アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

やはり強烈!冨平のブルックナー

2018-07-21 22:00:00 | 音楽/芸術

連日猛暑日が続く関東地方、じっとしていても汗が流れるような日和の中、楽しみにしていた演奏会に行ってきた。アントンKが、今ブルックナー演奏で注目している指揮者冨平恭平氏の演奏会。このブログで取り上げるのは、おそらく3回目。三度目の〇〇とか言うが、今回の演奏を鑑賞し終わっての想いは、やはり自分の耳だけが頼り、確信が自信に変わったのである。

まだお若い冨平氏ではあるが、ことブルックナーに関してはかなり造詣が深いとお見受けする。おそらく過去の数限りない演奏を鑑賞し、また自身で演奏することにより、確固たるスタイルを身に着けた結果なのだろう。初めて出会った第3も、その後の第4、そして今回聴いた第5と、オケは全く違うアマオケなのに、同じ世界が広がっていた。これは彼の独自性とは少し違い、楽曲への愛情が具現化された演奏だ。愚直に楽譜に向かい、愛情をもって演奏した結果ではないか。うまく聞かそうとか、面白くしようとか手を加えたとたん、ブルックナーからは離れていく。これは昔も今も変わらないようだ。

しかし今回の第5は、前2回をはるかに凌ぐ演奏だったように思っている。アダージョ楽章の終結部のみ、マタチッチもやっていた改訂版の引用があったが、それ以外はおそらくノヴァーク稿原典版であろう。第1楽章の出の弦楽器の響きは、まるでケンペの演奏を彷彿とさせ、提示部までで、この演奏はただ事では済まないことがわかってしまうくらい。第2楽章アダージョが、異様に速く録音に聴くマゼールの様だったが、聴き進むにつれて、その違和感自体が的を得ているかのように思えてくる。そして演奏の白眉は、やはりフィナーレだった。提示部冒頭の弦楽器群による第1主題を聴いただけで、この楽章が途轍もないものになる予感がしてしまう。全身全霊で音符に向かう奏者達からは、恐ろしいくらいの集中力が伺え、全ての音符にアクセントを付けさせて奏させる冨平氏にも熱が高まってきたことが伺える。テンポが遅く、そして重く鳴るので、縦の線が合わず長さもまちまちに聴こえるが、かえってこんな演奏の方が不気味でスケールが巨大、かつてのクナッパーツブッシュを思い起こさせ、いよいよ本物のブルックナーの扉が開かれたのであった。

時間にしたら、フィナーレは30数分の巨大解釈。コーダへ向かう、とりわけ第1楽章のテーマが戻ってくるあたりからの臨場感は久々に味わい、目の前にそびえる大きな山に身震いしそうになる。そして圧巻のコーダでは、管楽器に現れる各主題はもちろん、コラール主題部Hrnの裏テーマまではっきりと主張され感動。管楽器だけがわめくような響きは皆無で、しっかりと弦楽器群も聴きとれる音響で、これまたブルックナーの醍醐味に溢れていたのだ。

前出のヤングのブル4で、全奏における弦楽器群の重要性を指摘したが、今回もこの事に再認識できた気がする。しかし如何せん、この弦楽器群に関しては非力すぎて同一線上には語れないが、ここでオケの能力についてまで語るつもりはない。

一流のオーケストラだけを鑑賞し、音楽を堪能、感動した気にはなっていないだろうか。美音だけで心は満足できるのか。音楽をしたくて集まったオケが、半年近く積み上げてきた練習を、たった1回の本番に全開させる気力。奏される音は汚く醜くても、そこから発せられる全く異次元の大きさに感動を覚える。今回の演奏は、そんな演奏だったように振り返っている。

鎌倉交響楽団 第111回 定期演奏会 

モーツァルト 歌劇「後宮からの誘惑」序曲 K364

ブラームス  ハイドンの主題による変奏曲 OP56a

ブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調 WAB105

指揮  冨平恭平

2018年7月21日 鎌倉芸術館大ホール

 



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