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- 山王祭
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐により関東を支配していた北条家が滅亡し、代わって徳川家康が永く領地としていた三河・遠江から関東への領地替えを命じられる。
武蔵野国・江戸に拠点を移した家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に勝利し慶長8年(1603)に後陽成天皇から武士の頭領である「征夷大将軍」に任じられ江戸に幕府を開府したが、日枝神社は、それ以前から「江戸山王大権現」と称され重継を祖とした武家の江戸氏-太田道灌の庇護を受けていた為、家康も日枝神社を「江戸幕府の鎮守」、将軍家の産土神として崇敬、その祭りの費用を幕府が出したことから山王祭は「天下祭」と称され、同じく江戸の総鎮守として幕府の庇護を受けた神田明神の「神田祭」の二社の山車だけが江戸城に入り将軍に拝謁する事が許された。
今年の山王祭は6月7日に始まり、17日まで続いたが、最大のイベントは氏子各町を神輿、山車が巡る10日の「神幸祭」だが、今回は見る事が出来なかった。
我々が訪れた11日は、予定表では境内で行われる「武州加須囃子」と「稚児行列」だけだった。
外堀通り、赤坂(山王橋)からの参道(エスカレーターがある) 氏子は千代田区、新宿区(四谷1丁目)、中央区、港区(新橋1丁目)と広範囲
高層ビル(キャピタル東急ホテル、山王パークタワー)を背景にした日枝神社
武州加須囃子
舞殿で行われていた埼玉県加須市の「武州加須囃子保存会」の獅子舞に多くの人が集まっていた。
ご祝儀を獅子の口に加えさせると、大きな口でガブリ
獅子の中に入っていたのは若い男性、ハードな動きの連続で、さすがに疲れた様子
山車が出番を待っていた
稚児行列が本殿に向けて出発
稚児行列
3歳~6歳までの男女児童が対象で、初穂料は¥10,000.-だそうです
神主さん、巫女さんに続いてお父さん、お母さんが子供の手を引いて本殿に向かい、お払いを受けます
少々疲れ気味?
稚児行列を撮ってから全員集合、午後5時に宮入がが予定れているが、まだ時間がある為、ここで解散 解散後、もう一度境内に入るとガードマンが、これから神輿が戻ってくると言う事で、観客の整理中
予定表に無かった神輿の宮入を撮る為に、炎天下で30分待つ事に 囃子が聞こえて来て、神輿の宮入が始まる(後で聞くと、ほかの仲間達は帰途についていた)
最初の神輿が宮入
2基目の神輿の宮入です
神田明神の宮入は境内が狭く人出が多い為、境内は大混雑するが、日枝神社の宮入は拍子抜けするほど静か
2基の神輿が本殿前に集合
キャピトル東急ホテル脇にある本殿に向かう参道
参道の階段を下りると首相官邸が目の前に
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