風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

光速疾走者の悲哀、または精神のリレー/埴谷雄高(2)

2009-07-05 00:09:00 | ブンブク文学/茶をわかせ!
「賓辞(ヒンジ)の魔力」とは 「自同律の不快」とは
  私は……私である…… と断定する時に
   主辞(主語)である 私は…… と
    客辞(客語)である 私である……の あいだに
  無限の それこそ 跨がりきれぬ程の
   切り裂かれた 深淵を 見てしまうことを 言う

ぼくらは 打ちのめされた!
 高踏的で 悪魔的な その アフォリズムは
  ひねくれもので アウトサイダーな ぼくらに
   ぴったりに 思えたから……
それらの ことばたちは 宙を漂い
 深夜ジャズ喫茶の 紫煙の なかで 女たちを煙りに巻く
  「深夜叢書」 だったからに ほかならない

そして 昭和20年 終戦のその年から 書き続けられた
 未完の大作 『死霊』だ
  ぼくらは 一般には 「しれい」と読まれているらしい書名を
   「しりょう」と 読み その書名を 口にするたびに
  曰く言いがたいものを 口にした時に そうするように
   一旦 口をつぐみ 目配せした
ボクが 本当のことを 口にすれば 世界は 凍るだろう??
 そう 詩に書いた ひとりの 傲慢な詩人は
  その『転向論』において いわゆる「非転向者」さえも
   日本的伝統において 転向したと 切り捨てた
 その 詩人にして 埴谷雄高の『死霊』は 畏怖すべきもので
  ただ その一冊で 戦後文学に 拮抗している と 書く

「ぼくはぼくの力の所有者である。ぼくが自分を唯一者として知る時にせうである。
 唯一者において、所有者そのひとさへも彼の母胎である創造的虚無に帰る」
「そこでぼくは言うことができる。/ぼくは何物にも無関心だ。」

 (スティルネル『唯一者とその所有』)

若き 埴谷雄高は シュティルナー(スティルネル)に 読みふけった
ドストエフスキーの 『大審問官』の 『悪霊』の
 絶対の 対話(ダイアローグ)に 学んだ……

そう 小説こそは 「どこにもない だれでもない」(nowhere,nobody)
 想念の 純粋実験が 可能な 想像力の空間だった
そのような どこにもない空間で
カントの 「われ思う ゆえに われ 在り」を 検証する試み
 それこそが 「貧辞の魔力」であり「自同律の不快」に
  とらわれたものの 務めだと 決意した
言い換えるならば 小説は その虚構の世界において
 壮大な 「妄想の実験場」 に化したのだ

??《ロマネスク。そは絶望の反語なるか。》

おう、そうでありながら その長大な構想の ロマンは
『近代文学』誌に連載第1回目が 掲載されたのが
昭和20年 結核による病の床に あったため3章で中断
昭和24年に 第4章が 発表され
 それから 25年余たって 昭和50年に 第5章
晩年の 平成7年(95年)に 第9章まで 至って未完に終わる
 実に 50年の時間が 費やされた 長篇小説だが
   物語は わずか 五日間の 出来事なのである
 五日間に 50年という 時間が 費やされ
  そして その 構想の 壮大さに ついに完結することが なかった

いや 違う!
生涯 子どもを つくることを 拒否した
 思想家 いや 夢想家 埴谷雄高は
 「精神のリレー」として この長大な 物語の
  完結を ひそかに どこかの 誰かに 託したのではないだらうか?

人間が 自由意志で 選択できる行為は
 自殺と 子どもをつくらぬことだ と
  看破した
(そのため 妻となった もと築地(つきじ)小劇場の
  女優だった 敏子に 幾度も 堕胎を 強要した)
何故なら 子どもと 言うものは
 親の思想を 受け継ぐことはなく
   どこかの 他者の 思想を 受け継ぐものだからだ
また この考え方は 少なくとも
 現代の 遺伝学では 証明されている
子どもは そして おんなは
 自分とは 遺伝的に 遠い存在を選択するように
  プログラムされた DNAを 持っている!
(そして 埴谷雄高の 思想と 格闘して
  「般若」のこころを 切り捨て
   <希望>としての子をもった ぼく自身が
    実感して 会得したことだ)

ユタカ(雄高)は 自分の作品が 三千世界に 架橋する
 デモノロギイ(悪魔学)の 渇望(かつぼう)に
  依拠するものであることを あるところで 明かした
それは 偉大な 神話の構築だったろう
「物質の未来」を 「存在の革命」を
 構想する 稀有な 神話??
  そこでは 人間は みな死に絶え
   動植物や 万象の ひとかけらと なって
    ホトケや ときに カミとして ともに 新しい
「宇宙」の 「創世神話」を 語り つくってゆくのだ
 文学の ニルヴァーナ 涅槃
  あたらしい 「涅槃図」
  現代の 「偉大な経典(マハー・スートラ)」
   としての マンダラ宇宙!

この 宇宙の どんづまりは すべての
 思想 思念を 無用なものとし
  もはや ことばでは 語れぬものなのか?

ハ、ニ、ヤ、ユ、タ、カ
 この 智慧という 意味をもつ
 「般若」は 光速で 疾走したものが
  寂寥(せきりょう)感に さいなまれながら
   宇宙大に 膨張する
   あの アンドロメダ星雲 M31の
    住人だったに ちがいないのだ!

  (未完)

 埴谷雄高:1909年12月19日生まれ~1997年2月19日死去。享年87歳。その命日は「アンドロメダ忌」と名付けられている。



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5 コメント

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さても。 (カイジロー)
2009-07-05 20:11:20
さても。
書こうか書くまいかいささか躊躇したのではありますが、毒がばらまかれた以上、解毒も必要かと。

埴谷雄高なんぞは、時代の徒花として消え去ってしまえばいいのです。

あなたも含めて、言葉はもっと真摯に使うべきだとわたくしは考えます。

引用します。
「人間が 自由意志で 選択できる行為は
自殺と 子どもをつくらぬことだ
と 看破した」
とあります。

~つくらぬことだ

までを埴谷雄高さんの著書なりなんなりからの引用、

~と看破した

を書き手の言葉と読みましたが、間違いありませんか?
何度か読み直したが、わたくしにはそうとしか読めなかったので、先ずは埴谷雄高に噛みつきます。

愚か者め!
人間を知らなすぎる。
女性もまた人間なのだ。
その程度の真っ当な知性を身につけてから文章を書きなさい。

強姦された女は自分の意志で子どもを身ごもったわけではない。
その地獄のリアリティを具体的にイメージ出来る程度に想像力を鍛え直してから出直してきやがれ!

続いて書き手へ。
看破する、という名辞はそれほど薄っぺらなものではありません。
看破という言葉を用いたということは、あなたも埴谷雄高同様、わけのわからぬ妄想の海をさまよっているだけにすぎぬ。

この世は人間の雄のためにあるのではありません。
どうぞ人間の雌たる女性をもっともっと愛してください。

女性を愛することを覚えれば、上記の一節がどれほど恥知らずなアホの戯言であるか気づくはずです。

オリュウノオバのごとき老婆心ながら…。


さいごに品性下劣の告白をば。


「文学なんざぁくそくらえだ!」
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はは、このような偏狭な反応があることが予想でき... (フーゲツのJUN)
2009-07-06 01:22:57
はは、このような偏狭な反応があることが予想できたから、「作品」ごときをこれまでブログに掲載してこなかったのだと言える。
「詩」は ことばは 口に出された とたんに
「音楽」と おなじく 宙に 消え去るのが ふさわしい
ましてや ライブで リィディングと 称するのであれば……。

フェミニズム以前の運動だった1970年代の「ウーマンリブ」が、「女性差別」を激しく、徹底的に糾弾するまでは、全共闘の活動家も、文学者も、部族も、ビートニクスも、フーテンも、乞食も、オスというオスは「女性差別主義者」だった。ましてや、カイジローのような九州男児は、突出してヒドかった!

「存在」を問うた埴谷雄高にしても「時代」のパラダイムを超えることは出来ないのであり、ましてや明治の植民地生れのボンボンを、その1点で責めるのは酷というものだろう。
「女性」性を「植民地」にしたのは、とりもなおさずそれまでの強大な父権性の歴史のたまものであり、歴史性の欠如している埴谷の思想にはその歴史の否定として、「人間が自由意志で選択できるものとしての自殺と、子をつくらぬこと」という断言があったのでしょう。
ボクもまたそのような埴谷雄高の思想を否定するが、それは同じ時代を生きたものとしての格闘の果てであり、カイジローの糾弾は「後出しジャンケン」の傲慢さだ。
いやなヤツだという意味では、女性を心中相手としかみなかった太宰治も糾弾されねばならないのだが、不思議なことに妙に女性に人気がある。
「死のう団」/埴谷教の教祖としての「看破」なのであり、それをあがめている訳ではない。

フェミニズムに共感して生命の優位、希望の原理としての子産み子育て、ディープエコロジーそして地域主義に目覚めてゆくのはそのような女性の側からの告発、糾弾をうけてから後のことでありました。
時代を超越していたためか、明治男の頑固さゆえにか、埴谷雄高は変わることがなかったようですが……。
返信する
偏狭な反応でもなんでもいいが… (カイジロー)
2009-07-07 21:09:15
偏狭な反応でもなんでもいいが…

「後出しジャンケン」
とはとんだ言われようだ。

女性差別主義者であったのは、“あなたたち”自身の思考のありように問題があったからであって、時代もウーマンリブ運動もフェミニズムもなんもかんも本質的にはまったく関係ない。

個々の人間性に起因する話なのだ。

あなたは偏狭とおっしゃるが、私は思考のありようの「本質」に関して言及しているつもりだ。

人間の自由意志なるものを自殺と子どもをつくらないこと、などと捉える偏狭な精神が、観念の世界をぐるぐるぐるぐる堂々巡りした挙げ句に発した言葉など、いかに深遠を気取ろうが、そんなもんは

クソ

にすぎぬ。いや、クソは植物の滋養となり得るが、言葉は毒にしかならぬ。

ここで太宰治を持ち出すのはいささか卑怯かもしれないとは自分でも思うが、現代社会にまで尾をひいて酷い精神疾患を巻き起こし続けている太宰の呪詛を引用させていただく。

「期待するから裏切られるのだ」

主観なのだ。徹底的に主観。つまりは我の妄執。
私が強すぎるんだよ。近代的自我とかいう観念にがんじがらめにされて、デカルトのいう「我思う故に我あり」から一歩も抜け出しきれていない。

俗にインテリと呼ばれるあなたがたは、知識として得た(あるいは知識を下敷きとした経験)近代的自我なるものにがんじがらめにされている。

多方面からの辛辣なブーイングを全身に浴びる覚悟の上で、あっさりと言い切ってやろう。

「そんなもんは、ただの煩悩なんだよ」

近代的自我のその先にあるもの――我々(あえて複数形にしたがもちろんあなたがたの世代は眼中にない!)は、その探求に向けて一歩を踏み出さねばならんのですよ。

埴谷雄高にも太宰治にも、その意識はなかった。
だから近代的自我の袋小路の中で観念の宇宙に埋没していった。それだけのことです。

墓につばを吐くのか?
それとも花を盛るのか?

藤原新也さんの言葉ですが、私とて墓につばを吐く気はない。鎮魂の思いはもちろんある。
だが、あなたの書いたものは、現代社会が埴谷雄高を忘れ去っている、という極めて私的な“想い”の吐露でしかない。

それ故、糾弾する者に対し、「偏狭」とか「後出しジャンケン」とか、極めてサヨク的な言辞を弄しているだけではないか!
どうせならあなたがた世代の十八番
「ナンセンス!」
とでもやらかせばよかったのだ。

あなたは偏狭と捉えたようだが、人間の自由意志なるものをどのように捉えるかは、実は思想・哲学を考える上での根幹な命題なのだ。

自殺や子どもをつくらないこと、などという捉え方には未来は有り得ない。そこに待ち構えているのは絶望だけだ。
絶望であれば、他者を巻き込まず静かに死んでいくがよろしかろう。

わたくしはこう考える。

人間の自由意志の最たるもの。それは信じるこころである、と。

パンドラの箱の底の底に、
“それ”は眠っている。

度外れたオプティミストと笑いたければ笑うがよろしかろう。
返信する
後出しジャンケンと言われたことが、よっぽど腹に... (カイジロー)
2009-07-07 23:38:57
後出しジャンケンと言われたことが、よっぽど腹に据えかねたのか…再度コメントさせていただく。

小学校時代のとてもイヤな記憶を思い出してしまった。

ぼくは色紙で遊んでいるうちに、三角形の面積は底辺×高さ÷2で導き出せることを

“発見”

したんです。
発見ですよ、発見!大発見だ。
勇んでセンセのところに飛んでいき、この大発見を報告したぼくは…
こう言われたのです。

「そんなことは公式で決まってんの。そんなくだらないことをやってないで公式を覚えなさい!」

その時からぼくは、知識をひけらかすクソバカヤローにだけはなるまい!と固くこころに誓ったのです。

ぼくのような思考のありようをこの国ではバカと呼び、ぼくはパンセソバージュと呼んでいます。

あなたがたの瞳には、ぼくは傲慢に映るでしょう。
それはそうです。
ぼくは原初の人間として、この一度限りの人生という旅を通して、人間存在の謎を探求しているのですから。

やれカントがどう言ったとかニーチェがなんだとか埴谷雄高がなんちゃらとかは、カンケーねぇんでごんす。

その言葉そのものにこころの琴線が共鳴すれば、それが無名の権兵衛さんの言葉だろうとすんなりと受け入れるし、それが世間一般で言うところの
エラいセンセ
の言葉だろうと、クソであればクソなんです。
「後出しジャンケン」の傲慢なんて、そんなチンケなものではありません。
この私という存在そのものが傲慢なのです。

色即是空
空即是色


「その通り!」
と思うから、真っ直ぐに
「その通り!」
と言っているだけであって、そこに知識の介在する余地などはありません。
それはJUNさんもわかっていることではないですか?

デカルトの「コギト・エルゴ・スム」を突き詰める一方で「色即是空空即是色」をも突き詰めていく。このバランス感覚こそが重要なのであって、どちらかに傾きすぎた思考に対しては静かに花を手向けるだけでいいのではないですか?

我々は“総体として”智慧と知識の集積の上に立っているのですから。

人類の思考に大きな飛躍のある時、パンセソバージュの存在は不可欠です。
そして、人類総体の想念がやがてひとつの
「新たなる思想」
として結実される頃、パンセソバージュの存在は、忘れ去られ消え去っている…。

これが「無私の思想」というものです。

その「無私」の覚悟が埴谷雄高や太宰治にはあったか?

わたくしは「ない」と断言します。
(君たちは我と引き換えに名を得たのだ。だからこそ、静かにお眠りなさい)
と…。
わたくしなりの鎮魂のつもりです。傲慢っちゃ傲慢ですけど、ね。
返信する
問題を(そもそも問題なんてあるのかね?)整理し... (フーゲツのJUN)
2009-07-08 23:37:52
問題を(そもそも問題なんてあるのかね?)整理しよう。まず、埴谷雄高とボクとは違う。当たり前だが、肉体的のみならず思想としても依拠しているものも違う。ボクが埴谷雄高を読んだのは、はるか40年昔、『死霊』をアンソロジー全集だった内の1冊「存在の探求(上)」でだ。たしかまだ当時は4章までしか書かれていなかった頃だ。毎日ハイミナールでラリっていたボクは、まるで「離人症」のやうで世界は「現実味」が欠如し、フーテンのボクは社会生活から疎外されていた。いわば、中毒性のドラッグにはまったジャンキーのやうだった。そんなボクに埴谷雄高の小説は毒のやうに作用したのだ。
その後ボクは、ハタヨーガと野口整体をミックスしたやうな「東洋体育道」にのめりこみそのおかげか、心身ともの健康を取り戻した。「心身一如」という「即身仏」ならぬ「即身-己」という心境を知ったのだ。いや、取り戻したと言うのは当たっていない。幼い頃から虚弱体質で乖離症だったボクは、そこではじめて<健康>という状態がいかなるものかはじめて身体で知ったのだ。身の丈にあった<己>、<自分>と肉体が生まれてはじめて<合一>というか、かさなった実感を会得したものだ。

埴谷雄高は別にキミが糾弾しなくとも、実人生で充分にしっぺ返しを受けている。妻の敏子さんを先になくしてから十数年を孤独に暮らし、食事にもこと欠き、近所の老婦人にお世話を受け、晩年、感謝をこめてプロポーズしたが、例の思想(ひとが自由意志で選べるものは、自殺と子どもをつくらぬことだ)によって見事に断られた(「変人・埴谷雄高の肖像」)。
一般庶民からみれば、彼は(もしかしたら太宰も)「知識人」というよりほとんど「狂人」です。言い換えると精神疾患、精神を病んだ障害者です。ボクらの父母が「時代」(この場合いい意味でも悪い意味でも「戦争の時代」)に翻弄されたやうに、左翼思想、転向、戦争などによって歪んでいる。それを戦争も知らない「平和ボケ」とも言える戦後世代の健常者が、戦後的価値観で裁けるものでせうか? それもまた、「後出しジャンケン」と言えるでせう。

パンドラの函から最後に這い出てきたものは<希望>でした。希望とは<未来>であり、いまだ到来しないものの意ではないでせうか? そう、言い換えるとそれは「彌勒」であり、その実、常に未来から来るもの???つまりボクらの子どもたちそのもののことです(『死霊』と同じアンソロジーに掲載されていた稲垣足穂の『彌勒』の原型小説『白日見』を同時に読んだのも何か象徴的に思える)。生命は生成するのです。生成することでつねに更新されてゆく。新しくされてゆくのです。

埴谷雄高の『死霊』の第1章が書かれたのは、ほぼサルトルの『嘔吐』と同じ頃らしい。それはそれで凄いことだが、「コギト・エルゴ・スム(我思う ゆえに 我あり)」とは無縁のアプリオリに自他が溶け合った日本的思考のありようが、近代的自我をのりこえている訳ではないでせう。
それから高校をやっと出たかのやうなボクを知識人扱いするのはやめてもらいたい。

さらに、キミは「パンセ・ソバージュ(野生の思考)」を自己流に自分に都合良く使っているようだ。「野生の思考」とは、いわば神話や、親族構造、セレモニーなどにひそむ体系を言う。これをそう名付け、人類学に革新的な進歩をもたらしたレヴィ・ストロースは、ライフワークとなる『神話構造』のインスピレーションを「パンセ・ソバージュ」から得ている。けっして「野蛮人の思考」という先住民差別のやうな思考方法からではない。

「唯一者」として「そんなのカンケーねぇ」として発言しているなら、それはそれで仕方がありませんが、傲慢なエゴを突出させたものは言い掛かりと見なします。
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