「 手 」

2013-07-02 | 日記

       

今年2013年は高村光太郎 ( 1883-1956 ) の生誕130年である。このことはあまり話題になっていないように思うが、どうだろう。やはり光太郎と言えば、智恵子夫人との愛を綴った詩集 『 智恵子抄 』 が有名。その中の詩 「 人類の泉 」 から数行抜書きしてみる。伊藤信吉編 『 高村高太郎詩集 』 ( 新潮社版文庫 昭和25初版年発行 これは昭和59年版 )。

  あなたによって私の生 ( いのち ) は複雑になり 豊富になります

  そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです

  私は今生きてゐる社会で

  もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました

  もう共に手を取る友達はありません

  ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです

  私はこの孤独を悲しまなくなりました

  此れは自然であり 又必然であるのですから

  そしてこの孤独に満足さへしようとするのです

  けれども

  私にあなたが無いとしたら ―

  ああ それは想像も出来ません

  想像するのも愚かです

  私にはあなたがある  ( 以下略 )

 少々人生論っぽいところもあるけど、智恵子に対する思いは、きっとこうであったに違いないと思う。そしてこういう思いは光太郎を越えて、誰にでも共通する思いに違いない。いつか 「 二つに裂けて傾く磐梯山の裏山 」 に駄目になる智恵子を感じても、ついに狂った智恵子に慟哭しても、光太郎は智恵子の愛につつまれて生きて行くのである。

  私はあなたの愛に値しないと思ふけれど

  あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

愛とは、「 一切を無視してつつむ 」 ものなのである。 「 一切を無視してつつむ 」 というところに光太郎の芸術家としての根源があるように思う。

         

このブロンズは光太郎の高弟である小坂圭二 ( 1918-1992 ) の作品である。先日、新潟絵屋で個展を開いた東京の画家・料治幸子さんが教わったのが小坂先生で、先生没後このブロンズが奥様によって5点ほど鋳造されたのである。僕も縁あって譲っていただくことができた。時折こころが疲弊した時、机上に置いて見ている。 「 レモン哀歌 」 から一行。

   わたしの手を握るあなたの力の健康さよ