風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

樹木葬「秋の集い」/07年AUTUMN

2007-10-31 00:43:40 | コラムなこむら返し
Autum_lunch やっとの思いで天徳寺に辿り着き、まずは身体を温めるために進められるまま風呂に飛び込む。それで、ひとごこちついたが、前日から泊まりのボランティア・スタッフは食事も終わり就眠してしまった。焼酎のお湯割りをいただきながら、残ったYさんや和尚とひとしきり喋って就寝する。

 翌日の日曜日(28日)は、昨夜の荒れ模様がウソのように朝から晴れ渡った。一時は「秋の集い」の中止も和尚は考えていたらしいが、それは杞憂に終わった。ボクは例のごとく寺の前庭に陣取って、やってくる樹木葬会員の車を裏手の駐車場に誘導する役目だった。ただ、それも11時からの柿もぎツアーの案内人をやることになっていたから、それまでだ。参加者のピークは10時過ぎから12時までのおおよそ2時間である。
 天徳寺「樹木葬」会員というのは、ボクのようにすでに関東で最初にできたこの寺の樹木葬地に母や、父や身内を葬った人ばかりではなく、自分の死後のために会員になり、予約している人も含まれる。当然、夫婦だけでなく個人もいる。それらの会員の他にその家族や、孫までやってくるから今回の「集い」のように、柿もぎと昼食以外にはこれというイベントがなくとも、会員相互の親睦と樹木を墓標とした人たちが、墓参や草取りや様子見のためにやってきて今回の参加者は100名を軽く超えていた。

 03年12月に母が亡くなって、この寺にめぐりあって樹木葬で母を葬ったのが2004年10月23日だった。新潟県中越地震のまさにその当日で、夕刻本堂の天蓋がザワザワとゆれ、掛け軸が左右に大きく揺れた。
 天徳寺の樹木葬が霊園としての認可申請がとれて、数人目の樹木葬だったが、それからわずか3年にして会員数も300を越えた。樹木葬地も第2区画がほぼ埋まって、いま第3区画を作ろうとしている。
 いまや、千葉県いすみ市の地図に「樹木葬の寺・天徳寺」と刷り込まれるほど有名になり、行政も認めるようになったが最初は大変だった。天徳寺の檀家衆にこの事業を認めさせるのが、苦労で、ついで認可申請に苦労したらしい。と同時にまさしく和尚は「百年の計」の管理責任を負ったことになる。契約上の霊園管理だけでなく里山づくり、森をつくる責任も負ったからだ。

 ボクのボランティアとしての関わる意図は、もちろん母がそこでヒメコブシの樹木として生きているだけでなく、ボクがそこに眠るまで、この地が本当に里山に還ってゆくそのありさまを見届ける義務があると思うからなのだ。前にも書いたが、そのためには山仕事も辞さないつもりなのである。

 さて、今回、柿もぎツアーのコンダクターとして村をグルリと案内し、有機米の生産者でもあるYさんの柿畑におおよそ40名くらいの方々を案内し(副コンダクターは娘のかのん(笑))、皆さんが手に手に買った次郎柿(その場で食べる分は無料)をもって寺へ帰るおおよそ1時間のコースを歩いて帰り(11時30分発の第2陣のコンダクターはYさん)、1時から第2陣が帰り着いたところで昼食がはじまる。
 さすがに、100名を超える参加者が予想されたためこれまでのような什器で盛るのはやめて今回から、使い捨ての容器になった。リユースからは後退したのだが、これまでビニール袋に3ケあまりもあった生ゴミはたしかに減った。それに、お手伝いの方々(料理と片づけを手伝う方々は近所の檀家の主婦である)の洗い物の負担は大幅に軽減されただろう。

 今回の精進料理の「お品書き」は以下のようなものだった(写真)。
 里芋の煮物・ゴボウと人参の丸煮の湯葉巻き・ しめじと小松菜の湯葉巻き・自家製切干大根・生麩となめこの辛子酢みそ和え・ 渋皮煮のいがぐり揚げ・舞茸と山芋の湯葉包み・高野豆腐とレンコンのはさみ揚げ・(抹茶塩添え) 胡麻豆腐梅味噌のせ・ヨモギ麩胡麻味噌のせ・秋茄子の田楽・ 蓮の実の串焼き・高野豆腐と人参のそぼろ・柿の白和え・栗ご飯・漬物・ イチジクの甘露煮・キウィの甘露煮・大根三つ葉薩摩芋だんごの汁物(cureaさんのmixi日記から借用)。
 それぞれは、少しだが、品数が素晴らしい。とても精進料理とは思えないほど豪華である。それに、各自の卓に置かれたお品書きは和尚の奥様によるイラスト風の「お品書き」で、実にわかりやすくて良かった(イラストの位置に配膳してあるので、いま自分が何を食べているのか分かると言う仕掛けである)。

 ま、この墓参をかねた昼食会を楽しみに来ている方も結構多いのではないだろうか? それにしても、この品数を100名を越す参加者にふるまったのだから(参加費は食事込みで1,500円と価格の面でも良心的である)、厨房裏方の檀家さんたちは大変だったろうと推察します。駐車場係とコンダクターのボクはやはり遊びに行ったのと同じだったと思います。そうそう、以前ボクは寺の寺男のようなものと書いたことがあったのですが、それはボクの勝手な思い違いで、きちんと寺男役の方が今回からおりました。ボクは寺男も失格したようです(泣笑)。


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2 コメント

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こんにちは松岡です。遠路おつかれさまです。 (松岡宮)
2007-11-01 10:41:47
こんにちは松岡です。遠路おつかれさまです。
樹木葬って、いいですね・・・。ほんと、骨壷なんか別にいらないような気がしてきました。
ところで驚いたのはこのお寺がわたしの母の実家のすぐそばだったことです(山田町のコンビニしてます)。わたしも東小学校に少しだけ通った時期がありました。なつかしい。

松岡宮
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松岡宮さん!コメントをどうも! (フーゲツのJUN)
2007-11-02 00:44:58
松岡宮さん!コメントをどうも!
本当ですか!ビツクリしましたよ。いすみ市山田まさしくそこです!
もしかしたらお母さんの実家も天徳寺の檀家さんじゃないのですか?
国道沿いのコンビニだったらわかりますよ。
あまりの偶然に言葉もありません。
いや、驚いた。その上、小学校に宮さんも通っていただなんて!
宮さんとシンクロしてしまった!
やっぱり宮さんとは縁があったのですね。
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