浅尾弥子のノンジャンル道

 
 富山県小矢部市のシンボルキャラクター・メルギューくんの
 お姿をお借りして、日々更新。

燕の旅(PART3 観光案内 信濃川大河津資料館・編)

2014-09-25 22:46:24 | 2014年 燕の旅

「2014年 燕の旅 PART3 ノンジャンル観光案内 ~大いに進め、大いに学べ~」

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燕市の地図を見ると、

市の南側、信濃川が大きく分かれ、一方の川は、日本海に抜けていきます。

この一方の川を「大河津分水路」といい、なんと人工の水路なんです。

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遠くに光る水面が、大河津分水路。

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スケールが大きすぎて、キャメラに納まりきらないほどです。

ふむ。

いったいぜんたい、なじぇ、こげに大きな水路を造ったんじゃろか。

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「信濃川大河津資料館」さん、

教えてく~ださ~いな~。

ふむふむ。

信濃川は、舟運による交通路として利用されていました。

シカァシ。いいことばかりではありません。

越後平野は、低湿地。

海岸線は砂丘にさえぎられているため、水はけが悪く、

大雨のたびに、氾濫を繰り返していたのです。

3~4年に1度は、大洪水に見舞われたとのこと。

どげんかせんといかん!と、

江戸時代には、地元の有志が幕府に、分水路建設を願い出たが却下され、

1870年(明治3年)、ついに工事が始まったが、のちに中止。

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そして、1896年(明治29年)7月22日に「横田切れ」と呼ばれる水害が起きました。

被害面積18,000ヘクタール。

床下床上浸水が4万3600戸。うち半分以上が家屋流失。

さらに、田んぼの被害を考えると、

筆舌につくしがたい大災害です。

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時代は遡って、江戸時代。

信濃川に近い国上山に暮らしていた良寛さまも、

度重なる水害に、心を痛めておられました。

資料館に、漢詩「寛政甲子(かっし)夏」(作家・水上勉が口語訳)が展示されています。

漢詩は難解ですが、口語訳は、ひらがなもあるので読みやすいです。

・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。

う、ううう・・・。

いかん、視界がぼやけてきます。

良寛さま、水上勉も、泣かせるじゃないか・・・。

みなさんも、ぜひ、お読みください。

資料館に行けない方は、「良寛を歩く」(集英社)に載っています。ぜひご一読を。

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苦難の歴史を乗り越え、

1922年(大正11年)大河津分水路が通水。

その後も、可動堰、新洗堰の補修工事が行われ、

2014年(平成26年)には、大河津可動堰改築事業が竣工しました。

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真新しいプレート。

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防災の心構えを、いま一度、見直すことができました。

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自然の猛威は、人間の想像をはるかに超えています。

いかに共生していくか。

我々が考えて、行動していくべきことは、たくさんあります。

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「信濃川大河津資料館」

入場無料。

次回は、「国上山遊歩道」で~っす。

くづつ。

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燕の旅(PART2 登録有形文化財 大河津分水洗堰・編)

2014-09-25 11:33:08 | 2014年 燕の旅

「2014年 燕の旅 PART2 登録有形文化財を訪ねて ~先人の情熱と、その継承~」

登録されてから、もっとも年月が経っているのは、こちら。

「大河津分水洗堰」

おおかわづぶんすい  せんせき???

ブブーー!

いけません。

こりでは、自称・燕市PR大使が務まりません。

正解は、

「おおこうづぶんすい あらいぜき」でした~。

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登録年月日は、2002年2月14日。

所在地は、燕市大川津。

大河津分水桜並木、信濃川大河津資料館、本川橋の近く、

大河津分水公園内にあります。

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歴史を感じさせる、立派な堰でっす。

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建築年代は、1922年。大正11年です。

堰柱26基、全長約146m。

橋のように、渡ることができます。

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片側からの眺めは、こういった感じですが、

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うわ~お。

反対側は、ハイテクです。

なんでも、日本で最初のRC造堰とのこと。

な、なるほど~~~???

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長年、大雨による川の増水で苦しめられていたこの地域。

この洗堰は、信濃川本川への流量を調節する役割を担ってきました。

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現在は、もう少し上流にある新洗堰が、引き継いでいますので、

悠々自適。

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多くのいのちを守ってきました。

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安全への願いを象徴するモニュメント「大河津分水洗堰」に、幸あれ!

今回、燕市内の「登録有形文化財」を巡りました。

どこに行っても感じたのは、

建造物には、先人の力が宿っており、

現在を生きる人々が、その意思を継承しているということ。

挫けたとき、建造物に励まされることもあるけれど、

実はそれは、その建造物を造った遠い昔の誰かの存在が、支えになっているのかもね。

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次回は、

「PART3 ノンジャンル観光案内 ~大いに進め、大いに学べ~」

「信濃川大河津資料館」でっす。

くづつ。

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