足利学校 http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/
創設は平安時代初期とも鎌倉時代とも言われる、歴史が明らかなのは室町中期、永享11年(1439)に関東管領上杉憲実が鎌倉五山の一つ、円覚寺の僧快元を初代の校長として招請して学校を整備すると共に学則を定めて、全国から学徒(主に僧侶)を募って儒学・易学・兵学等を自学自習で学ばせて、隆盛期には学徒数3,000人を誇る関東における最高学府であったが、寛政2年(1790)に江戸幕府の直轄で昌平坂学問所が開設され朱子学の官学化を奨めた結果、次第に足利学校は衰退の道をたどり、江戸時代中期以降、学者たちにとって足利学校は貴重な中国の古典を所蔵する図書館的な役割という位置づけとなった。
足利学校は明治維新後の明治5年(1872)に廃校となり、現在の建物は平成2年に、往時の姿をもとに再建されたものです。
入徳門を入り参観料¥420.-を収めて中に入ると、正面に孔子廟(聖廟)、その隣に建て直された教室、講堂などの役割をした方丈、庫裡(台所+食堂)がある。
入口に「史跡足利学校跡」の石碑が立つ 天保11年(1840)に掲げられた「入徳」の額、門は裏門を移築したと言われる
寛文8年(1668)に創建された学校門
「学校」という言葉は足利学校で初めて使われたと言われる
寛文8年(1668)に造営された孔子廟、中国明時代の聖廟を模したと言われる
孔子廟横に建つ「方丈」、学徒の講義、学習などが行われた多目的ホール
方丈、庫裡は最近再建された
往時に掲げられていた「学校」の額
方丈から見た南庭園
徳川家康の位牌 徳川家康を除く歴代将軍の「位牌」
平成8年、国賓で来日したベルギー国王と天皇・皇后陛下が訪れていた 北庭園、奥の建物は孔子廟
鑁阿寺 http://www.ashikaga-bannaji.org/
12世紀半ばに足利氏の祖である源義康が同地に居館を建て、建久7年(1196)に2代目義兼(戒名は鑁阿)が理真上人を招請して邸内に持仏堂を建てたのが始まりと言われる真言宗大日派総本山、本尊は大日如来、南北朝時代には鎌倉の鶴岡八幡宮の支配下にあった。
周囲に土塁と堀をめぐらし、正方形の境内の広さは40,000㎡、鎌倉時代の武家屋敷の面影を残した貴重な史跡、大正11年に国の史跡に指定され、本堂も平成25年(2013)に国宝に指定される、なお、「足利氏館」は平成18年(2006)に日本100名城に選定されていた。
鑁阿寺に向かう商店街の中程に建つ「征夷大将軍足利尊氏像」 足利学校入口にある鑁阿寺の案内
堀に架かる反橋と楼門
足利幕府13代将軍義輝が再建した楼門(山門)、両側の「仁王像」は桃山時代の作と言われる
本堂
多宝塔脇にある樹齢650年と言われる大銀杏、寺の人曰く、11月にはイチョウが色づき、圧巻との事
徳川大五代将軍綱吉の生母桂昌院が再建したと言われる「多宝塔」
不動堂
午後2時過ぎ、鑁阿寺近くの蕎麦や「門前そば」で遅いランチ、実はこの店は2012年5月12日に写真仲間6名と「あしかがフラワーパーク」で写真を撮ってから昼食に旨い蕎麦が食べたくて、探して立ち寄った店だったが残念ながら、その時は蕎麦が売り切れで食べる事が出来なかったと言う因縁があって、個人的には前回の「リベンジの蕎麦」となった
明治3年創業の「きくや本店」、蕎麦は細麺の「韃靼そば」、つけつゆに大和芋(とろろ)、大根おろしと梅肉を混ぜた「門前そば」を食べる 歩いた後のビールは旨し
2012年5月12日の写真、店の前には無常にも「本日売り切れのため終了します」の張り紙、その後、歩いて近くの和食店「ゆずかろ亭」で和食セットを食べました
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