参議院議員投票日のギャラリー

2013-07-21 | 日記

日曜日のギャラリーの朝は実に静かである。細長の窓を開放する時、遠く小鳥の声しか聞こえない。水色の大きなブラインドは全体をちょっと上げて日を入れてみる。外光は少しあればいい。 “ パンテラ ” に光を灯す。B&Oのベオサウンド・ウーベルチュールにCDを入れる。今朝のバックグランド・ミュージックは懐かしいリチャード・クレーダーマン・オーケストラにしたから、気分だけは明るい。額は、昨年開催した 「 没後30年私的・西脇順三郎展 」 のポスターで、三種類作ったうちの一つ。

夕刻に至り、半陰半晴にして暑さ甚しからず。しばし外気に当たらんとして外に出しが、東の低空に月掛かりて今宵は満月か、雲を透かして朧なり。閉店間際若き女性客ありて歓談す。手習いは茶にして遠州流という。また趣味嗜好はキモノという。27日 ( 土 ) 『 朝活 』 の折に 「 着物を着ての参加はいかが 」 というわが希望述べるも、条件付ながら受諾す。条件とは、 「 わたしが早く起きられたらね 」 。近くの林に山鳥の鋭き一声を聞く。今夕所用ありて、閉店後長岡市街地個人宅に向う。美術品の一部撮影するも十時近く辞して帰る。帰宅深夜に及びしが知人よりTELありて更に夜を深くす。睡魔猛然たり。

 


水色の夜明け

2013-07-20 | 日記

雨上がりの空は瑞々しい。ただ見ているだけで、それだけで救われるような気持ちになる。透明というのは空のブルーのことを言うのかな。透き通るような青、湛えているような水性の青さ。朝のスカイブルー気象という現象は第一番の思考環境である、と思う。気象は恐ろしい、激しい、優しい、美しい、…… 。 太陽はまだ移動中である、この鎮守の杜の定位置に来るまでにはもう少しの時間が必要である。窓を明けはなして、アチコチから小鳥の声がする。水色の夜明けである。 今日も一日が始まる。

 


今朝の gallery artbookchair

2013-07-19 | 日記

ギャラリーはあまり代わりばえしていないので、何もとりたてて取り上げることもないが、右隅に掛かる赤いデッサンは四谷十三雄 ( 1938-1963 ) の 『 裸婦 』 である。しばらくこの絵を見ているうちに悲しみが込み上げてくる。洲之内徹が その著書 『 セザンヌの塗り残し 』 に 「 いっぽんのあきビンの 」 という章で四谷のことを書いている。彼が死ぬ二年前の手紙を紹介しているので、僕もここに引用してみる。

「 ―― オバサマ、三千円という大金を送って下さり、うれしくて、さっそく絵具を買いに行きました。心から感謝しております。私が絵画を始めた頃は十九歳の後期でした。その時は画材を買うような小使いが無いので文房具屋で月払いで買ったことを覚えています。その頃はひまつぶしで画くのだという幸せな甘い生活を夢にしていたのですが、月日がたつにしたがい、自分の中に一生をかけても追求しがいのあるものが欲しくなりました。 」

「 それが絵なのです。横浜にある造形研究所で一年ばかり基礎的なものを勉強したのです。そこには芸大へゆく受験生が大勢いてそれぞれが真剣に勉強しているのを見、絵というものは学問で左右されるものでなく、人間が左右する事を強く知った。絵画的野心を持ったのはこの頃でした。絵画を画くという事を通じて自分が成長してゆく事がはっきりわかる時があります。その時は恐しいけれど自己を知る事により精神的に成長すると思う。しかしあまり自分を見つめすぎると自分がいやになる事さえあります。 」

「 だけどしようがない、自分という人間を知るという事から物事が発展してゆくからです。絵画の道は小説家、音楽家達と同じように険しい苦難の連続であると思う。それだけに途中でくじける人が多いという事です。しかし私はやり通すという信念は変わっていない。私が世に出るか、自分の絵を発見できるかできないかは未知の世界であります。そのカギをとくのは努力するほかないと思います。オバサマ、私はうれしい。 ―― 」

四谷十三雄は電気会社の工場の工員だった、それにキャンバスは大きくて厚塗りだった。だから絵具は大量に使うのだった。彼は日記を随分残したが、ある日工場から帰宅すると机の上に恋人からの手紙があった、「 絵具を買ったときのようにうれしかった 」 と書いていたそうである。背景を赤く塗った 『 裸婦 』 を見ていると、四谷の手紙そのものに見えて仕方ないのである。赤いパステルは、彼の純粋な真剣な 「 絵画的野心 」 という情熱の色である。生前いっぺんも個展をやれなかったが、しかしやろうとしてでき上がったばかりの個展案内状を残して、国道ではねられた。 「 願わざる 」 ことによって星になった、ここにも薄命の画家がいたのである。夜空を仰げば、星は僕らに永遠に輝く。

 


媚態の雨が降る

2013-07-18 | 日記

今朝から強い雨が降ったり止んだりしている。雨雲の切れ間に青空が一瞬見えて、空の青さが輝く時、稲の緑が本当にいいのである これはいつもの僕の部屋から見るいつもの光景であるが、雨上がりの水に濡れた植生は実にその色が生き生きしている。どうってことない風景が、気象の変化ひとつでフレッシュになる。この時期の雨は、あらゆるものに生命をもたらす蘇生の雨であり、物寂しく降る雨を蕭蕭 ( しょうしょう ) というが、ここでは けがれのない清らかな清浄の雨である、と思う。もっとも雨にけがれなどないか … 。

村の家々は雨に濡れて、ペンシルのような電柱も雨に濡れている。用水路には雨が溢れて、TVのアンテナは雨と風に揺れている。雨は僕の読書も濡らしている。雨は、九鬼周造の名著 『 「 いき 」 の構造 』 を濡らしている。

異性的関係性において 「 いき 」 とは、例えば、媚態のことである。媚態とは 「 なまめかしさ 」 「 つやっぽさ 」 「 色気 」 などという異性間の緊張のことである。しかし媚態には 「 あきらめ 」 という諦念がなくてはそれは 「 いき 」 とは言わないのである。 「 あきらめ 」 とは、花はいつか必ず萎れ、人はいつか必ず老いる、という人生の無常のことである。逆に言えば、しかし 「 いき 」 とは、そういうことを知った上での 「 いき 」 なのである。きょうの、いつになく強い雨は異性的関係性において野暮ではなかった。媚態の雨である。

 


ドキュメント

2013-07-17 | 日記

昨夜は少々くたびれて早くに休んでしまったから、今朝は早くに起きて、夜来の雨に濡れたままの瀝青の、巾狭い道をテクテクと、黄色いゴミの袋二個を持って歩いた。道端で婆さんに遭ったから、今日一日は曇天のいい日になると思う。西脇順三郎の詩に、婆さんは 「 豊饒の女神 」 である。

1993年9月20日の一日のある時間に描かれたドローイング。20年前のひとつの脳内及び身辺記録である。当時、東京暮らしの僕は一個のサビシキサラリーマンであった。通勤前の、または帰宅途中のカフェでのこのドローイングは、サビシキ evidence である。しかし僕はなんと多くの時間を逸していたのだろう。この絵のタイトルは 「 赤い涙 ( あるいは血の涙 ) 」 だった。脇に書かれた文を、以下そのまま書いて見る。

つぶらな瞳をみひらいて、普通のものに驚いたヒビもあったわ.でもそうしたものは何処へゆくのだろう.肉体の一部になっているのかしら.それとも排せつされて海の彼方、地中深くあるのか.見えないものを見ようとは思わない、でも見えるものについては見てゆきたい.そこにあるんだけど私が見えないから見えないのかも知れなくて、本当はよく見ると見えるものかも知れないわね.

涙が水色か透明色かわからないけど、もし涙が肉体の一部から湧いて来たものなら、きっと涙も血の一部で、血も涙の一部で、よく見ると血の色だわ.それはだって人は血でできているからだわ.'93.Sep.20 M.S.