ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

父親の会社の想い出話

2010年03月26日 19時58分21秒 | 思い出ねーさん
オバチャマの父親というのは自分の父親の口利き(いわゆるコネ)で、今でいうJA(農協)になんの苦労もなく(イヤミ(笑))就職した訳だが、その仕事内容が「どーしてもつまらなくて嫌だ」、「農家の次男だからって婿養子の見合い話ばかり持ってこられて本気で嫌だ」と駄々をこね(その姿が思い浮かぶ(笑))、姉の嫁ぎ先の方の口利きで、横浜(横浜駅近く)で船エンジンの修理業をやってる会社に縁を作ってもらい、横浜に上京した。

血の繋がりはないが、親戚の縁故ということで、上京後の住まいはその会社を創業した方が住んでいる鎌倉の家に下宿をさせていただき、まぁ、そうやっていろんな方のお世話になって(なりっぱなし?(イヤミ(笑)))、父親の横浜の生活は始まった。

まぁホントに創業者の方が託したその会社というのは、社長にはその方の親戚の人をあてがえ(どうしようもない遊び人で、全身白いスーツとか着るようなキザなオジチャン)、工場長にオバチャマの父親(強情っ張りな馬鹿親切な人)、経理担当にやはりこれもまた何か縁のあったオジサン(いつも穏やかで優しい感じの人)、下働きのオジサン達(冗談言ってはくだけてる感じ、だけど時に「納得いかねー」的な喧嘩をおっぱじめるような人達)はどういういきさつで集めたかはしらないが、なんとも「ファミリー的で家族みんな仲良しの会社」、そんな風だった。

毎年夏に必ず全家族総出で旅行に行く(伊豆とか)のが恒例で、後は度々レクレーション的に「やれ豪勢に地引き網やるぞ!」とか、「やれ富士山に行ってスケートだ!」とか、「やれ家の前の駐車場(社長さん宅の土地)で近所のみんなを呼んでバーベキューだ」とか、遊びにことかかない、またそういうのをやるのが好きな社長(オジチャン)だった。

(これは子供達が中学生になった頃終焉を迎えたが。)

ひとつこの会社の恒例行事で印象的だったのが、会社のみんなで「菊作り」に凝っていたということだろうか。
それに使う腐葉土も買ってはいけないルールになっていたらしく、枯れ葉を集めて腐葉土作りからせっせかやっていた。
初冬になると近所の神社にいって枯れ葉集めを手伝わされ、父親に「これいくら枯れ葉とはいえ勝手にもらっていっていいのかねぇ?」なぞと聞くと、「いいんだよ、どうせたき火して燃やすだけなんだから。腐葉土になりゃ枯れ葉もよっぽど価値がでるわ。」と父親は言ったっけ。
確かに神社の人はなんにも文句は言わなかった。

そうやって土から作って育てた菊をどうするかというと、横浜のその会社の前に並べて、道を行き交う人に品評してもらう訳だ。
今ではそんな風景があったって「スルー」する人が多いかと思うが、当時は品評して「これがいい」と一票を投じてくれるような人はいたようだ。

で、それで一番票を集めた「菊」を造った従業員に、社長から高価な品物(上等なカメラとか電化製品とか)が進呈されるという、そんなお楽しみをかねていたようだ。

お楽しみもそうなんだが、「植物を育てて慈しむ」とか、「菊の風情を愉しむ」とか、「創る過程の手間や苦労からいろいろを考える」とか、「品評会は会社のご近所さんとのコミュニケーション術のひとつ」とか、単なるお楽しみの中にもそういった含みがあることも、オジチャンやら父親達の人柄やら雰囲気から理解できる恒例行事だった。

数字計算でミラクルは起きないな。

2010年03月26日 18時59分16秒 | 考えるねーさん
数字の計算が速くなろうと、ややこしい計算式に強くなろうと、ミラクルは起きないな~。


勘定出来なきゃミラクルは起きないな~~。


勘定ってのは「損して得取れ的」っていうか。
「借金も意図的に出来なきゃダメ」っていうか。