かを伝えたがっています。

相手の話に注意深く耳を傾けてください。

そうしたら、あなたが話をする番になったとき、
相手は真摯に話を聞いてくれるでしょう。




ジョナサンケイナーの今週の牡牛座さんから抜粋。


その挙句に、人は、
「なぜみんな私の気持ちをわかってくれないのだろう」
とぼやきます。もう少し深く突っ込んでください。

これって、「自分に対して深く突っこむ」訳じゃないですか。

で、深く突っこむと、

「どこかで誰かが、あなたに何かを伝えたがっています。」

という「誰か」をキャッチできるんだよね。


「別に私の気持ちはわかってくれなくていいや。」と割り切ったとするじゃないですか。

そうすると、

「どこかで誰かが、あなたに何かを伝えたがっています。」

という「誰か」は延々キャッチできないでいるんだよね。


「あそこの誰が、自分に何かを伝えてくれるだろう。」

という「誰か」を延々キャッチして歩き回ってるだけでね。



これ結構大きな違いなんだよね。
後者でいると延々迷走しちゃうんだ。



「守ることしか出来ない」と言った兄ちゃん、「ひとつの山を背負う」と言った兄貴。

2010年03月19日 10時16分23秒 | 2種分ねーさん
面白いね、青年たち。



ひとりの兄ちゃんはこう言った。

「オレはここに集まっているみんなを守るしか出来ない。」



もうひとりの兄貴はこう言う。

「俺はいくつかある山のうちのひとつを頂いてそれを背負う。」



もうひとりの兄ちゃんはこう言っている。

「僕はサポート役でコツコツ行きます。」




兄ちゃんと兄貴と兄ちゃん、仲良くやんなきゃだめだよ。


兄貴が山のひとつを背負うようなことになる時、必ず嵐は起こるのだよなぁ。

その嵐が「どこか向こうから来る嵐」ならば、その嵐をおさめる為に、自分が山を背負って向かっていく意気込みならいいと思う。

ただ「そこに嵐を引き起こす」という嵐の起き方があるんだ。山を背負うことによって。


オバチャマは過去にこの身体で実体験したんだよね~。

会社(その頃は300人くらいの規模)の大改革劇だった。
1991年に序章はスタートした。

序章のスタートの時に山を背負った人は、「来たる嵐に備える山」をコツコツ確実に作る人だった。
山を作ろうとするくらいの人だから、一癖も二癖もある人物だったけど、山は確実に出来上がっていったんだ。


しかし「その山はオレが背負う、オレが主になる。」と別の人が登場してきた。
あの時にみんながザワザワザワザワした。



その人は山を作った人を追いやった。
嵐に備える山を作った人は立ち去った。



山を作っておいて立ち去る礼儀なのか、

「ほかの山を作りにいかないか?すでにどこぞの方から声を掛けて貰っている。
オレ達に「山作りを頼みたい」と頭を下げる人がいるんだ。どうかな。」

と一緒に山を作った人らに声を掛けて、立ち去っていったんだ。


だけど「背負う」と意気込んだその人は、山を背負い出すやいなや、その場に嵐がおきて、その嵐にむやみに吹き飛ばされる犠牲者が出てきてさ。見てられなかった。

どうも理屈としては「嵐に巻き込まれて吹き飛ばされるほうが馬鹿だ。」くらいのようだった。
しかし嵐は意図的に起きてる訳で、「変な理屈だよなぁ、でも吹き飛ばされないようにしなきゃ。」と思ったさ。


ま、とにかくこういう人というのは、「迫る嵐に勇敢に立ち向かっていってる」わけじゃなくて、「わかっていて嵐を巻き起こす」んですよ。



誰かが夢中で楽しくて疾走していて、それにみんなが引きずられて疲労するとか、そういうレベルじゃないのだよ。

誰かが勝手に暴走していて、それによる穴をフォローする為にみんなに余計な仕事が増えるとか、そういうレベルじゃないのだよ。

こういうのは「演出上ならかえっていい」さ。
それによって結束が固まったりするし。




だけど気をつけないといけないのは「山を背負うことによって嵐を巻き起こすことになるんだよ。」ということなんだ。

「嵐が来たから山を背負って立ち向かう」のと違うんだ。

「嵐が絶対来るから」と「山を背負って嵐を巻き起こすような人がいる」ってことなんだ。


「嵐が絶対来る…」という予感がしたり、勘が働くなら、奥に引っ込んで(裏じゃないからね。)その嵐に備える為の仕込みをするはずなんだ。


誰かの意思じゃなくて自分の意思でね。


なのにその時点で、

「山を背負うような馬鹿がいるんですよ、っとにぃ。ったくぅ。」

って話しなんだ。


これは絶対ダメだからね。


その境目がまだわかってない大人達はたっくさんいるようだから、そういう大人達に若者は翻弄されないで欲しい。



例えば船乗りに聞いてみそ。
あの人らがどんな勘を利かせて、自然と人間に立ち向かって、安全な航海を身体張って命懸けでやってるかを。

「絶対に嵐が来るから」と「オレに船を任せろ。」と船を背負うような船長のいきなりの登場、どーですか。想像してみてください。

まず、その前に船長やってた人と争いになりますや。舵の奪い合い。

「表だった争いはかえって面倒臭い」と裏計算のかかった演技芝居で、それまでの船長が「オレは退散する」と自主的に立ち去るような結果にして、「なんだかしらんがみんな納得…」みたいなこともあるでしょうよ。


しかし嵐は来てないんですね、実際。
「絶対に来るから」という次の船長の思い込みや、何かの理論を信じてる段階で、船を奪い、舵を握っちゃったんです。


オバチャマはこういう船長の船からは下船しますよ。
事実、「この船はオレが背負う」と意気込みを見せてる本質部分は、「船を奪ってるだけだよう、それさぁ。勘弁してよ。」みたいな人らが登場した「会社という大きな船」から下船しましたし。


こういう人って「言うこと機関長」にもなれないのさ。
山も作れないわ、背負って嵐を引き起こしていい気になるだけ。


裕次郎みたいに「嵐を呼ぶ」でもないのよ。
「嵐を引き起こしていい気になるだけ」なんだなぁ。



「みんなを守る」と言う兄ちゃんの手腕、「山を背負う」という兄貴の行動力、「フォローしていきます。」と言う兄ちゃんの技。


一番の要は「山を背負う」という場面だから、そこを勘違い暴走しないことだけ切に願う、オバチャマは。


「山を背負う」というのは「みんなの為に自己犠牲者になる腹を括る」ってことだから、おいそれと簡単なことじゃないってこと。

それを背負わすほうも、フォローするほうも、そうとう研ぎ澄まさないと、「えらいこっちゃの一大事」だから、解釈が同じでいないと、非常にややこしい事態になるってことなんだ。


さてさて、この環境にいてオバチャマは、何役をしていったらいいだべかなぁ。