京都発・町家・大工はんなり日記

京都で仕事と道具を楽しみながら毎日過ごす。

こんな良い記事読まなきゃ損。日本人の忘れ物。 

2011-07-23 01:23:07 | Weblog
こんな良い記事読まなきゃ損。日本人の忘れ物。

またまた7月10日の京都新聞に素晴らしい記事が・・

京都工芸繊維大名誉教授 中村 昌生氏のお話です。

伝統的大工技術

伝統的な住空間を甦らせて大自然との関係を修復しよう 。と題して


今回の未曽有(みぞう)の災害は、すべての日本人が共有しなければならない。それは現代の日本人の生き方に対する大自然の激怒であり警(いまし)めであったからである。

暮らしの知恵を蓄積してきた「経験の科学」

 古来大地に身をゆだねつつ、家を建て、暮しを営み、自然と共に生き続けてきた日本人は、自然の脅威から身を護りながら、自然と語り合い、その恩恵を限りなく生かし続けてきた。そのような生き方から育まれる心や感性から国民性は養われ、独自の文化が生まれたのである。外来の文化も、そうした国民性に同化させつつ日本の文化に吸収した。

 大自然との共生を通じ、さまざまな体験を積み重ねながら、暮しの英智を蓄積してきた。それは体験に裏付けられた「経験の科学」である。

  明治になって西洋文明を受容した。これは自然と対立し、自然の征服を理想とした思想によって発達した文明である。それは日本人の自然観とは正反対の思想に根ざしていたが、「自然科学」の急速な発展に裏付けられた近代文明であった。自然科学による文明の導入によって日本は目ざましい近代化をなし遂げ、世界の大国と並ぶようになった。こうした近代国家への驚異的な発展を支えた自然科学の威力の前に、経験の科学は次第に日本人の心から離れていった。

自然をもコントロールできる錯覚に陥る

 焦土と化した戦後の復興も、当然ながら自然科学文明に拠らざるを得なかった。科学の進歩の速やかな導入によって、忽ち経済大国となった。そしていつの間にか自然をもコントロールできるような錯覚に陥りはじめたのである。「夏は涼しく冬は暖かに」という工夫が、日本人のもてなしの極意であった。それも物理的な効果はいとも簡単に実践できるようになった。

 戦後、住宅の復興は、早く安く、から、もっぱら便利さ、快適さを求めて疾走してきた。住宅行政もその路線を強力に推進した。そして断熱材で密閉された空間で、環境を自由に支配できる住宅が普及した。日本人の住まいづくりは、経験の科学を軽視し、遂に自然と絶縁しかけたのである。

大気と共に呼吸して生き続ける木で造られた住宅

 日本の大工技術は世界に比類をみない。大工は「木」の性質を知り尽くし、伐って用材となっても、生きているものとして、その強さ、美しさ、感触などを引き出しながら加工し、組み立て、土壁をつける。このように生き続ける材で造られた伝統的木造住宅は、大気と共に呼吸し続けている。人工の所産ではあるが、自然界の一部であると言えるのかも知れない。

 戦後発展した日本住宅を支えた自然科学も、日本人の経験の科学には及ばない弱点を、伝統的な木造住宅は証言している。地震にも負けないし、火災時に人命を落とす心配もまずない。何よりも自然との共生を促し、楽しませてくれる。このような住空間を甦(よみがえ)らせることこそ、大自然との関係を、速やかに修復しうる有効な道ではなかろうか。



京都工芸繊維大名誉教授 中村 昌生 さん
1927年、愛知県生まれ。京都工芸繊維大教授をへて同大名誉教授。福井工業大名誉教授。京都伝統建築技術協会理事長。日本建築専攻。工学博士。日本建築学会賞、日本芸術院賞など受賞。著書は「茶室の研究」「数寄屋邸集成」など多数。

さすが京都新聞良い記事書きますね。

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