江戸東京博物館
JR総武線両国駅を降りると目の前が国技館です、ちょうど一月場所が開催中でのぼりが揚がっていました、江戸東京博物館はその後ろにあります。
今回は常設展示場で歌川広重の「東海道五十三次」、企画展示室で「大浮世絵展」が開催されていて、両展示展ともに実物が展示され多くの人が訪れていました。
両国国技館、その後ろが江戸東京博物館
6階の江戸ゾーンには寛永期の町人町の精巧なジオラマがあります。
日本橋を模した橋が架けられています
東海道五十三次
嘉永6年(1853)に刊行された「江戸寿那古細撰記」によると歌川系絵師として豊国にかほ(似顔絵)、国芳むしや(武者)、広重めいしょ(名所)と人気のジャンルが記載されています、広重はこの時57歳、「東海道五十三次」、「木曽海道六十九次」シリーズで風景版画の名匠として不動の地位を築いています。
「一立斉広重」の懸札
広重の所持品の展示
死後に豊国が書いた広重像 広重の遺言状
箱根関所手形
東海道には箱根と今切(新居)に関所があり「出女と入り鉄砲」を厳しく取り締まっていました、箱根関所は小田原藩の管轄下にあり藩士が交代で往来する旅人を監視していました、この手形は武州(埼玉)足立郡三丁免村の名主が発行した手形で「村人19人が伊勢神宮詣でに行くので関所を通行させて欲しい」と書かれています。
展示資料
十返者一九が書いた「東海道中膝栗毛」
「東海道名所図会」、江戸時代後期に書かれた諸国の名所旧跡・景勝地の由緒や各地の交通事情を記し、風景画等を添えたガイドブック
「東海道分間絵図」、東海道を1/12000で描いた絵図 安政1年(1854)に伊勢神宮外宮が出したお札類
旅に必要な用品 浪花講看板と茶店兼旅籠の写真と「講」の資料
道中の様子の写真、資料 道中絵図①
道中絵図② 天保14年(1843)に奉納された伊勢参宮奉納絵馬
「東海道五十三次」出発の地日本橋、近くにあった魚河岸から営業に行く棒手振りが描かれています
到着地、京都三条の絵
東海道五十三次は天保4年に版元である仙鶴堂(鶴屋喜右衛門)と保永堂(竹内孫八)の共同で出されましたが、途中から保永堂単独で版行されました。
版画には広重の落款の下に保永堂の印が押されていますが、53枚すべてが異なる印影でした。
「東海道五十三次」が人気を得たのは「東海道名所図絵」、「東海道中膝栗毛」など庶民の間に東海道旅行への関心が高まった事があげられます。
広重はその後、風景画シリーズを次々と発表しますが、安政3年(1856)から「名所江戸百景」シリーズ全120枚を描く途中に没しています。
浮世絵展
江戸時代の生活・文化を知る上で貴重な資料となる浮世絵が約340点展示されています、浮世絵誕生以前に人気となった近世初期の風俗画から江戸、大正、明治、昭和まで時代ごとにまとめられ浮世絵の変遷が分かる様に展示されれいました、特に海外に流出した作品もシカゴ美術館、大英博物館、ベルリン国立アジア美術館、ホノルル美術館など海外から里帰りした作品も多く、菱川師宣、鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重などが描いた作品が目の前に展示されていました。
展示作品リストの一部
企画展示室が会場、中は写真撮影不可でした