今日の午前中は本当に久しぶりに家で水彩画を描いた。
夏からいろいろ忙しく神経を使うことが続き、絵を描く実際問題としての時間も心の余裕もなかった。
そして最大の理由はもし時間が取れたとしても一人で家にいることがないことだ!
絵を描くには道具を出してきて描く気持ちが集中しないとできない。
アトリエでもあればともかく、ダイニングテーブルで描くなると(ここがスペース・明かりの点で一番条件がよい)誰か人がいると集中力に欠ける。
人がいる時といないときの意欲の差は何倍にもなる。
今日は「人」はいたのだが・・・下絵の段階なのでまあ贅沢はいえない。
今日は初めて上等な画用紙で描いてみた。色の発色が綺麗だ。
弘法ならぬ身は筆を選ぶのだ。
しかしその点短歌は細切れの時間でできるのでいいなぁ。
道具を出してくる手間も要らない。
絵のように何十分もの継続的な集中力が要らない。
1分以内の瞬発力だけでいいのだから。
環境の条件が厳しくてもできるのが短歌のいいところだ。
その代わり心がリラックスしているという心理の条件が要るが。
夏からいろいろ忙しく神経を使うことが続き、絵を描く実際問題としての時間も心の余裕もなかった。
そして最大の理由はもし時間が取れたとしても一人で家にいることがないことだ!
絵を描くには道具を出してきて描く気持ちが集中しないとできない。
アトリエでもあればともかく、ダイニングテーブルで描くなると(ここがスペース・明かりの点で一番条件がよい)誰か人がいると集中力に欠ける。
人がいる時といないときの意欲の差は何倍にもなる。
今日は「人」はいたのだが・・・下絵の段階なのでまあ贅沢はいえない。
今日は初めて上等な画用紙で描いてみた。色の発色が綺麗だ。
弘法ならぬ身は筆を選ぶのだ。
しかしその点短歌は細切れの時間でできるのでいいなぁ。
道具を出してくる手間も要らない。
絵のように何十分もの継続的な集中力が要らない。
1分以内の瞬発力だけでいいのだから。
環境の条件が厳しくてもできるのが短歌のいいところだ。
その代わり心がリラックスしているという心理の条件が要るが。
散歩の時は歩く以外は何もしていない、そして景色を見てリラックスしています。
私が短歌が浮かぶのは電車に乗っている時,お風呂に入っている時、だからこのごろは出かけるときは短歌手帳を持っていくことにしています。
家に帰った頃には忘れてしまうこともあるので。
ただ短歌は短い詩形なので、家で用事をしていても一瞬の隙間で浮かぶときもあります。
でも大前提として心が平穏でないと出来ないのは同じですね。
水彩画のご趣味があるというのは素敵ですね。絵も書もそばに人がいると集中できないものです。短歌は瞬発力ですか。ひらめきのうちに一首できるのでしょうね。私は歩く速度と思考の速度が同じなのか散歩のとき、構想を練るとうまくいきます。家の中ではうるさくて集中できません。静かな環境でも、心が平穏でないと集中できません。なかなか良い条件のときがなくてよい作品ができないなどと言い訳にしています。