「2014年 燕の旅 PART3 ノンジャンル観光案内 ~大いに進め、大いに学べ~」
「燕市 長善館史料館」
「つばめし ちょーぜんかんしりょーかん」
JR弥彦線の粟生津駅から、徒歩7~8分。
粟生津。
あおうづ、と読みます。
駅には、史料館までの地図が張ってありましたが、
エヘヘ、ちょっこし迷ってしまったぜ。
♪着いた着いた♪
ここ粟生津には、
1833年(天保4年)~1912年(明治45年)、「長善館」という私塾がありました。
「長善館史料館」では、その史料を見学することができます。
学問とはなんぞや、学ぶ、教えるってなんぞや、を各々考えていきましょう、という施設です。
ごめんくださ~い。
私塾・長善館は、鈴木文臺(ぶんたい)先生が開塾しました。
文臺先生は、良寛さまのもとで勉学に勤しみ、向学心に燃えていましたが、
家庭の事情で、江戸には行けませんでした。
それでも、たいへん優秀だったものですから、
地元・粟生津には、教えを乞う人々が集まってきます。
こうして、長善館は始まったのでした。
文臺先生の専門分野は、儒学です。
生徒たちに、第一番に教えたのが「孝経(こうきょう)」。
学問をする心構えとして、
謙虚に、両親を大切にし、国や社会の役に立つことを目標とするよう、徹底しました。
全寮制。
朝から晩まで勉強。
休憩ちょびっと。
課題たくさん。
しょっちゅうテスト。
成績がよくないと落第。
落第すると、先生から手紙が届くわ三者面談になるわで、モ~たいへん。
そんな勉強三昧の生活ですが、
多くの若者が、カリキュラムを終え、社会に羽ばたいていきました。
成績優秀者は下級生の授業ができるシステム、
仲間意識と、ライバル意識、
先生や先輩が勉学に励む姿などが、奮起につながったのでしょう。
そして、何より、先生方の方針。
善いところを、長~く。
長善館の名のとおり、個性を尊重した教育がなされていたのでしょうね。
長善館卒業生には、
大河津分水建設実現に尽力した方々も、多くいらっしゃいます。
信濃川の水害を、
良寛さまが嘆き、教え子の文臺先生が開塾し、卒業生が政府に迫り、分水路完成へ。
実にすばらしいことです。
「孝経」の教えも、引き継がれています。
長善館史料館は、
常設展と、季節ごとにリニューアルする企画展の2本立て。
年に何回来ても、新しい発見のある場所です。
あらゆるジャンルの教師、教員志望の学生さん、研究者、
お父さん、お母さん、子どもたちには、特におススメです。いや、むしろ、必修。
博識な女性職員さんによる説明で、より理解が深まりまっす。
学ぶこと、教えることの原点に立ち返ることができました。
ありがとうございました。
「燕市 長善館史料館」
入館料 小・中学生、高校生 50円 一般大人100円 。
「PART3 ノンジャンル観光案内 ~大いに進め、大いに学べ~」は、
これにておしまい。
次回は、
「PART4 よもやまこぼれ話 ~「燕よ、ひかれ!」~」でっす。
くづつ。