今日(7日)は、旧暦の正月元旦! 中国では、春節です。月は新月。横浜ZAIM近くの中華街も、いつもにまして今日は賑やかだった事だろう。
今日は、時事ネタを書きます。
中国産の冷凍餃子を食した事によって、混入していた有機リン剤系の農薬(ジクロルボス、メタミドホス=それらは、主に殺虫剤として用いられるもの)による中毒事件は中国製の食品の敬遠、不買につながって日中問題にまで発展しそうだ。
それが、日本では使用禁止の農薬使用によるものか、故意な混入(と中国側は昨日示唆)なのかは今後原因糾明されなければならないが、日中双方の水掛け論に陥るだろう事は予想できる。
しかし、ここで日本の消費者にも忘れては欲しくない事は、根本的にはこれまでの農業政策が「農の工業化」や、各家庭が「レトルト(冷凍)食品」を安易に求めてきたという食卓や、食べる事のインスタントで安価な方向への流れへの反省はどうなのだろうという点だ。「食の安全性」が、言われて久しいが、それは農の工業製品化といった問題への反省にむすびつかなければならなかったものであるにも関わらず、問題がすりかえられ「有機米」とか「低農薬」をうたい文句にしたあらたな「ブランド」の生み出しに終わったに過ぎなかったのではという問題だ。
この安易で安価なインスタントや、レトルト食品の消費の拡大というものは冷凍技術がこれまでより格段に向上したという問題なのではなく、むしろ社会が身分制社会のように低所得者層(非雇用不安定労働者)と、高所得者層に二分化しかってのように「一億総中流化」などというおめでたいキャッチフレーズは、幻想にしかすぎなかったということが明らかになったということなのではないか?
なぜなら、低賃金・不安定雇用・重労働のなかにおかれた低所得者層こそ、調理する時間も、食卓をいろどり囲む時間も、さらには安全だが高価な食品を買う余裕もないからである。
このような、社会の二層化、身分制社会化は人種問題ともむすびついてアメリカ、UA、第三世界など世界共通の事態らしいのだ。そして、このような現実こそ現在の私たちを囲む「食の現実」なのだ。
つまり簡単にまとめると「食の安全」と「安い食品」は、反比例し、このような日本では禁止されている農薬や化学肥料が、食物等のかたちをして日本や近隣諸国の低所得者層へのポイズン(毒)や、発ガン性という緩慢な時限爆弾のようなものとして「ブーメラン」し、「食品無差別テロ」として輸入されてくるだろう事は目に見えている。それは、もう1/4世紀前に警告されていたことだった。
消費者運動の盛り上がり、ダイオキシン類似農薬が水田用除草剤として使われていた事実により次々と生産中止に追い込まれた農薬製造業者や、多国籍企業は国内で使えなくなった農薬を第三世界や東南アジアそして中国に輸出したということがありました。
結局、輸入農産物の形をとって自国に禁止農薬を持ち込むこのような事態を「農薬ブーメラン」と名付けた研究者がおりました。
この構造は自給率が低下する一方なのに、何の方策も打たず食糧戦略や食の安全保障に無自覚な農水省、厚生労働省ひいては自民党政府の無策以外のなにものでもないと憤るのはボク位なのでありましょうか?
私たちは、このような事態においても相変わらず、食糧の国際分業と言う危ない橋を渡り続けるのでしょうか?
自国では手当てできない、安価な食品を中国や他国に求めたまま、それでも安価で安全であれと求め続ける事ができるのでしょうか?
私たち自身、この1/4世紀の推移を考えても、まったく「反省(自省)」に無縁な国民性を持っているのではないでしょうか?
私たち自身の食に対する危機管理意識の低さと言うのは、問題ではないのでしょうか?
食の安全性を求める事が、いわば、その存在理由のひとつだと思われるCOOP生協が、このような一般大手スーパーとなんら変わらない販路を作っていることに、組合員は疑問を呈さないのでしょうか?
どう、考えられますか? みなさんは?
(この記事は7日にアップする予定が、サーバーの丸一日がかりのメンティナンス作業のため一日遅れとなったものです。)
今日は、時事ネタを書きます。
中国産の冷凍餃子を食した事によって、混入していた有機リン剤系の農薬(ジクロルボス、メタミドホス=それらは、主に殺虫剤として用いられるもの)による中毒事件は中国製の食品の敬遠、不買につながって日中問題にまで発展しそうだ。
それが、日本では使用禁止の農薬使用によるものか、故意な混入(と中国側は昨日示唆)なのかは今後原因糾明されなければならないが、日中双方の水掛け論に陥るだろう事は予想できる。
しかし、ここで日本の消費者にも忘れては欲しくない事は、根本的にはこれまでの農業政策が「農の工業化」や、各家庭が「レトルト(冷凍)食品」を安易に求めてきたという食卓や、食べる事のインスタントで安価な方向への流れへの反省はどうなのだろうという点だ。「食の安全性」が、言われて久しいが、それは農の工業製品化といった問題への反省にむすびつかなければならなかったものであるにも関わらず、問題がすりかえられ「有機米」とか「低農薬」をうたい文句にしたあらたな「ブランド」の生み出しに終わったに過ぎなかったのではという問題だ。
この安易で安価なインスタントや、レトルト食品の消費の拡大というものは冷凍技術がこれまでより格段に向上したという問題なのではなく、むしろ社会が身分制社会のように低所得者層(非雇用不安定労働者)と、高所得者層に二分化しかってのように「一億総中流化」などというおめでたいキャッチフレーズは、幻想にしかすぎなかったということが明らかになったということなのではないか?
なぜなら、低賃金・不安定雇用・重労働のなかにおかれた低所得者層こそ、調理する時間も、食卓をいろどり囲む時間も、さらには安全だが高価な食品を買う余裕もないからである。
このような、社会の二層化、身分制社会化は人種問題ともむすびついてアメリカ、UA、第三世界など世界共通の事態らしいのだ。そして、このような現実こそ現在の私たちを囲む「食の現実」なのだ。
つまり簡単にまとめると「食の安全」と「安い食品」は、反比例し、このような日本では禁止されている農薬や化学肥料が、食物等のかたちをして日本や近隣諸国の低所得者層へのポイズン(毒)や、発ガン性という緩慢な時限爆弾のようなものとして「ブーメラン」し、「食品無差別テロ」として輸入されてくるだろう事は目に見えている。それは、もう1/4世紀前に警告されていたことだった。
消費者運動の盛り上がり、ダイオキシン類似農薬が水田用除草剤として使われていた事実により次々と生産中止に追い込まれた農薬製造業者や、多国籍企業は国内で使えなくなった農薬を第三世界や東南アジアそして中国に輸出したということがありました。
結局、輸入農産物の形をとって自国に禁止農薬を持ち込むこのような事態を「農薬ブーメラン」と名付けた研究者がおりました。
この構造は自給率が低下する一方なのに、何の方策も打たず食糧戦略や食の安全保障に無自覚な農水省、厚生労働省ひいては自民党政府の無策以外のなにものでもないと憤るのはボク位なのでありましょうか?
私たちは、このような事態においても相変わらず、食糧の国際分業と言う危ない橋を渡り続けるのでしょうか?
自国では手当てできない、安価な食品を中国や他国に求めたまま、それでも安価で安全であれと求め続ける事ができるのでしょうか?
私たち自身、この1/4世紀の推移を考えても、まったく「反省(自省)」に無縁な国民性を持っているのではないでしょうか?
私たち自身の食に対する危機管理意識の低さと言うのは、問題ではないのでしょうか?
食の安全性を求める事が、いわば、その存在理由のひとつだと思われるCOOP生協が、このような一般大手スーパーとなんら変わらない販路を作っていることに、組合員は疑問を呈さないのでしょうか?
どう、考えられますか? みなさんは?
(この記事は7日にアップする予定が、サーバーの丸一日がかりのメンティナンス作業のため一日遅れとなったものです。)
今回被害に遭われた方々は本当に気の毒です。一時、重体になった女の子に障害が残らないといいのですが、、、
災い転じて福となす、といいますから、今後の日本の食料自給について真剣に考えるイイ機会にしなくてはならないと思います。
人間やその他の生き物を極限まで使い尽くすという今の社会のあり方を、できるところから変えていくことが、食の安全を保つ最良の策の一つだと考えます。
日常的にスーパーで「4割引」で売られてる冷凍食品なんぞ食ったこと無い政治屋さんにはわからないだろうね。
所詮ひとごとだもの・・
お弁当も「手作りで作れ」なんて、いえるのか?
仕事でヘトヘトになった主婦に!
衣・食・住・という言葉があるが、ともかく「食」だよ!
ま、自分のやってる「音楽」なんぞ「食」に比べれば屁みたいなもの。
わかってるさ!
バンビさんの説法が身に染みる・・
ありがとうございます。
いまはちゃんとしたレスする時間がないのでお礼まで……
横浜からかえったらお返事します。
一般スーパーとなんら変わらなくなった生協は、これまで「安全な食」を提供していると考えられていたことが幻想だったということなのでしょう。
食料自給率の向上は米だけいじってもダメだと思うのです。伝統的な和食もその食材はほとんどが、輸入品です。
皮肉(ここにも「肉」がある)なものですね!
「食」は生命の更新ですからね。フード・ファーストという言葉があります。
「食料第一」!
そうだと思います。
そして、レディ・ファーストね(笑)!