今回の母の件で改めて感じたのは、
母の人望の厚さでした。
娘からいうのもなんですが、相当なはねっかえり&ぶっとんだ母なので、
友人は多いものの、友人たちは母のことをどう思って
付き合ってるんだろうと常日頃から謎だったのです。
母の具合が悪くなって以降、
家や母や私の携帯に、
「死なれたら困る。頼りにしてるんやから。元気になって。」
という系統の電話がバンバン掛かってきたんですよ。
姉や私の友達たちも随分心配してくれましたし。
そういう方々の気持ちも、母の回復の力になったのかも。
それと、もう一つ忘れていけないのは母の血統。
母の実父はシベリア抑留の生き残りで、享年106で亡くなりましたが、
亡くなる数か月前にも危篤に陥ってました。
過去ブログ「事件勃発」参照。
看取りのためと入院計画書に書かれて、
生きて正面出口から出た人はなかなかいないでしょう。
この時に書いていない裏話がありまして、
母はこの時、友人たちと一緒に秋田の七曲りの花火大会を見に行ってました。
秋田についた瞬間、叔父(母の弟)から
「じいさんが危篤や。」
と携帯に電話が掛かってきたのです。
母は即答で
「帰らへんで。」←きっぱり
ずっと見たくてやっと来たのになんで帰らなあかんねん。
だったらしく、帰る気ゼロ。←おいおい
友人たちはみんな「帰らなくていいの?」と気遣ったそうですが。(笑)
こういうはねっかえり母なんですよね。
祖父も母がいないから死んでる場合じゃないと、
と思ったのかどうかわかりませんが、この時は無事に復活しました。
そんなこともあり。
母は祖父を知っている人に
「やっぱりおじいさんの娘やから強いんやね。」
と感心されたらしい。
生命力は半端ではない血筋なのは間違いないですね。
あと、もう一つ。
私は今回の事件で、私の主治医の能力を改めてありがたく思いました。
主治医なら専門外であっても、
判断を誤まるようなことはまずないもんなあ。
主治医にあたったのは偶然でしかないので、
医者のめぐり合わせは運だとも思います。
今のご時世なので主治医も70歳ぐらいまでは今の病院に勤務してくださると思ってますが、
引退されたら、私も大病院は引退しようと思っております。
私は母と違って子供いませんから、
65歳以降は病院とは距離を取って過ごそうと考えております。
そうすればピンピンコロリできるはずだ!!と思ってるのですが、
甘い・・・?(笑)
自分で自分のコメントを承認するのを忘れていました。
遅くなってすみません。
106歳まで生きられたなんて、あの過酷の生活をされてよく身体が痛まなかったものだと感心します。
祖父はシベリア抑留で若返り遺伝子が活性化したのだと思っています。
・・・若返り遺伝子は寒さ、食料不足、激しい運動で刺激される
シベリア抑留や南方戦線で生き残った方は長生きの方が多いです。
>大阪女のど根性を見た気がしました。笑い
>観ると決めたら、何があっても観るんですね。
実父の危篤より花火です(爆)
>お祖父様の家系なので、長生きされるでしょうね。
母の余命云々は25年ぐらい前から医者に聞かされてますので、
もはや信じる気にもなれません。(笑)
>甘いと思います。笑い
やはり体調が思わしくない時は、病院に行かれた方がいいのでは?
甘いですか(笑)
体調が悪い時に病院にいかないというよりは
大病院に行かないようにしたら検査をされないので、
変な病気を見つけられずにすむかなぁと。(笑)
>ピンピンコロリは、難しいのでは。
大叔母がピンピンコロリだったんですよ。
昼ごはん食べて、自分の店に向かってる最中に倒れて、
その日の夜に亡くなりました。
あやかりたい。(笑)
お母様は、人望がおありなんですね。
あゆさんのお友達も心配して下さるんですから。
そんな方は、少ないと思います。
シベリア帰りのお祖父様の話が出て来ましたね。笑い
106歳まで生きられたなんて、あの過酷の生活をされてよく身体が痛まなかったものだと感心します。
>秋田についた瞬間、叔父(母の弟)から
「じいさんが危篤や。」
と携帯に電話が掛かってきたのです。
母は即答で
「帰らへんで。」←きっぱり
ずっと見たくてやっと来たのになんで帰らなあかんねん。
大阪女のど根性を見た気がしました。笑い
観ると決めたら、何があっても観るんですね。
お祖父様の家系なので、長生きされるでしょうね。
>65歳以降は病院とは距離を取って過ごそうと考えております。
そうすればピンピンコロリできるはずだ!!と思ってるのですが、
甘い・・・?(笑)
甘いと思います。笑い
やはり体調が思わしくない時は、病院に行かれた方がいいのでは?
ピンピンコロリは、難しいのでは。
有名人でピンコロの方は、野村監督の奥様ぐらいしか知りません。