異能のマンガ家であり、その登場の場面から終始、奇妙なアウラと伝説に包まれていたひとだった岡田史子さんが亡くなっていた。虫プロ商事が刊行した『COM』で、新人発掘登竜門であった「ぐらこん」で鮮烈にデビュー、そのどこかフランスのアンチロマンのティストをもった幻想的な作品群は、ボクらマンガ家志望の人間や、マンガファンを魅了した。いや、魅了されたのはファンだけでなくプロもそうだったのだ。
ボクが「ぐらこん」にファンとして、ふかく関わっていた1967年当時、それまでの彷徨生活のような生活に見切りを付けて虫プロに勤務していた永島慎二氏も激賞していたし、のちにこの作家を発見する萩尾望都さんや岡田史子の才能を見抜き、天才だとほめたたえたプロの作者もたくさんいた。
しかし、岡田史子さんは、寡作の作家だった。72年ごろ故郷である北海道の静内に帰り、結婚され長い間ペンを折っていた。近年、幾たびかの復刊の動きの中で、新作の発表ということが、うわさにはのぼって消えていった。
デビューから37年??そのほとんどが、短編で50数編の作品しか残さなかった。決して天才と呼ぶには、絵は巧みな方ではない。むしろ稚拙なくらいだろう。だが、その独特の絵柄と構築された作品世界は濃厚なアウラを放ち、少女趣味をはるかに乗り越えた文学の香りさえただよわせた。暗い中世的なそれでいて白昼夢のようなまばゆい光も放つ独自の作品世界だった。
そのデビューの頃から、見守り続けてきたファンのひとりとして深く哀悼します。さようなら! 岡田史子! さようなら! ボクのマンガへの愛!
岡田史子(本名高田冨美子):マンガ家。さる3日に心不全で急逝。享年55歳。葬儀は御長男を喪主として花祭りの8日に執り行われた。
ボクが「ぐらこん」にファンとして、ふかく関わっていた1967年当時、それまでの彷徨生活のような生活に見切りを付けて虫プロに勤務していた永島慎二氏も激賞していたし、のちにこの作家を発見する萩尾望都さんや岡田史子の才能を見抜き、天才だとほめたたえたプロの作者もたくさんいた。
しかし、岡田史子さんは、寡作の作家だった。72年ごろ故郷である北海道の静内に帰り、結婚され長い間ペンを折っていた。近年、幾たびかの復刊の動きの中で、新作の発表ということが、うわさにはのぼって消えていった。
デビューから37年??そのほとんどが、短編で50数編の作品しか残さなかった。決して天才と呼ぶには、絵は巧みな方ではない。むしろ稚拙なくらいだろう。だが、その独特の絵柄と構築された作品世界は濃厚なアウラを放ち、少女趣味をはるかに乗り越えた文学の香りさえただよわせた。暗い中世的なそれでいて白昼夢のようなまばゆい光も放つ独自の作品世界だった。
そのデビューの頃から、見守り続けてきたファンのひとりとして深く哀悼します。さようなら! 岡田史子! さようなら! ボクのマンガへの愛!
岡田史子(本名高田冨美子):マンガ家。さる3日に心不全で急逝。享年55歳。葬儀は御長男を喪主として花祭りの8日に執り行われた。
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