ありえない話ですが実際にあった話です、旅行会社の社内手配ミスだと思いますが、最終的にこのツアー参加者は我ら夫婦二人のみ、集合場所の大宮駅でツアーコンダクタ-のTさんと合流、新幹線で岩手県一ノ関へ、一ノ関駅で待っていたタクシーで平泉の中尊寺・毛越寺を見学した後、同じタクシーで東北道を十和田湖へ向かいました。(ちなみに旅行料金は一人2万円)
通常であれば、この様な場合はツアーの中止か他のコースへの振り替えとなるはずですが、主催したH社は信用を優先してか、赤字覚悟で催行されたと推察致します。
やまびこ53号に乗車 約2時間で一ノ関に到着 昨年世界遺産に指定された中尊寺
中尊寺
http://www.chusonji.or.jp/guide/about/index.html
慈覚大師円仁が850年に開山した天台宗東北大本山、12世紀初頭、奥州藤原氏初代清衡が合戦で亡くなった命を平等に供養する為に造営したそうです。
毛越寺と併せて昨年ユネスコの世界遺産に登録されています。
団体旅行の場合は時間が限られますが、ツアー客は2人の為にたっぷりと時間をとり見ることが出来ました
金色堂
国宝、天治元年(1124)建立の遺構、堂全体が金箔で覆われ、藤原三代の遺体、四代の首級が安置されています
金箔で覆われた金色堂は圧巻、内部は写真撮影禁止でした
中尊寺経堂(国宝)
旧覆堂
案内板によると「金色堂を風雪から護るため正応元年(1288)に鎌倉幕府によって建てられた五間四方の堂、昭和38年に新鞘堂が建設されて、旧位置より移築」とありました。
覆堂 中尊寺ハス
文政9年(1826)建立の弁慶堂 ゆるやかな坂道が続く参道 慶長20年(1615)建立の鐘楼
本堂
中尊寺の根本道場、奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、建武4年(1337)には火災により多くの堂宇と共に本堂も焼失しました。近世に入ると伊達藩の庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の居館であった一関城より万治2年(1659)に移築されました。山門は薬医門形式で左側に脇門があるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。現在の本堂は明治42年(1909)に再建されたものですが比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や様々な儀式などが執り行われています
金色堂に比べて人もまばら
薬医門様式の山門
毛越寺
http://www.motsuji.or.jp/keidai/index.html
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました、往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれていますが奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しました、現在、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構跡がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。
(毛越寺HPより抜粋)
入口にあった案内 正門
道場風の建物 本堂
毛越寺の正門に当たります 広大な敷地に多くの伽藍が立てられていました
大泉ケ池は浄土庭園として造られ、池は海、汀には洲浜、荒磯、築山など海浜の趣が配されています
花菖蒲園から見た大泉ケ池 対岸には経文を収めた経楼、金堂円隆寺(勅願寺)が建てられていました
花菖蒲が満開 洲浜から見た大泉ケ池、右手に多くの伽藍が建っていた様です
池には舟遊び用の舟が2艘浮かんでいました 対岸から本堂
海岸の砂洲をイメージした洲浜 菖蒲園 洲浜からの眺め
毛越寺を見てからタクシーは東北道を一路、十和田湖を目指しました、走行距離は約200km メーターは貸切になっています
十和田湖、奥入瀬渓谷は(2)で掲載します
旅行社も実績作りにやめるわけにはいかなかったのでしょうか。
旅行社にとっては高くついたでしょうが、新人研修と実績づくりにはなったのでしょうね。