クリスマスはクリスチャン(キリスト教徒)にお返しし、わたしたちは北欧の先住民のまつりと結びついたルチア祭を伝統的な「一陽来復」として祝おうというのが、ボクの提案なのだが、他の主旨はほとんどキャンドル・ナイトと同じであります。
きょう、新しい光の誕生??新年の訪れをお祝いします。
とはいえこの提案はサンタクロースのプレゼントをケチろうという魂胆ではありません(笑)。サンタクロースのプレゼントというのも赤ら顔のおなじみの扮装とともに、世間に広まったのはそんなに遠い昔ではありません。サンタクロースのイメージは、1920年代ノーマン・ロックウェルが描くイラストで決定的なものになったが、19世紀のアメリカで作られたものらしい。
そもそもは聖人であったニコラス(ニコラウス)が、貧しき者に施しをした行ないに由来するのだが、消費社会が巨大な市場に育ったことによってサンタクロース(聖ニコラウス)は、クリスマスと結びついた商魂たくましい企業の格好の宣伝媒体となった。
日本では、すでに戦前「子供之友」におなじみの姿で紹介されていると言うが、それとて輸入された姿形であり、昭和30年代に徐々に一大勢力になりつつあったサラリーマンの師走のバカ騒ぎで広まり、認知されるようになった。クリスマスは大人の酔いつぶれた姿で認知されていったのだ。トンガリ帽子をかぶっていずこかのクラブか、バーで大騒ぎをしてきた男たちが申し訳のように赤ら顔をして家族のために買って帰るクリスマスケーキとして定着してゆくのだ。
洋菓子屋のたくみな仕掛けがあったにせよ、今日のようにバースディには当たり前のようにバースディケーキといった風習はそれほど定着しておらず、デコレーション・ケーキ自体がまだ物珍しく感じられた時代だったのです。
いまではサンタクロースは高価なおもちゃや、ゲームソフトまでも子どもたちにプレゼントするほどリッチになったらしいが、そもそもはせいぜいクッキーを靴下に入れてゆく位の素朴な風習だったと思われます。
今晩のNHKのサンタクロース特集の番組で、第三世界の子どもたちはフィンランドのサンタクロース村へあてて家族の病が治りますようにとか、学業が続けられるよう自分にスポンサーがつきますようにと言った真剣で、切羽詰まった「お願い」を寄せていることを知った。
世界が公平に愛に満ちたものになるためには、飽食のなかで麻痺してしまったわたしたちの感覚や、感性こそを軌道修正する必要があるのではないだろうか?
それこそ、世界に光を与えるため、不公平に満ちた世界をバランスのとれた世界にする光を生み出すために……。
苦しみに満ちたクリスマスを、光をもたらすルチアへ!
(写真)「聖ルチア」マロッソ画。光をもたらすルチアは眼病の守護聖人でもあるらしい(今年の夏、西洋美術館で開催されていた「パロマ展」より画像をお借りしました)。
きょう、新しい光の誕生??新年の訪れをお祝いします。
とはいえこの提案はサンタクロースのプレゼントをケチろうという魂胆ではありません(笑)。サンタクロースのプレゼントというのも赤ら顔のおなじみの扮装とともに、世間に広まったのはそんなに遠い昔ではありません。サンタクロースのイメージは、1920年代ノーマン・ロックウェルが描くイラストで決定的なものになったが、19世紀のアメリカで作られたものらしい。
そもそもは聖人であったニコラス(ニコラウス)が、貧しき者に施しをした行ないに由来するのだが、消費社会が巨大な市場に育ったことによってサンタクロース(聖ニコラウス)は、クリスマスと結びついた商魂たくましい企業の格好の宣伝媒体となった。
日本では、すでに戦前「子供之友」におなじみの姿で紹介されていると言うが、それとて輸入された姿形であり、昭和30年代に徐々に一大勢力になりつつあったサラリーマンの師走のバカ騒ぎで広まり、認知されるようになった。クリスマスは大人の酔いつぶれた姿で認知されていったのだ。トンガリ帽子をかぶっていずこかのクラブか、バーで大騒ぎをしてきた男たちが申し訳のように赤ら顔をして家族のために買って帰るクリスマスケーキとして定着してゆくのだ。
洋菓子屋のたくみな仕掛けがあったにせよ、今日のようにバースディには当たり前のようにバースディケーキといった風習はそれほど定着しておらず、デコレーション・ケーキ自体がまだ物珍しく感じられた時代だったのです。
いまではサンタクロースは高価なおもちゃや、ゲームソフトまでも子どもたちにプレゼントするほどリッチになったらしいが、そもそもはせいぜいクッキーを靴下に入れてゆく位の素朴な風習だったと思われます。
今晩のNHKのサンタクロース特集の番組で、第三世界の子どもたちはフィンランドのサンタクロース村へあてて家族の病が治りますようにとか、学業が続けられるよう自分にスポンサーがつきますようにと言った真剣で、切羽詰まった「お願い」を寄せていることを知った。
世界が公平に愛に満ちたものになるためには、飽食のなかで麻痺してしまったわたしたちの感覚や、感性こそを軌道修正する必要があるのではないだろうか?
それこそ、世界に光を与えるため、不公平に満ちた世界をバランスのとれた世界にする光を生み出すために……。
苦しみに満ちたクリスマスを、光をもたらすルチアへ!
(写真)「聖ルチア」マロッソ画。光をもたらすルチアは眼病の守護聖人でもあるらしい(今年の夏、西洋美術館で開催されていた「パロマ展」より画像をお借りしました)。