風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

オフィーリア異聞(3)/「おふえりや遺文」と小林秀雄

2008-01-23 23:55:56 | アート・文化
Waterhouse_ophelia 1931年『改造』11月号に小林秀雄は「おふえりや遺文」なる一文を発表した。これらは、小林の初期文集に分類されているが、どうやら当時は小説(すなわちフィクション)として受けとられ、読まれたのであるらしい。小林は当初小説家志望だったが、「Xへの手紙」同様、その文章には色濃く当時の(正確には直前までの)小林の私生活が反映している。江藤淳のことばを借りるなら、小林は「女(長谷川泰子)によって批評家になった」。

 この掌編は、発表当時はともかくとして翌年(1932年『中央公論』9月号)発表された「Xへの手紙」同様、現在の時点で読むと「X」が中原中也のことであるように、オフィーリアは、神経症にさいなまれて一時は、中也から略奪した花嫁であったはずの長谷川泰子と考えられる節が濃厚で(泰子は一時小林姓を名乗る)、事実、小林は極度の潔癖神経症であった泰子の言動に相当悩まされたらしい。

 妾は船縁から脛(あし)をぶらさげて、海の水の走るのを見ていました。妾は何処かに流されて行くに違いない。他に誰も乗っている人はいないのも解っていたし、この船は独りでにお魚を食べて動いている事も知っていたし、妾はもう諦めていた。……貝殻を重ねたような帆は、じっと静かに少しも動きません。船が何処かに流れつかないうちに、死んでしまうかもわからない、それは、どちらにしてもかまわないけれど、ふと見ると、帆柱のてっぺんから梯子を降りて来る人があります。よく見ると栗でした。毬(いが)のない、ただすべすべした茶色の栗が、ひょいひょいと梯子を降りて来ます。
          (小林秀雄「おふえりや遺文」)

 そして、オフィーリアはその茹でてある栗を食べてしまうという夢を子供の頃に見たと語るのだが、このようなシーンはオリジナル「ハムレット」には、見当たらない。
 小林の「おふえりや遺文」それ自身は、当然ながらシェイクスピアの「ハムレット」に添うている。だが、物語の枠を大幅にはみだしている箇所もいくつか見受けられる。オフィーリアがひとり語りで、小舟にのって流され云々という上記の引用箇所やホレイショーから亡き父王の亡霊の事を聞き出していたと語るところなどだ。これは、もちろん「ハムレット」の設定をかりたフィクションと考えれば、異をとなえる理由もないことだが、「オフィーリア・コンプレックス」と名付けたガストン・バシュラールの分析と命名を借りるならば、そこに元型(ユングのアニマ的なもの)として、おなじ類型といえるシャーロットや妖女オンディーヌなどのイメージも重ねられていると指摘できるであろう。

 もっと言えば、小林は「ハムレット」の登場人物オフィーリアを使って、その言わば「遺書」としてハムレットにあてた手紙と言う形式(それゆえ「遺文」)の中で、実は自らにとって「宿命のおんな(ファム・ファタール)」であったはずの長谷川泰子を厭い、無意識の内に抹殺(葬送)しようとしていたとも考えられないだろうか?

 と言うのも、「オフィーリア・コンプレックス」と命名された経過でバシュラールが書いているように(『水と夢』1969年国文社)、 オフィーリアはその水への親和性において「水葬」にふされた少女のイメージを持つからである。ラファエル前派の優れた画家だったジョン・エヴァレット・ミレーが、23歳で描いたその「オフィーリア」というタブロー作品で正しく見抜いたものとは、オフィーリアという少女がもつこのような集合的無意識的な「水」や「死」と親和する「元型」だったのだ。

(つづく)

(図版3)ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作『オフィーリア』1894年。油彩。水面に突き出した木の根近くで、野の花で自らの髪を飾り、恍惚とした表情を浮かべるオフィーリア。そのはかなげで、あやうい少女の姿形のオフィーリアを川面の蓮の葉が取り囲み、水中に誘い込むようだ。


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