小春日和

2019-11-24 | 日記

          

今日は一日あたたかい日だった。家の中より外の方がポカポカで、車庫の片付けをしていると汗が出てくるのである。午前中に片付けて、午後は熱い珈琲で読書である。障子戸を開けガラス戸を開けて、そしてブラインドを開ける。今の季節にはもったいないような日差しを取り込む。
読むのは日本画家・鏑木清方 (1878-1972) の『 清方隋筆選集第一巻 』( 昭和17年刊 双雅房 ) の「四季しのぶ草」である。なぜ清方かと言えば、たまたま1999年に発行の『芸術新潮』を見ていたからで、この号が清方の特集だったからだった。清方は画家でありながらも、特に美人画を描いては第一級で、そして名文家でも知られていて、たまたまこの旧い随筆集を所蔵していたからである。こんなたんぼに囲まれ山奥の田舎に居てさえも、江戸情緒の残る明治の時代の風物を書いた文章が、何故か知らないが僕の失われた思い出をしみじみと思い出させるのである。随筆のタイトルをここに書き出して見ると、春侘びし、大橋の白魚、きいろい花、褪春記、菖蒲湯、団扇と浴衣、土用前後、凉床語、秋、秋まだ浅き日の記、からかぜ、雪。
失われた若き日も、女も、全てが美しい。恵まれた小春日和の一日であった。「 菖蒲湯 」の一節から、

女師匠は縁先の庭六尺ばかりを隔てて溶々と流るる川の水を見るともなく、見戌(まも)つて、雲が山から離れるやうにそつとこのまま身體を運ばれても、当人にはわからないのではあるまいかと思ふほど、さつき湯殿でこの家の女主人が、まるで忘我のさまで居た、それと同じやうに師匠も流れに心をまかすが如く、どうしたつて人ある部屋とは思われぬ寂寞があたりを占める。               

         置時計のセコンドを刻むのが、いとど静けさを増すばかりである。

毎日の生活の中で、この「寂寞」の時間を僕は好む。または、この寂しさというものの中には美しい記憶ばかりが充溢していて、失われたものが蘇る時間でもある。「菖蒲湯」に浸かる幼い僕と若い母がいる。

 


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2 コメント

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清方選集 (みずすまし亭)
2019-11-25 13:28:22
そういえば、私も双雅房「清方選集」の第1・2巻を持っていますね。第3巻「絵具筺」が欠けていて、気になっていするのですが… 戦前、この双雅房から合本も出版されていて、北村薫だったかな? 古書ミステリ風に書いていました。渋好みの清方らしい造本で好感が持てますね。
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Unknown (m.sakai)
2019-11-25 23:17:59
僕のは3巻揃っていて、この3冊が一緒に函に入っています。
最近、寝酒代わりに清方を読んでウトウトします。
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