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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

理想を求めて動きまくった日々~EF58

2021-08-17 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

今回もEF58の古い画像の掲載となった。

本格的に鉄道写真に目覚めて3年が経った頃、毎月買ってはため息をつきながら眺めていた「鉄道ファン」に掲載されている、諸先輩方のような素晴らしい写真を撮影したい、どうすれば撮影出来るのか?と、カメラを構える度に考えていた時期と重なってくる。前出した金谷での試練を教訓として、益々この思いが強くなっていった時代だった。運よく当時の同級生や先輩方、ゴハチ繋がりで知り合った良き仲間たちにも恵まれ、鉄チャンの「いろは」を伝授されたような、今にして思えば厳しくも楽しい日々だったことを懐かしく思い出せるのだ。そんな我が人生そのもののような仲間達と、未だに線路端に立てる有難さを最近ヒシヒシと感じてしまうのである。世の中に少し明るさが戻ったら、またあの頃の顔ぶれで線路端に立ち、カメラを持って鉄道撮影を楽しみたい。と妄想が膨らんでしまうのである。

今回もそんな昔の時代に撮影した駄作を掲載してしまう。あの時代、肝に銘じたピントと露出。今で言う置きピンで必死にファインダーにしがみ付き、被写体で露出を決める。カメラ内の露出計は当てにならず、最後は自分の目と感だけが頼りだった。シャッターを切っても、結果は現像後、だからずっとワクワクとドキドキがその時まで続いていく。この時間経過は、今さらながら鉄道撮影の醍醐味ですらあったように感じてしまうのだ。

急行「銀河」の続行で上ってくる急行「銀河51号」。大概東京区のEF58の仕業で、この日は、無難な129号機が颯爽と現れた。

1978-09-17    6102ㇾ  EF58129  急行「銀河51号」 東海道本線:真鶴付近


厳しい洗礼を受けた思い出の日々~EF58

2021-08-11 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

東京から大垣夜行に乗車、未明の金谷駅で下車、夜が明けるまでの間、しばし待合室で待機する。ここまでして鉄道撮影する獲物は、この後続々とやってくる夜行寝台列車、そして荷物列車を根こそぎ仕留めるためだった。当時は、これから撮影地まで出向き、どんな機番がやってくるのか、思うような撮影ポイントを見出せるのかなど、次々とワクワク感が襲ってきたものだった。もちろん、思うようにならない、失敗の方が数知れないが、それでもホンの数パーセントでも思い通りになった時の満足感が忘れられずに、今日まで続けてきたと言ってもいい。

この時は、今思えばアントンKもまだまだ経験が浅く、ただ列車の走行撮影が出来れば満足していた頃で、振り返ってみても習作、駄作がコマに並んでいる。しかし、どうした訳か、最近撮影した画像よりも、想いが蓄積されており、あの時の場面が目の前に浮かんでくるのである。ただ単純に時間が経った古い写真だからという理由だけではないような気がして仕方が無いのだ。

掲載写真は、何とか狙えそうなポイントに腰を据えて撮影した、急行「銀河」に続く荷物列車。カラーポジにも不慣れ、早朝からの撮影にも経験が少なく、特に太陽光線の大切さをこの時初めて思い知らされたと思い出している。悔いを上げれば切りがないが、そんな悔しい思いも懐かしく思える境遇になってしまったらしい。

1978-07-23   荷32ㇾ  EF58 47     東海道本線:金谷-島田


この時期に思い出す「大宮鉄」~EF58

2021-08-10 17:00:00 | 国鉄時代(カラー)

このお盆休みの時期、決まって東北沿線に撮影に出ていたことを毎年思い出している。それは、東北・上信越線ともに、多客臨が目一杯増便され、機関車がフル活動する時期でもあったからだ。まだ、EF57が現役だった1975年(昭和50年)、初めて夏臨を狙いに沿線に繰り出し、それから毎年このタイミングで出かけるのがルーティーンとなっていた。機関車運用まで把握することはなく、ただ時刻表を頼りに、線路端で一日列車を待っていた遠い日が懐かしい。もちろん暑くて大変だった記憶は残っているが、今のように列車に乗れば快適な環境であるはずもなく、コンビニすらない時代、いったいどうやって一日過ごしたのか、あまり覚えていないのだ。缶ジュースと駅の立ち食いそばが主な食事だったように思い出せる。若気の至りなのか、とても今では考えも及ばないが、そんな些細な出来事も懐かしく感じている。その後、ゴーナナが消滅し、年々多客臨の減少とともに、出向く回数も減ってしまった訳だが、何かと撮影の合間で立ち寄った、大宮駅での撮影が今でも印象的なのである。

掲載写真は、そんな大宮駅6番線ホームから撮影したもの。ここは、東北線上り列車が中線1本開けて4番線に入り、撮影がしやすかったのだ。沿線での撮影に疲れて心が折れそうになった時、ここに踏みとどまってシャッターを切っていた。この画像を見るとそんな想いが蘇ってくる。福島からの普通列車122ㇾ。この日もゴーナナではなく青のゴハチけん引。白い警戒色が遠く見えた時のガックリ感は今でも忘れない。この後、とんでもないゴハチブームが到来するなんて、夢にも思わなかったのである。

1975-08-19    122ㇾ  EF58109    東北本線:大宮駅


架線の下を往く総武線のDD51

2021-08-09 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

まだ全国に配置され主力機として活躍していた時代のDD51。

前出のDD54やDF50の箱型機関車に比べ、撮影する時にいつも撮りづらいと感じる凸型機関車。まだ鉄道写真駆け出しの時代は、どう撮影していいか、いつも悩んでいたことを思い出す。ボンネットが大きく角度によっては大きく印象が変わってしまい、思うように撮れなかったのだ。レンズだって、当時は、標準、中望遠、それに望遠レンズがやっとで、今のようにズームでさっと撮影することは出来ず、自分の好みを模索していた。この写真を観ると、そんな淡い思いが蘇ってくる。

国電区間を颯爽ととDD51にけん引されやってきた総武本線の貨物列車。当時は、どうしてこの区間は電機ではなくディーゼル機関車だったのか不思議に感じていたもの。そういえば、もっと奥の成田線でもDD51の天下だったことを思い出した。あれほど存在したデーデーも、今では指で数えられるほどにまでになってしまい、時の流れを感じずにはいられない。

1978-08-13    365ㇾ    DD511186    総武本線:小岩にて


炎🔥のコバケン!~小林研一郎

2021-08-08 07:00:00 | 音楽/芸術

しばらくぶりの演奏会。今回は大阪フィルを聴いてきた。

「三大交響曲の夕べ」と題された演奏会で、今回で30回記念なのだそう。「未完成」「運命」「新世界より」という、音楽好きなら誰でも知っている楽曲を30年間継続し演奏してきた意味は、思いのほか大きいと思っている。しかもマエストロ小林の思い入れたっぷりの演奏も、当然のことながら年々進化してきているはずで、現時点でのベスト解釈をアントンKも聴きたいとかけつけた訳だ。

コバケンの演奏は、2000年初頭の5~6年間、日本フィルで集中的に鑑賞してきた。コバケンは、レパートリーを絞って、繰り返し演奏するスタイルで毎年のルーティーンのようにプログラムが回っているように思えていたが、それは現在でも変わっていないのだろうか。今回の3つの楽曲は、もちろん十八番の楽曲であり、アントンKも過去に何度も鑑賞した記憶がある。しかし最近、今の世相もあり中々彼の演奏会には巡り合えなかった。

さて今回の演奏は、やはり今までには無い凄いものがあった。3つの楽曲を通して言えることは、コバケン独自の思い入れのポイントの変化だったように思う。細かな箇所については、長くなるので触れないが、ハーモニーの充実と響きの深さがより鮮明に表現されていたように思っている。全体を通してテンポは随分遅くなり、響きを大切に感じ、意識していることが判った。ベートーヴェンで見られたHrnのベルアップなど、譜面には無い独自の指示が満載で、アントンKとしては楽しくて仕方が無かった。彼の第九でもそうだが、効果を狙った適切と思える演奏スタイルが、コバケンを鑑賞する際のポイントとも言えるのかもしれない。アンコールの「ダニー・ボーイ」は相変わらずで、これを聴かずしてコバケンの演奏会は語れなくなった。

終演後、オーケストラを労う「コバケン劇場」も健在で、今回は、全てのパートまで自らが出向き賞賛していたのには少々びっくり。よほど気分が高鳴っていたのだろう。そんなコバケンこと、小林研一郎も今年で81歳。指揮者で言えば円熟期、巨匠と呼ばれる域に入ってきた。情熱ほとばしるコンマス崔氏との相性も抜群に思え、今後さらに大フィルとの演奏にも期待していきたい。

「3大交響曲の夕べ」大阪フィルハーモニー交響楽団

シューベルト   交響曲第7番 ロ短調  D759 「未完成」

ベートーヴェン  交響曲第5番 ハ短調  OP67    「運命」

ドヴォルザーク  交響曲第9番 ホ短調  OP95    「新世界より」

アンコール    ダニーボーイ(アイルランド民謡より)

指揮    小林研一郎

コンマス  崔 文洙

2021年8月7日  フェスティバルホール