媚態の雨が降る

2013-07-18 | 日記

今朝から強い雨が降ったり止んだりしている。雨雲の切れ間に青空が一瞬見えて、空の青さが輝く時、稲の緑が本当にいいのである これはいつもの僕の部屋から見るいつもの光景であるが、雨上がりの水に濡れた植生は実にその色が生き生きしている。どうってことない風景が、気象の変化ひとつでフレッシュになる。この時期の雨は、あらゆるものに生命をもたらす蘇生の雨であり、物寂しく降る雨を蕭蕭 ( しょうしょう ) というが、ここでは けがれのない清らかな清浄の雨である、と思う。もっとも雨にけがれなどないか … 。

村の家々は雨に濡れて、ペンシルのような電柱も雨に濡れている。用水路には雨が溢れて、TVのアンテナは雨と風に揺れている。雨は僕の読書も濡らしている。雨は、九鬼周造の名著 『 「 いき 」 の構造 』 を濡らしている。

異性的関係性において 「 いき 」 とは、例えば、媚態のことである。媚態とは 「 なまめかしさ 」 「 つやっぽさ 」 「 色気 」 などという異性間の緊張のことである。しかし媚態には 「 あきらめ 」 という諦念がなくてはそれは 「 いき 」 とは言わないのである。 「 あきらめ 」 とは、花はいつか必ず萎れ、人はいつか必ず老いる、という人生の無常のことである。逆に言えば、しかし 「 いき 」 とは、そういうことを知った上での 「 いき 」 なのである。きょうの、いつになく強い雨は異性的関係性において野暮ではなかった。媚態の雨である。

 


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