風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

あとから知ったいくつかのこと/イマジン(2)

2007-12-11 23:59:11 | コラムなこむら返し
Bedin_1969 このふたつのアイディアのみで2002年の「Be-in」で、ブース展開したボクは、それを「超健全風俗店・フーゲツ」と名乗ってやったのでした。反戦、抵抗運動にもユーモアをというのが当時のコンセプトでありました。風俗店のパロディで、平和を訴えたかったのです。
 それは、また「LOVE & PEACE」の「LOVE」と「PEACE」の中味を問いたいという思いでもありました。

 アフガン、イラク戦争と報復の戦火が拡大する一方の状況で、野外レイヴのたかまりそのままにサウンドデモやピースパレードといった楽しめるデモの形(ラヴ・パレード)が定着しつつある頃で、それでいながら集会は四角四面のまったくスクウエアなものというのが、まだまだ多かったのでした。

 ジョンとヨーコの「Bed-in」は、まさしく60年代の「LOVE & PEACE」を体現するものとして、1969年3月25日~31日アムステルダムのヒルトンホテルでジョンとヨーコのブライダル・パフォーマンスとして行われました(同年5月モントリオールでも再現)。フレクサス系というかネオダダ周辺のハプナー(ハプニングをするひと。今で言うパフォーマー)アーティストであった新婦ヨーコの、おそらく提案であったのでしょう。
 ヨーコにとっては、生活がアートであり、ベトナム戦争が泥沼化する状況の中で、自分達の愛の到達点(結婚)が1967年来のヒッピー・ムーブメントの「LOVE & PEACE」を訴え、戦争よりもセックスを! 戦争よりも愛の営みを! というメッセージを伝えるための絶好の機会としてとらえ、男女の愛の営みの場であるベッドから世界に発信したのであった。
 ヨーコのネーミングだと、おそらく「BED PEACE」とか、「BED PIECE」とかになるのだろうが、当時の写真を見るとダブルベッドにいるジョンとヨーコ夫妻の周りに、おそらくヨーコの文字で色々書き出されている。いわく「HAIR PEACE」「BED PEACE」「GROW YOUR HAIR」などなど。髪に関する言葉は、当時の長髪がそのまま反抗や抵抗のシンボルだったからだ。長髪はヘア・スタイルだったが、それはライフ・スタイルも表わしていた時代だった。
(つづく)

(写真)1969年3月下旬アムスのヒルトンホテルで行われたジョンとヨーコによる反戦平和のための「Bed-in」。