浅尾弥子のノンジャンル道

 
 富山県小矢部市のシンボルキャラクター・メルギューくんの
 お姿をお借りして、日々更新。

背番号のないエース(岡田浩暉・編)

2018-10-28 22:52:33 | 背番号のないエース
とある世代にとって、
バンド・To Be Continued は、
青春の1ページではないでしょうか。

90年代中盤、
カラオケボックスでは、
若者たちが、我先にと、リモコンを操作し、
「君だけを見ていた」「逃げたりしない」「うまく言えないけど」を
歌う光景が、繰り広げられたものです。

リードボーカルの岡田浩暉さんは、
声がよくて、声が大きく、
伊達男という印象。
ミツコは、歌番組で視聴するたび、
ちょっとばっかし、
タジタジしてました。エヘヘ。

時は流れ~。



2000年。

ミツコは、
ミュージカル「レ・ミゼラブル」を初観劇。
村井ジャベ、戸井マリウス、岡アンジョ、
エポニーヌは、本田美奈子さんでした。



圧倒的なスケールに、興奮、感動・・・。



次のシーズンも見に行くぞ~~~っと、
キャスト発表を待ち望んでいたら~。

2003年。



「マリウス:泉見洋平 岡田浩暉 山本耕史」



えええ~~~。

「岡田浩暉」って、あの「岡田浩暉」~~~!?!?!?

マリウスに、「岡田浩暉」。

ふうむ。

とにもかくにも、帝国劇場へ、行ってみましょう。



・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

こりが、たいへん、すばらしかったのです。

吉野アンジョと、ガッチシ、握手するさまは、
1枚の絵のようだし、
「心は愛に溢れて」「カフェ・ソング」・・・。
マリウスが、そこにいました。

なかでも、ミツコが惹きこまれたのが、
バリケードのシーン。
長い手足を生かしての、しなやかな動きに、
くぎづけでっす。

また、マニアックで申し訳ないが、
第2幕「バルジャンの告白」の
「・・・ジャン・・・バル・・・ジャン・・・?」も、
驚きと幼さと慈しみが凝縮され、
必聴でした。

そんなこんなで~。



2004年1月。
博多座に遠征~。



NHK「7時のニュース」のトップで報じられたほど、
福岡県内には、記録的な大雪が降っていました。

なお、拙ブログの
「へいちくの旅(松本清張記念館入口・編)」(2014年3月14日の記事)
にて記述されているのは、
まさに、博多座に、日参していたときのことでっす。
エヘヘ~。



2004年7月。
東京芸術劇場での「レ・ミゼラブル in コンサート」。







まだまだ行くぜ~~~。

2005年。
帝国劇場。





岡田マリウスは、2006年で卒業。

ミツコは、2007シーズンも、1度だけ観劇し、
その後は、足が遠のいています。



あっ。

こんな手帳も出てきたぞ~。



2003年。



11月25日(火)東映パレス



「KEEP ON ROCKIN'」(監督:両沢和幸 主演:岡田浩暉)
ミニライブ。



90年代、モラトリアム真っ只中にいる若者の
日々を彩る音楽を、届けてくれた人は、
2000年代、ミュージカルや映画でもって、
別世界へ誘い、勤労意欲を、かき立ててくれました。

そして。

2018年10月。

TBSドラマ「日曜劇場『下町ロケット』」に出演。
ミツコが、自称・燕市PR大使を務める、
新潟県燕市の農家のかたを演じています。

「物語は続いて行く」(2018年10月22日の記事)

うれしくて、なつかしくて。

何に感謝したらいいのか。
ありがとうとしか、言いようがありません。

♪てれくさいくらいに~~~君が~好き~さ~~~♪

締めくくりの写真は~。

岡田さんが務める「ぐんま特使」に、ちなんで。



「高崎 縁起だるま」

変幻自在な演技や歌唱、楽しみにしています。

明日もがんばるぞ!
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背番号のないエース(砂川啓介・編)

2017-07-19 15:55:36 | 背番号のないエース
ある人にとっては「たいそうのおにいさん」、
ある人にとっては「大山のぶ代さんの夫」でしょう。

ミツコにとって、
砂川啓介さんは「演出家」です。



いまからもう、何十年も前のこと。

砂川先生が、
「劇団新児童」のために演出した作品「杜子春」の
ダンスパートに出演させていただきました。

劇団新児童は、老舗の児童劇団。
子どもや青少年向けの芝居を、
全国各地の小学校、中学校、公共ホールで
上演しています。



たまたま、ご縁があり、
ミツコも、ダンス仲間と3人組で、
行脚に加わらせていただいたのでした。

弘前、黒石、敦賀、笠間、水戸・・・。

当時は、ミツコも学校に通っていたため、
先生方の理解を得ながらの活動でした。



朝9:00の小屋入りを目指し、
マイクロバス、もしくは列車で出発。
到着するやいなや、仕込み。

午前、上演。

昼食は、出前のラーメンかチャーハン、または中華丼。
幕の内弁当のときもありました。
スタッフも主役も端役も、み~んな同じメニューです。

午後、上演。

すぐさま、バラシ、搬出。
我々の役割は、背景の幕を畳むこと。
バラされた大道具を、どんどんトラックへ運びます。
詰め方にも順番があり、それをいい加減にすると、
次回の仕込み時にしわ寄せがくるので、
慎重に、かつ迅速に。

舞台の掃き掃除をして、
マイクロバス、もしくは列車で帰路につきます。

泊まりの場合は、一座で宿へ。
夕食は、宿飯(やどめし)か、近隣の食堂です。

長期滞在の際は、休演日もあるため、
数人でボーリングをしたり、
図書館や喫茶店で過ごしたものです。

が、ほとんどは、会場と宿の往復のみ。

それでも。



楽しかったんだなあ。

分け隔てなく、接してくれた劇団員のみなさん。
運転手さん。スタッフさん。

みなさんと、力を合わせて、
数多く舞台に立てたのは、大きな財産です。



砂川先生の演出作品は、とてもエキサイティングでした。

1幕は、洛陽。
2幕は、峨眉山(がびさん)。

砂川先生ご自身が、
モダンダンスをなすっていたこともあり、
そのためか、
踊りに対して、崇高な、尊敬の念がこもっていたように
感じました。

芝居の添え物ではなく、
きちんとしたシーンとして、成立させてくだすっています。

ある程度、自由にやらせていただく場面もあり、
毎回、新鮮味をもってトライすることができました。



いったい、何回、出演させていただいたろうか。

街から街へ。
繰り返される毎日で、
意欲を持続し、取り組むことができたのは、
ひとえに、
すばらしい演出だったからではないかと思います。

「砂川啓介といえば、若いころ、そりゃあ美青年だった」と
とある世代以上のかたに聞かされ、
気取り返ってるのかなあ、とか、
灰皿飛んでくるのかなあ、とか、
不安ばかりで赴いた稽古場。

砂川先生は、
やさしく、あたたかく、私たちを見守りながら、
ご指導してくださいました。



このたびの訃報を受け、
当時の劇団の方々と、しばし、思い出に浸りました。
こうした時間もふくめ、
多くのものを、遺してくだすった砂川先生。
本当に、ありがとうございました。



「VIVA YOU」の旅行カバン。
「杜子春」用に購入しました。
つい先日も、使用したばかり。
今もなお、現役でっす。

これからも、がんばるぞ!
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背番号のないエース(錦織一清・編)

2016-08-10 17:52:18 | 背番号のないエース
ニッキ、ヒガシ、カッちゃん。
奇跡の3人組・少年隊といえば、
とある世代にとっては、
必ず一度は通る道ではないでしょうか。



いわゆる「ジャニーズ系」には興味のない小中高生も、
少年隊にだけは、
ひそかに惹かれたことがあるかと。

かくいうミツコも、
エヘヘ、
「武道館LIVE」「PRIVATE LIFE」(1987年)を購入し、
映画「19 ナインティーン」(同時上映は「トットチャンネル」)を
見に行ったものです。
こそこそ。エヘヘ。こそこそ。



3人のパフォーマンスのすばらしさは、
言うまでもありませんね。
歌番組において、
少年隊は、異次元の存在でした。

特に、
ニッキこと、錦織一清さんは、
少年隊のなかでも、異次元。

ミツコの目には、
踊りの先生に映っていました。



うむ。

なんらかの事情(?)で、
踊りの先生が、
トリオの一員になっているのだな、と。



あれだけ飛んだり回ったりしているのに、
すべてが自然で、自由なんです。
だから、見ている側に、緊張を強いないのでっす。

軽妙洒脱なステップも魅力。

移動していることを気づかせない巧みさで、
いつの間にか、3人の位置が変わっていくさまは、
めくるめく魔術のよう。

さらに、一歩一歩に意味があります。



「君だけに」後奏の、
スタンドマイクを一周するところなんざぁ、
一歩で、
銀河を1万光年、進んでいるもんな~。

ダンスはステップなり、だ。



そんな錦織さんですが、
近年は、もっぱら、演出家としての活動が多く見られます。



・・・さすがでっす。

あれだけの素地と、身体能力と、センスを有しながら、
作り手にまわる、その贅沢さ。
やっぱり、ニッキは、ただの男ではなかったのだ~。

日本のエンターテイメント界に、
錦織さんのようなかたがいらっしゃることは、とても心強く、
安心感を与えてくれます。

錦織さんの思い描いた舞台空間が、
これからも、たくさん実現しますように。



とはいえ。
あのぅ、そのぅ・・・。
表舞台に立つニッキも、楽しみにしてま~っす。
エヘヘ。

明日もがんばるぞ!
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背番号のないエース(加藤和也・編)

2016-03-29 22:45:41 | 背番号のないエース
誰しも、忘れられない日を、
こころに秘めているのではないでしょうか。

ミツコにとっては、
2011年11月11日が、その1つです。

「美空ひばり メモリアルコンサート
 「だいじょうぶ、日本!」
 ~空から見守る 愛の歌~」

主催・企画・制作:株式会社 ひばりプロダクション

東京ドームでの公演の、開催日です。



ひばりさんらしく、小雨そぼ降る空模様。
しかしながら、会場内は熱く、
「真赤な太陽」(郷ひろみ)、
「悲しき口笛~港町十三番地~東京キッドメドレー」(ゆず)、
「一本の鉛筆」(藤井フミヤ)、
「終わりなき旅」(平原綾香)、
「真実一路」(氷川きよし)など、
バラエティー豊かな楽曲を、
錚々たるメンバーが、歌い上げました。



東日本大震災という、予想だにしていなかった大災害に対し、
呆然とする私たちに、
すぐさま、歌を届けてくれた、ひばりプロダクション。

社長の加藤和也氏が、
このコンサートの企画を発表した際に、
「こういう状況のとき、母だったらどうするか、と考えた」
といった旨を、お話しされていました。

「母だったらどうするか」
素朴な発想ですが、
何しろ、母といっても「昭和三大巨星」(ミツコ制定)のお1人、
美空ひばりさんです。
これは、実に、たいへんなことです。

そして、加藤和也氏は、見事に実現なさいました。

温故知新を、絶妙に組みこんだ出演者、曲目、構成・・・。
まさか、岡林信康を、生で見られるとは思わざった。
夢のような、贅沢な時間でした。
と同時に、確かに、わたしは、あの夜、
ひばりさんに勇気づけられました。



「みんな笑って死んでいった」
著:加藤和也

文藝春秋
2007年5月(書店では手に入らないやもしれぬ)



あのようなスケールのコンサートを開催できるまでの
企画力、実行力、人情をもつ加藤和也氏ですが、
この本には、
美空ひばりという偉大なるスターの家族に
生まれついたゆえに抱えた、
葛藤が描かれています。

お父さんの「アメリカ」みやげの話には泣かされました。

いきなり始まって、いきなり終わった交換日記、
カラオケ(わたしも、ひばりさんは、
特別なマイクを使っていると思う!)、
病をおしてのコンサートでも、バンドにダメ出しをするなど、
思わず納得してしまうエピソードも豊富。

最後の最後まで読んで、
このタイトルの意味が、胸にストンときます。



いま、美空ひばりさんの歌や映像を、
安心して、聴いたり見ることができるのは、
加藤和也氏のおかげです。
ありがとうございます。

縁の下の力持ち。
苦難も多いやも分かりませんが、
どうか、これからも、
わたし達に、
ひばりさんの歌声を届けてくださることをねがいます。

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背番号のないエース(岩田守弘・編)

2015-07-08 23:07:17 | 背番号のないエース


幼少期より、クラシックバレエに親しんでいたミツコ。



都民芸術フェスティバルや、日本バレエ協会の公演は、
毎年、楽しみに観ていました。



いまでも、こころに残っているのが、こちら。
'93都民芸術フェスティバル参加 日本バレエ協会公演「白鳥の湖(全4幕)」。



1993年2月、東京文化会館大ホール。
オデット/オディール:リュドミラ ワシリア
王子ジークフリード:ウラジーミル マラーホフ

なかでも、第1幕と第3幕に登場した、
道化:岩田守弘さんの存在感が、圧倒的でした。



特に第3幕。
場面は、城内の大広間。
大賑わいのなか、道化は踊りまわり、
王妃は、我が息子・ジークフリートの花嫁が見つかることを、心待ちにしています。
ところが、数多の花嫁候補がアピールするも、
オデットのことで頭がいっぱいのジークフリートは、乗り気になれません。

そこへ、悪魔ロートバルトと娘オディールが現われ、
たちまち、ジークフリートは虜になります。

オディールへの永遠の愛を誓うと、瞬時に辺り一面、闇に。

ロートバルト)ワ~ッハッハッハ!愚かなジークフリートよ、見よ!
       今ごろ湖畔では、オデットが、嘆き悲しんでいるんだろうなあ。
ジークフリート)・・・あっ!オデット!!・・・やい、だましたな!
ロ)やっと気づいたかね。・・・ワ~ッハッハッハ!
オディール)オ~ッホッホッホ!
ジ)オデット、違うんだ、誤解なんだ!僕はだまされたんだ!
  待ってろ、いますぐ、駆けつけるぞ!(湖畔へ向かう)
ロ&オ)ワ~ッハッハッハ!オ~ッホッホッホ!

このあまりの出来事に、王妃はめまいをおこし、
取り残された周囲の者も、呆然自失の態。
大混乱のなか、幕。

となるのですが
(ご存じのとおり、バレエには台詞がありませんので、
ミツコによる当て台詞です)、
このときの、岩田守弘さん演じる道化。

王妃の膝元で、片膝立ち、片腕を曲げ、
オ~イオイと、泣くのです。

その姿ときたら、
なんというか、もう・・・。

一家の破滅への嘆き、
こころを誑かす悪魔に対し、無力な人間というものへの嘆き、
突然襲いかかる悲劇に対し、無力な自分への嘆きなどが、
ない交ぜになったのでしょうか。

よもや「白鳥の湖」第3幕の幕切れで、涙が出るとは。
道化に、こんなに泣かされるとは。
自分でも、驚きました。

蛇足ですが、
跳んだら降りてこないんじゃないかというジャンプ、
軸のぶれない回転など、卓越なテクニックを有し、
徹底的に、剽軽者を演じていたからこそ、
そのシーンが、胸に迫ったことを付記します。



そんな岩田守弘さん。
2012年、第1ソリストまで務めたボリショイ・バレエ団を退団。
現在は、ウラン・ウデの、
国立ブリャート歌舞劇場バレエ団の芸術監督をなさっているそうです。

ウラン・ウデ。東シベリアにあるそうです。
(バレエの)腕が、売らんほどある岩田さんですから、
きっときっと、唯一無二のバレエ団になることでしょう。



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背番号のないエース(松井由利夫・編)

2015-02-19 09:52:26 | 背番号のないエース
2009年2月19日は、作詞家・松井由利夫(ゆりお)先生の命日です。

松井由利夫先生は、氷川きよしさんの育ての親ともいえる存在。
デビュー曲「箱根八里の半次郎」をはじめ、
「大井追っかけ音次郎」「番場の忠太郎」などの作詞を手がけ、
氷川さんの股旅演歌確立の一端を担いました。



松井由利夫先生のすばらしいところは、
人を見抜く眼力と、人生の機微に触れた深みのある詞でしょう。

一見、さわやかな氷川さんですが、
どことなく険があります。
険があるのは、スターの証。
内面に秘めた、不良性や、
おいらに近づくと火傷をするぜ的な、人を寄せつけない潔癖性が、
かえって人を惹きつけます。



好青年なルックスに身を包んだ氷川さんの、
真の魅力ともいえる部分に着目し、
歌の世界で昇華させた、松井由利夫先生の力には、
ただただ敬服するばかりです。



「杉の木立を 三尺よけて
 生まれ在所を しのび笠
 おっ母すまねえ 顔さえ出せぬ
 積る不孝は 倍返し
 やだねったら やだね
 やだねったら やだね
 箱根八里の半次郎」
(「箱根八里の半次郎」より引用。作詞:松井由利夫。2000年)

「二束三文 草鞋の紐も
 いちどこじれりゃ 捨てるだけ
 花のこぼれ灯 水熊横丁
 雪の引き幕 芝居ははねた
 どこへ流れる どこへ流れる
 忠太郎」
(「番場の忠太郎」より引用。作詞:松井由利夫。2004年)



年齢差52歳。
松井由利夫先生の世界観を、
見事に体現なさる氷川さんの歌唱力にも、称賛をおくります。

「きよしのズンドコ節」「白雲の城」「一剣」も松井由利夫先生の作詞。
♪ゆ~め~を~お~~~う~~~♪
「を」「お」「う」の節は、しびれまっす。



松井由利夫先生。
多くの名曲をありがとうございました。

今日もがんばるぞ!
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背番号のないエース(白川 進・編)

2014-04-28 22:53:58 | 背番号のないエース
今年の、第86回選抜高等学校野球大会(センバツ)で、
うれしいニュースがありました。

Dscn0233_2

徳島県立池田高校が、1勝をあげたのです。
2014年3月23日に、一流スポーツ紙・スポーツニッポン(スポニチ)の1面を飾りました。

♪し~の~の~め~の~ うえの~がお~か~に~♪

Dscn0236_2

校歌も記載されていまっす(作詞:合田公明、作曲:永井潔)。

わたしは、故・蔦文也監督のファンで、
当時、高校野球中継でベンチが映るたび、しびれていました。

が、しかぁし。

蔦監督の魅力を最大限に引き出していたのは、
実は「白川はん」、すなわち白川進さんなのです。

Dscn0239

野球部部長(主将じゃありません)で、
いつも蔦監督の隣りで、メモをとっていたメガネの男性です。
お2人の姿は、まるで、ニコチャン大王と手下。

Photo

鳥山明さんの「Dr.スランプ」の、登場人物でっす。
破天荒なニコチャン大王に、若干まいりながらも、実直に勤めを果たす手下。
大胆な極論、非論理的なことを指示するニコチャン大王に、
時には辛辣な言葉を浴びせかけ、冷静さを取り戻させたりと、
手下は、ニコチャン大王にとって、ひいてはニコチャン星にとって、
なくてはならない存在です。
ニコチャン大王も、手下に全幅の信頼を寄せていました。

同様のことが、蔦監督と白川はんにも言えるのです。

いや、むしろ、鳥山明先生に聞きたい!
ニコチャン大王と手下のモティーフは、蔦監督と白川はんではなかろうかと!

・・・。
・・・・・・。

すみません。
熱くなりました。

Dscn0238

畠山 準氏、水野雄仁氏、江上光治氏、井上知己氏らも甲子園に集結しました。

Dscn0235

あの頃の高校生が、いまはもう立派な大人たち。
時の流れを感じるとともに、
池田高校センバツ出場と勝利で、
蔦監督の奥さま、そして、白川はんが、ご健在ということを知り、うれしく思います。

Dscn0234

余談ですが、
当時、蔦監督が「白川はん」とおっしゃっていたため、
白川さんの下の名は「はん」だと思っておりました。
日本舞踊家に「武原はん」さんもいらっしゃることだし、
なんの違和感もなく、受け入れておりました。

ある時、「白川進」と知って、
併せて、徳島の方言で「~さん」を「~はん」ということも、知りました。エヘヘ。

Dscn0041

今日、4月28日は、蔦監督の命日です。

どこかで、ツバキを飛ばしながら、叱咤激励してるのかな。

「強うなるんじゃ!」(前編)(2013年4月27日の記事)
「強うなるんじゃ!」(後編)(2013年4月27日の記事)

Dscn0316

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背番号のないエース(野中徹博・編)

2013-05-22 18:01:28 | 背番号のないエース

高校野球のおもひで~。

わたしは、池田高校の、蔦監督のファンでありましたが

(2013年4月27日の記事「強うなるんじゃ!」を参照してくんなまし)、

http://blog.goo.ne.jp/asao325/d/20130427

http://blog.goo.ne.jp/asao325/d/20130427

選手個人としては、中京の野中徹博投手が好きでした。

大きな身体。力強いフォーム。あの笑顔。

魅力的な選手です。

1983年夏、準々決勝の「事実上の決勝戦」で、

池田と中京が対戦した時には、

いったいどちらを応援したものか、身が引き裂かれる思いでした。

結果、池田高校が勝利。

野中投手は、卒業後、阪急ブレーブスに入団したものの、

しばらく姿を見なくなったと思ったら、

中日、その後、ヤクルトに入団しました。

野中投手が残してくれたものは、多いです。

力いっぱい、生きる。

困難にも、めげない。

困難を、困難にしない。

そして、野球に全身で打ち込んでいる姿は、

「野球って、面白いスポーツだな」ということを教えてくれました。

今日5月22日は、野中氏の誕生日です。

お誕生日、おめでとうございます。

Cimg1872

世界の片隅で、応援してるがや。

わたしも、がんばるぞ!

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