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まだ読み終わっている訳ではないから、本来なら触れるべきではないのだが、きっと精読も読破もしないだろうから(それは、雑誌の宿命みたいなものだろう)軽いフットワークで書いて終わりにしておこう。
ボクが何のことを言っているかのと言えば、『ユリイカ』の4月号の「ブログ作法」という特集のことだ。
全体を切り捨てると、「はてな」対「ミクシィ」みたいな対立でとらえられているのが、あんまり面白くない。ボクなど、「ミクシィ」に入ってはいても(今年の1月末)、その日記はミクシィではなく外部のブログ(OCNの「blogzine」と、ミラーサイトのteacup?もともとはteacupのブログがメインだったが、アクセス数も後発のOCNの方が、抜き去りそうである?)に飛ぶから、別にミクシィに入っていない(登録していない)人でも自由に読む事ができる。ミクシィのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)は功罪半ばすると思っているし、むしろこの会員制(メンバーに招待されるという紹介者が必要なシステムなところも、なんだか昔の「会員制倶楽部」を連想してしまう。もしくはライオンズ倶楽部か?)システムには弊害もあるのではと思っているが、よく言えば顔の見える関係性があって匿名性とは反対の意味でコミュニティは作りやすい事は確かである。
もうひとつは、ブログ全盛の現在のことを語るのに、プロのライターも評論家も歯切れが悪い。書くと言う事や、 狭いジャーナリズムや出版の世界に閉じこもってきた人たちが、むしろこのような素人が発信・表現する手段を持ったことに脅威を感じているのではないだろうか、と思ってしまう。
特集の中心と目される対談からして、こんなものを読ませないでくれ!と世界の中心で叫びたくなる(笑)ほど内輪ネタ(この場合「はてなブログ」メンバー)のヨイショと、オチに満ちていて「ユリイカ」という詩誌は、ヴィジュアル面は全然ない活字だけの専門誌だから、なんだか流行に乗ったが結果、墓穴を掘ったな、と思えてしまった。
ここで、ばるぼらというひとの言い方をもじってボクなりに寸評すると、こうなる。
ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはコンテンツを、表現する文章力である。
ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはブログを、分析する思想性である。
ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはブログを、集積したデータベースである。
ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはオフラインゆえに、リンク集を作られても仕方がない活字メディアの硬直性である。
ユリイカの「ブログ作法」に足りないものはまったくもってアングラ精神である。
特集*ブログ作法(目次)
■痛快娯楽大河座談会一挙掲載
激突!はてな頂上作戦 仲俣暁生 栗原裕一郎 鈴木謙介 吉田アミ
■ブログは燃えているか?
史上最弱のブロガー 内田樹
「ブログ作法とは何か」とは何か 北田暁大
接続者のしかばねの上に萌えるもの、あるいは工作者の逆襲? 上野俊哉+泉政文
■私の眼を通り過ぎていったネットたち
BBSからブログへ??極私的ブログ考 稲葉振一郎
ミクシィは「出会い系」か???2ちゃんねる・ブログ・ミクシィ 小谷野敦
■ブロガー、その栄光と悲惨
「たけくまメモ」繁盛(させたい)記??誰もがメディアになる時代 竹熊健太郎
ブロガーがネットを発見する スズキトモユ
■紙が批判する
活字とWebのコンティニュイティ??雑誌化したBlog 佐藤真
日記からアクションが生まれる 南陀楼綾繁
遮光された部屋??ブログの画面論 鈴木一誌
■ブログ批評へのアプローチ ブログ・ガイド100@2005 編=栗原裕一郎
メタブログ 松永英明
オタク系 加野瀬未友
人文系 山本貴光+吉川浩満
アート 野中モモ
音楽 増田聡
著作権 末廣恒夫
ニート・ひきこもり 上山和樹
文学? 近藤正高
ブログの書籍化 速水健朗
ネクスト・ブログ ばるぼら
■画面の前後左右
ブログ年表1993--2005 編=ばるぼら
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