風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

ガジュマルの下でトビウオが見た夢

2005-06-06 01:36:10 | アングラな場所/アングラなひと
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干物のようなボクが言うのは可笑しいが、干物の中ではトビウオは芸術級だと思っている。そう、東シナ海を船(十島丸)でいくと群れて海の上を滑空しているスマートな魚の大軍が船と併走してくる! どこか、ヨットのようなその美しい身体に銀鱗が煌めく!

まるで、船と競争しているみたいに、どこまでも追ってくるのだ! ほとんど、そんな場面には遭遇したことがないが、ここにあの愛くるしいイルカが加わったらさらに美しいだろうなとボクは夢想しながら、海風を顔に受けていた。

その、美しい魚(いったいに、どうやらボクはスマートな魚が好きらしい)トビウオをとって生活しているひとりの漁師を知っている。漁師は30年ほど前に島に棲みつき、島に受け入れられ漁師となった詩人である。彼の愛称はナーガ。長沢哲夫が、ナーガの本名だ。ナーガはそもそもその名前長沢から転じたとはいえ、蛇もしくは龍と目されるアジア一帯に信仰されている水の神ナーガからも来ている。ナーガは60年代の青年期にインド哲学を研究していた。その過程の中でアレン・ギンズバークやゲーリー・スナイダーと出会う。ナーガ自身が新宿を活動の中心としていたボヘミアンもしくは「反芸術」のハプニング集団だったバム・アカデミー(乞食学会のちの日本最初のヒッピー集団「部族」となる)のゆるやかなメンバーのひとりだった。60年代の終わり、「部族」は南島の島々に自分達の理想のコンミューンを建設する場所を求めて散って行った。そして、ナナオが見つけたトカラ諸島のひとつ諏訪之瀬島という火山の島に「ガジュマルの夢族」というトライブ(部族)の拠点(コンミューン)「バンヤン・アシュラム」を建設しはじめるのだ。

時は流れ、コンミューン建設の夢は潰えた。いや、島に残ったナーガとその家族に引き継がれている。そして、ボクたちの夢の中に!
トビウオをすなどる漁師となった詩人ナーガはいまや、蛇や龍よりもナーガの生活を支えているトビウオにますます似てきている。
この初夏、ナーガがすなどったトビウオを食した。皿をもはみだすほどの美しいトビウオだった。目の前に、まるで美しい帆を折り畳んだヨットが横たわっていた!
潮風がたちこめてくるようだった。東シナ海の潮の香りがした。そして、トビウオを食しながらさめざめと涙を流した。
皿の上には、器をはみだすほどの見事なトビウオの骨格標本が残った。ああ!またネコにはアタマとホネしか残せなかったな、とボクは思ったものだ。(2003年9月記)

(トメ吉がやっている「奇天烈」に、03.9月に投稿したものの再録です。ナーガのことを書いたらこの文章を思い出しました。)


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