ギャラリーはあまり代わりばえしていないので、何もとりたてて取り上げることもないが、右隅に掛かる赤いデッサンは四谷十三雄 ( 1938-1963 ) の 『 裸婦 』 である。しばらくこの絵を見ているうちに悲しみが込み上げてくる。洲之内徹が その著書 『 セザンヌの塗り残し 』 に 「 いっぽんのあきビンの 」 という章で四谷のことを書いている。彼が死ぬ二年前の手紙を紹介しているので、僕もここに引用してみる。
「 ―― オバサマ、三千円という大金を送って下さり、うれしくて、さっそく絵具を買いに行きました。心から感謝しております。私が絵画を始めた頃は十九歳の後期でした。その時は画材を買うような小使いが無いので文房具屋で月払いで買ったことを覚えています。その頃はひまつぶしで画くのだという幸せな甘い生活を夢にしていたのですが、月日がたつにしたがい、自分の中に一生をかけても追求しがいのあるものが欲しくなりました。 」
「 それが絵なのです。横浜にある造形研究所で一年ばかり基礎的なものを勉強したのです。そこには芸大へゆく受験生が大勢いてそれぞれが真剣に勉強しているのを見、絵というものは学問で左右されるものでなく、人間が左右する事を強く知った。絵画的野心を持ったのはこの頃でした。絵画を画くという事を通じて自分が成長してゆく事がはっきりわかる時があります。その時は恐しいけれど自己を知る事により精神的に成長すると思う。しかしあまり自分を見つめすぎると自分がいやになる事さえあります。 」
「 だけどしようがない、自分という人間を知るという事から物事が発展してゆくからです。絵画の道は小説家、音楽家達と同じように険しい苦難の連続であると思う。それだけに途中でくじける人が多いという事です。しかし私はやり通すという信念は変わっていない。私が世に出るか、自分の絵を発見できるかできないかは未知の世界であります。そのカギをとくのは努力するほかないと思います。オバサマ、私はうれしい。 ―― 」
四谷十三雄は電気会社の工場の工員だった、それにキャンバスは大きくて厚塗りだった。だから絵具は大量に使うのだった。彼は日記を随分残したが、ある日工場から帰宅すると机の上に恋人からの手紙があった、「 絵具を買ったときのようにうれしかった 」 と書いていたそうである。背景を赤く塗った 『 裸婦 』 を見ていると、四谷の手紙そのものに見えて仕方ないのである。赤いパステルは、彼の純粋な真剣な 「 絵画的野心 」 という情熱の色である。生前いっぺんも個展をやれなかったが、しかしやろうとしてでき上がったばかりの個展案内状を残して、国道ではねられた。 「 願わざる 」 ことによって星になった、ここにも薄命の画家がいたのである。夜空を仰げば、星は僕らに永遠に輝く。