![Bob_dylan_first Bob_dylan_first](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/11/f30974cd30a1832795455c306699f593.jpg)
だとしても、ディラン・トマスは分かりやすいポエムを書いている訳ではなく、むしろ聖書的な教養からも、ウェールズの風土からも遠いボクらには難解に思える詩が多いだろう。
それに硬質な言葉を選んで訳してしまう訳者の問題もあると思う。その点、ボブ・ディランの日本版アルバムで指名されたかのように(事実CBSソニーの担当者に指名されて、歌詞を訳し続けたらしいが)、日本版ライナーノーツの訳文を依頼され、その積み重ねで『ボブ・ディラン全詩集』(1974年晶文社)という本まで作ってしまった片桐ユズル(そして中山容)というこれ以上の適任者はおるまいという訳者をもったもうひとりのディラン、ボブは幸福だったかも知れない。
言うまでもないことだろうが、片桐ユズルは大学教授(精華大学)だとはいえ自身も、どこかアメリカにかぶれた(1931年生まれの片桐は、59年サンフランシスコ州立大学に留学している)ライトなノリの詩人でもある人だ。その詩もどこか歌詞のようなのも、歌うことを前提に書かれた詩が多いためだと思われる。思潮社版現代詩文庫32『片桐ユズル詩集』の裏表紙にはギターをかかえて今にもフォークソングを歌いだしそうな片桐の若い頃の写真(留学生時代?)が掲載されている。
ギターをかかえたカタギリ先生
リズムは悪いし音程もくるう
フォークソングはへたなのがいいんだなんて
とってもむりしてかっこうつけてるよ
(コーラス)
(片桐ユズル「フォークソング/かっこうつけてるよ」)
こんな風に自己分析し笑い飛ばすことができるなんて、あなどることができない先生ではある。それに、片桐ユズルは諏訪優とともに、日本へのビート文学の紹介者のひとりと言ってもよかろう。
次の詩など、片桐が意識せずとも日本型フォークソングの黎明期に果たした影響がうかがえるものだ。
おいでみなさん きいとくれ
と きいてもらう権利が われわれにはないのか
おいでみなさん きいとくれ
と ききにいく権利が われわれにはないのか
街頭でうたう権利もないのか
立ちどまる権利もないのか
立ちばなしする権利もないのか
ひとをまつ権利もないのか
なにがおこっているか のぞく権利もないのか(略)
(片桐ユズル「広場がないことはベルトコンベアーだ」/未刊詩集・1964以後)
これは、高石友也が歌った『受験生ブルース』の最初のフレーズ
おいでみなさん きいとくれ
ボクは悲しい 受験生
砂をかむような あじけない
ボクの話を きいとくれ
(詞・中川五郎/作曲・高石友也になっているが、これも原曲はボブ・ディランらしい)
に、呼応するが、このようなつかみのリリックは街頭で歌われたアメリカン・トラディショナル・フォークのつかみの歌詞らしく、ボブ・ディランにも他にも同様のリリックで始まる『つらいニューヨーク町暮らし』、『たびの賭博師ウィリー』などがある。
(つづく)
(写真)ファーストアルバム『ボブ・ディラン』1962年
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