アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

まだ遠き 碓氷の春をいく~クモヤ443系

2022-04-22 15:00:00 | 鉄道写真(EC)
不安定な天気が続く東京は、桜は当に葉桜となり、今ではツツジやハナミズキが美しい。忙しなく日々を送る中でも、こうした街のちょっとした変化に気づき心の友としたいものだ。
まだ信越線碓氷峠が健在だった頃、鉄道とともに四季を写し込もうと、毎シーズン気にかけていた時代があった。今にして思えば3~4年間に過ぎず、心残りも多いが、命がけの猛者達の想いに少しでも近づこうと張り切っていた。山登りは不得意なアントンKだから、あくまでも自分流に線路端には拘っていたが、ほんの1区間とは言え、無数のポイントが目の前に広がっていたのだ。
ここでは、超有名な撮影ポイントだった碓氷橋をいく試験電車の写真を掲載しておく。まだ冬景色が続く碓氷橋付近で、ひと際自己主張していた山桜ともモモとも違う美しい花が目に留まり、文字通り華を添えてみた。ここもGWが明ければ、新緑眩しい若葉の季節がやってくるのだろう。秋の紅葉とともに1年で一番美しい季節。また足を運んでみたいものだ。

1997-04-16    試9333M       クモヤ443系  信越本線:碓氷橋付近


ブルトレ併結時代~EF66「さくら・はやぶさ」

2022-04-21 20:00:00 | 鉄道写真(EL)
東海道線から定期寝台特急が消えて10年以上もの時間が経過した。(最終列車は2009年3月だった)。それまでアントンKにとっては、鉄道撮影の中心的存在だった列車だけに、あの時は何時になく感慨にふけっていたことを思い出す。実際、夜行寝台列車自体は、東北線を走る「北斗星」が存続していたが、やはり特急列車そのものの品格が違い、同列には出来なかったのだ。蒸機で運転されていた時代から継承された列車名は、やはり重く深いものだ。最後は貨物用機のEF66がけん引していたとしても、アントンKには最後まで憧れの列車だったのである。
東海道線ブルトレの晩年、ご承知のように伝統ある2つの列車が併結されて運転される事態になっていった。併結運転そのものは、関西圏の夜行寝台列車で先行していたものの、東京まで連ねてやってきていた列車が併結すると聞いた時は、やはりショックを隠せなかった。「動くホテル」として華々しくデビューした20系客車から始まり、最後は24系やら14系やらのごった煮編成で力走していたのである。
掲載写真は、併結運転開始間もない頃の特急「さくら・はやぶさ」。運転開始が、1999年12月であり、冬至間もない時期と重なって撮影が難しかったことが思い出される。また新調した併結マークが、淡い色合いで撮影しづらかったことも懐かしい。この列車自体、短期間の運転に終わり、最後の東海道ブルトレ「富士・はやぶさ」へと継承されるのである。

1999-12-07    4列車 EF66 48    さくら・はやぶさ  


花形運用を明け渡した日~EF65P型

2022-04-19 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
憧れの寝台特急をけん引し、その名声を不動のものとしたEF65P型ではあったが、長きにわたり東京-下関という長距離を走破してきたためか、年々故障が増え、痛みも激しかったと聞く。そしてこの年の秋を待たずして、新製されたEF65PF型にその道を譲り渡すことになったわけだ。
次々と東京機関区に真新しいEF65PF型が配置され、いったい何時どの列車から切り替わるのか、当時仲間内で話題となったのは言うまでもない。あっという間に切り替わっていった記憶だが、当時の細かな記録はなく、今更ながらデータとして残すべきだった。ここでは、65PF型に道を譲ったEF65P型が、時同じくして山手貨物をけん引し始めた時の画像を掲載しておく。撮影データは78年9月だから、まさにPF型に切り替わってすぐのタイミング。ヘッドマークを掲げて走ったスター街道から一転、黒い地味なタキを黙々と牽く姿を眼のあたりにして、当時のアントンKには衝撃的な事実だった。この時点では、もちろんその後ブルトレがEF66型に代わることも知る由も無く、第二の人生がスタートしたばかりのEF65P型に対しエールを送る気持ちだったことを思い出している。あの時から40年以上、余りにも時間が経ちすぎてしまった現実に、少し寂しさを覚えている。

1978-09-23  5281   EF65 536       山手貨物線:駒込付近


EF65PFの私感~ブルトレ「みずほ」

2022-04-17 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)
未だ現役バリバリの国鉄電機であるEF65PF型。しかしこの春の改正で貨物機の運用にかなり余剰が出ているという話を聞く。旅客会社である田端区も名称が変わり、と同時にEF65PFの配置にも変化があったようだ。昨年から、あれだけ後継の電機にあたるEF210型がデビューしているのだから、余剰は当然な成り行きだろうか。アントンKにとっても思い出の多い電機であり、最後の日まで見届けてやれれば本望だ。
以前にも触れてきたが、アントンKは、EF65PFといっても現存する形態はあまり好まず、初期車こそが本来のEF65 1000番台として認めてきた。細かな形態差には、あえてここでは触れないが、昔初めて見た時の第一印象からイメージが決まってしまったのだと思っている。ヘッドマークこそ無かったが、3往復の特急「あけぼの」の先頭に立ち、当時ではまだ限られていた特急貨物列車けん引に当たった昭和50年前後の時代の印象だ。現存している後期型には、あまり興味なかったのが本音だが、一時は白っちゃけた更新色になったPF型が、再度鮮やかな国鉄色に返り咲いた現代では、そんな昔のたわ言など忘れ去り、お若いファンの方々とともに趣味を楽しみたいと気持ちも心変わりしているのだ。
掲載写真は、東海道線ブルートレインの先頭に立っていたEF65PF型特急「みずほ」。今にして思えば、EF65PF型が最も輝いていた時代だったのかもしれない。時系列で考えれば、この後のけん引機EF66型時代の方が、圧倒的に長期間だったことになる。

1985-11-25    6列車  EF65 1111  みずほ  東海道本線:真鶴付近  


新たなクラシック音楽の扉が開く~新日本フィル定演

2022-04-16 22:00:00 | 音楽/芸術
新年度を迎え、各楽団ともスケジュールが発表されて、この1年どんな楽曲で我々に演奏を楽しませて頂けるのか、最も期待が高まるタイミングなのが、まさにこの時期だと言える。
アントンKはというと、2年前からのコロナ感染の影響で激減した演奏会の中から、まずは必ず聴きたいと思う物だけに限って聴いてきた。しかし現状は、更新される数字に一喜一憂するのではなく、コロナの日常化が浸透して、生活の送り方、演奏会での新たな常識が確立したと言えるのではないか。2年前では、どこか緊張と心配や窮屈感すらあった行為が、今では自然体で行えている。気を許すのではなく、新たな鑑賞行為として定着していくのだろう。しかし、個人的には、いまだに続く終演直後の「ブラボー」禁止はいささか寂しく思う。演奏会をプレーヤー入場から終演退場までをひとくくりに考えた場合、聴衆の反応は演奏会の印象に大きく影響してきたと思えるからだ。
新シーズンのスタートを切る今回の演奏会は、指揮者に久石譲を迎え、フランス音楽を中心に演奏された。どの楽曲も演奏する歓びに満ち溢れ、それを待ち望んでいた我々聴衆も、集中して音楽へ身を置くことが出来たと思う。とりわけ、コンチェルトで独奏したリーウェイ・キンの音色は有機的で表情がずば抜けており、なかなか生演奏では聴けないこの楽曲を興味深いものにしていた。そしてメインに置かれた「展覧会の絵」では、オケの能力が試され、終曲に向かって音楽が大きく膨れ上がる時、圧倒的なオーケストラのサウンドを堪能できたのだった。奇手を狙った演奏ではなく、終始安心して身を置くことができたが、バーバ・ヤガからキエフの大門を移行する場面でのテンポ設定は最良であり、あんなに濃密で豊満な音色をここで聴いたことはなかった。アントンKも、今までこの「展覧会の絵」は星の数ほど聴いてきたが、今回は久しぶりとなり、大いに楽しめ楽曲の奥深さを再認識したのである。

新日本フィル交響楽団定期演奏会 すみだクラシックへの扉

ドビュッシー   牧神の午後への前奏曲
サン・サーンス  チェロ協奏曲第1番 イ短調  OP33
ムソルグスキー/ラヴェル編曲    組曲「展覧会の絵」

ソロ・アンコール
ジョバンニ・ソッリマ  アローン
バッハ   無伴奏チェロソナタ第4番~サラバンド

アンコール
ラヴェル   亡き王女のためのパヴァーヌ

指揮    久石 譲
チェロ   リーウェイ・キン
コンマス  崔 文洙 / 伝田 正秀

2022年4月15日 すみだトリフォニーホール